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まちこのGB 《第1章の9,10》 新人よりも定年がしっくりくる男

【1-9】 新人よりも定年がしっくりくる男

 真知子は朝霞の弱点を熟知した上で、対策を考えていた。
 ポイントは二つ、高さそのものを克服するのか、もしくは手汗をいかに抑えるかだ。

 朝霞は今頃、バンドのメンバーと練習に打ち込んでいるはずだ。ならば自分もそれに見合う努力をするのみだ。
 誰もいないオフィスで一人、真知子がネットサーフィンをしていると耳慣れぬ声がした。

「お疲れさん」

 顔を上げると老齢の男性が親しげに笑いかけてきた。
 男は珍しげに社内を見回すと、真知子の前の席に座った。

 この人は誰だ? 

 男は川崎のデスクに手を伸ばし勝手にファイルを手繰っている。頭のおかしい客だろうか。 

「あの、何か御用でしょうか?」

 真知子は警戒心をあからさまにせぬよう声をかけた。
 見るからにバレバレのカツラをつけているところなど怪しさ満載の男だ。

「何って。自分の会社に出社して何がおかしい?」

 自分の会社? 
 真知子は初日の矢口の言葉(君は先着二番目だから)を思い出す。

 そうか、この男は自分の前に入社した新人か。新人? どうみても目の前の男は新人というよりも定年という言葉のほうがしっくりと来る。

「ああ、そういうことですか。その年齢で入社できてラッキーですね」

 しかし、仲間とわかれば警戒する必要はない。真知子は素直に笑いかけた。

「君が大井君か。ずいぶんと真綿で首を絞めそうな子だな」

 男は値踏みするように真知子を眺めてくる。その視線は気持ちのいいものではなかった。

 確かに彼よりも自分のほうが遅く入社した。でも、時期で見れば同期であろう。年齢が上であることには敬意を示す。しかし、同期である以上、失礼があれば正すべきだ。

「あのね、あなたが年上なのは見ればわかるけど、立場は私と同じじゃないですか。こっちは気を使ってカツラには触れないんだから、あなたも礼儀くらいはちゃんとしてもらわないと」

 男は真知子の正論にぐうの音も出ないのか、薄ら笑いを浮かべているだけだ。

「そうだな。挨拶を忘れていたな。わしは堀之内徹。この会社の平社員だ。来月からは出社できるようになる予定だ」
「だから、平社員が何を偉そうにしてんだ、って言ってんの!」

 ひっぱたいてやろうかと真知子が腕を振り上げると、堀之内はすかさず両手で頭を覆った。

「まあいい。あんたがわしに勝てるのは若さと元気ぐらいだろうからな」

 そう言って、堀之内は逃げるように部屋から出て行った。

 何なんだあの男は? そもそも何なんだこの会社は? なぜ、平日の昼間っから誰もいないんだ? 

 なんとなく気が抜けた真知子はネットで探した雑貨屋へ買出しに出ることにした。

 真知子が考える朝霞の高所克服作戦にはいくつかの小道具が必要となる。中には真知子が手作りする予定のものもあった。
 その方が気持ちが伝わるだろうし、自分も参加している感が味わえると思った。


【1-10】 だけどお前は意味のないデブだ

 まだ夜とは言いがたい明るさの午後6時前、朝霞はすでに蒲田の居酒屋にいた。
 今日は久しぶりに【Lucky Inter Hospital】のバンド会議が開催される。
 この機会に朝霞は『GB』へのチャレンジを報告し、バンド再始動の狼煙をあげるつもりでいた。

 時間より早く到着したのは緊張を解くために先に酒を飲んでおきたかったからだ。さらに、どうせ割り勘なら早めに多く飲んでおこうというセコイ打算もあった。

 三人で会うのは半年ぶりだろうか。三杯目のジョッキを片手にほろ酔いの頭で朝霞は考える。

 2年前、35歳を過ぎたあたりから、朝霞と二人との意識の違いがはっきりしてきた。バンドマンとしての諦めが現実味を帯びてきたのである。
 共演するのは大抵が年下の元気な奴ばかりになり、朝霞もやりにくさを感じていたのは確かだ。
 次第にライブの回数は減っていき、それに比例して、スタジオで練習することもなくなった。

 そして半年ほど前、二人は示し合わせたように、就職したと朝霞に告げてきた。

 当然その時の飲み会は荒れた。二人に対して、朝霞はとにかく攻撃的な言葉をぶつけ続けた。
 朝霞が叫ぶ夢見心地な理想論に対し、二人は何も言い返してこなかった。逆に怒ってくれたほうが気持ちは楽だったのに。
 裏切られた悔しさもあったが、「お前らだけズルイじゃねえか」という気持ちが少なからずあったことは否定できない。

 そこから二人とは疎遠になり、現在に至る。朝霞はバンドメンバーを失うと同時に、数少ない友人も失う結果となってしまった。

 今日だって二人が来るかどうか確信は持てていない。久しぶりに電話をしたというのに、二人の答えは「残業がなければな」という素っ気ないメールだった。
 大抵が定時で仕事の終わる自分の境遇が負けているように感じた。

 だが朝霞は自分たちの歴史を信じた。なんだかんだ15年も苦楽を共にした仲間なのだ。

 この居酒屋もバンドにとって思い出の場所だ。当時、学生だった三人の若者が日本の音楽界を変えてやろうと熱く声を上げた。
 店名も内装も変わってしまったが思い出だけは残っている。何より変わったのは自分の体型なのかもしれないな。

 朝霞が腹の肉をつまんでいると、ドラマーの上海ワタナベの顔が見えた。
 常にダンガリーシャツの第四ボタンまで開けていた男が今じゃ地味なスーツを着ている。

「上海!」

 朝霞が溌剌と声をかけるが、ワタナベは表情も変えずに近づいてくる。

「上海、ご無沙汰!」
「ああ……」

 ワタナベは疲れた顔で腰を下ろすと深く息をついた。

「おいおい、なんだか老け込んでな! スマイル上海はどこいっちゃったんだ?」

 ワタナベは当時、小柄で愛嬌のある笑顔がファンに人気だった。
 今、目の前に座るワタナベは、笑顔どころかまだ一度も目を合わせてこない。

「最初はビールでいいか? やっぱ上海さんは大ジョッキですかね?」

 朝霞は弾んだ声で上海の顔を覗き込む。

「やめてよ……」
「え、ああ、上海は最初から焼酎だったっけか」
「上海って呼ぶのやめてよ。俺の名前は渡辺だから」
「ワタナベ?」
「そういう軽いノリじゃなくて。俺はもう社会人なんだ」
「そっか。わりい」
「悪いと思ってんならちゃんと謝ってよ」
「は?」
「不快な思いをさせたら謝罪する。社会人の常識でしょ」

「……ごめん」

 呆気にとられた朝霞を前に、渡辺はスマホを片手に席を立った。再び朝霞は一人になった。

 目の前にいた人間が朝霞の知る上海ワタナベとは思えなかった。半年ほどの間で人間はここまで変わるものなのか。それとも、実は何年も前から少しずつ変わっていたのだろうか。

 急にビールが不味く感じる。ぬるくなったからだけではない。酒の味というのは、その時の雰囲気とかメンタルなものが非常に作用することは知っている。

「ウィー、オツカレー!」

 甲高く軽いノリの声がした。ベースの屋敷だった。

「どう調子は? 儲かっちゃってる?」

 朝霞は変わらぬ屋敷のお調子者ぶりに胸をなでおろす。ただその風貌は驚くほど変貌を遂げていた。屋敷の後ろには渡辺が続いている。

「屋敷よ~、ストレスたまってんじゃねえのか?」
「なんで?」
「だって太りすぎだろ」
「しょうがねえよ、俺って営業だからさ。主な仕事が飲みニケーションだしよ。え、古い?」

 屋敷が大口を開けて笑っている。肩を叩かれて渡辺も笑っている。昔は笑いを生み出す中心には朝霞がいた。

 まあ、いいか。役割が昔とは少し違うが、近づいてきた昔の空間を逃してはなるまいと朝霞も大声で笑った。

※                         ※                         ※

 自宅への帰り道、朝霞のこめかみはドクドクと脈打っていた。
 酒を飲み過ぎたからだけではない。言いたいことが言えずに頭に血が上っていたからだ。

「それやって儲かんの?」

 酔った頭に屋敷の言葉が思い出される。朝霞は思い返すだけで泣きたくなるような言葉を二人からたくさんぶつけられた。

「そんなの一人でやりゃいいじゃん。それか誰か他の奴入れたら?」
「お前みたいな奴って、バンドで売れるっていう夢は認めるくせに、会社で出世するって夢はなんだか汚く感じるんだろ?」
「金だってお前の倍は稼いでるぜ。毎週のようにキャバクラ行って日本経済に貢献してるしな」
「言うなれば俺は意味のあるデブだ。だけどお前は意味のないデブだ」

 朝霞は何も言い返せなかった。自分だけ時が止まっているように感じた。
 自分は何も変わってない。良くも悪くも動きがない。そのことは朝霞を非常に焦らせた。

 アパートが見えた。賃貸とはいえ10年住んだ自分の城だ。
 けれども十年前と何も変わらぬ外観を見ていると、とてつもない不安に襲われた。

 すかさずスマホを手に取るものの、かける相手がいない。かけたい相手はいるのだが、今の自分ではかけられない。
 とにかく朝霞は無性に誰かと話がしたかった。

 スマホを見つめていると急に振動し始めた。こんなことがあるのか、と朝霞はすぐにスマホを耳に当てた。

「もしも~し、今、かなり酔っ払ってるんでこっちの言いたいことだけ言いますね。言うなれば留守電メッセージだと思ってください。何かあるんなら明日聞きますから。
 私、完璧な作戦を朝霞さんのために考えました。秘密兵器も持っていきますからね! レッツヘッドバンギング! 日本の音楽界を変えましょう! あれ? 朝霞さん、聞いてます?」

 朝霞は声が出せなかった。出したら泣いてしまいそうだったから。

 電話を切ってアパートに背を向ける。近所をひとまわりジョギングしてから家へ戻ることにした。

 もうあいつらのことはあてにしない。
 自分一人でも絶対にチャレンジを成功させてやる。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門


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