「竹富島憲章」に思う
【これは他の小説投稿サイトにも投稿しています】。
1.西表石垣国立公園竹富島ビジターセンター「竹富島ゆがふ館」
2023/12/30、西表石垣国立公園竹富島ビジターセンター「竹富島ゆがふ館」を訪問した。
展示物を拝見し、本がたくさん売られていたので、
やいま文庫11 八重山風土記 砂川哲雄、
同12 島の自然を守る 島村修 を購入した。
事務エリアにいらっしゃった方に「島の自然を守る」に書かれていたラムサール条約地アンパルとは何かお伺いした。
ここ、「竹富島ゆがふ館」は「特定非営利活動法人たきどぅん」より管理運営を委託されている。こちらの方は、たきどぅんの職員の方である。
私が以前勤めていた会社でマスツーリズムとエコツーリズム双方に関わってきており、開発と自然保護の実態をいやというほど経験したことを話すと、以下の話をしていただいた。
「ラムサール条約登録地アンパルは石垣島にある。アンパルのラムサール条約登録はこの本の著者の島村さんが1990年に提言し、色々な活動を行い、2005年に登録された。しかし、今開発に揺れている。NPO法人たきどぅんは石西礁湖自然再生協議会のメンバーのひとつであり、この問題にも取り組んでいる(この話は竹富島のことではないので別の投稿「石垣島編」で記述する)」。
「竹富島の人口は330人で、三分の一が移住者。観光客は年間(50?忘れた)万人」
「竹富島でも開発に揺れている事業がある。島には御嶽と言われる聖なる場所が何か所かあるが、真知御嶽(だと思ったが、ちょっと自信ない)のそばに温泉を掘る計画がある。その計画者は町に以前から住んでいる方であり、信じられない行為である。聖なる場所であり、水をくみ上げることで、どんな悪影響が起こるか予測できないし、ここは風水の方角で住民を守る場所にある御嶽でもある」
「コンドイリゾートホテル建設反対運動を行ったため、訴えられ、2021年に一応勝訴したが、大変な思いをした(これについては調べたので後に記述する)」
「「星のや竹富島」があるが、ここは島の問題を解決する手段として、愛け入れを容認した。」
名刺を頂いた。阿佐伊拓さんは竹富島を守る会会長でもあった。
事務エリアで電話をかけ、「今晩は緊急集会だ」と言っていた。
竹富島ゆがふ館内の展示物を見て回った。
展示物は竹富町産の物のみで、採取~製作まで同町産である(この理由については「竹富島憲章」に詳しい)。
後に、偶然 「食事所 やらぼ」で 「八重山そば」を頂いたが、こちらの店も同運動にかかわる場所とのお話をお伺いしたかもしれない(メモに食事所 やらぼと書かれていたが、どのような内容で話されたのか忘れた)。
注「竹富島ゆがふ館」は私が今まで見てきた、全国各地の環境省の国立公園にあるビジターセンターと同じような作りの立派な新しい建築物で、文化伝統が伝わるように創意工夫された展示物、展示方法である。国立公園の中心地(例えば尾瀬)では環境省のレンジャー(正社員)が常駐しているが、ここは別館扱いなのであろうし、年末でもあるので本日は阿佐伊さん一人であった)。
2.竹富島憲章 全文
「竹富島憲章」(昭和61年)
管理人 / 2月 8th, 2010 / 「竹富島憲章」(昭和61年)
私たちは、この竹富島憲章とこれを生み出した島の精神が踏みにじられようとしている、島の精神が死のうとしている、そのような危機感の下、「竹富島憲章を生かす会」設立にいたりました。
「竹富島憲章」(昭和61年・竹富公民館)
われわれが、祖先から受け継いだ、まれにみるすぐれた伝統文化と美しい自然環境は、国の重要無形民俗文化財として、また国立公園として、島民のみならずわが国にとってもかけがえのない貴重な財産となっている。
全国各地ですぐれた文化財の保存と、自然環境の保護について、その必要性が叫ばれながらも発展のための開発という名目に、ともすれば押されそうなこともまた事実である。
われわれ竹富人は、無節操な開発、破壊が人の心までをも蹂躙することを憂い、これを防止してきたが、美しい島、誇るべきふるさとを活力あるものとして後世へと引き継いでいくためにも、あらためて「かしくさや うつぐみどぅ まさる」の心で島を生かす方策を講じなければならない。
われわれは今後とも竹富島の文化と自然を守り、住民のために生かすべく、ここに竹富島住民の総意に基づきこの憲章を制定する。
一、保全優先の基本理念
竹富島を生かす島づくりは、すぐれた文化と美しさの保全がすべてに優先されることを基本理念として、次の原則を守る。
1、『売らない』 島の土地や家などを島外者に売ったり無秩序に貸したりしない。
2、『汚さない』 海や浜辺、集落等島全体を汚さない。また汚させない。
3、『乱さない』 集落内、道路、海岸等の美観を、広告、看板、その他のもので乱さない。また、島の風紀を乱させない。
4、『壊さない』 由緒ある家や集落景観、美しい自然を壊さない。また壊させない。
5、『生かす』 伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、民俗芸能、地場産業を生かし、島の振興を図る。
二、美しい島を守る
竹富島が美しいといわれるのは、古い沖縄の集落景観を最も良くのこし、美しい海に囲まれているからである。これを保つために次のことを守り、守らせる。
1、建物の新・改・増築、修繕は、伝統的な様式を踏襲し、屋根は赤瓦を使用する。
2、屋敷囲いは、サンゴ石灰岩による従来の野面積みとする。
3、道路、各家庭には、年二回海砂を散布する。
4、看板、広告、ポスター等は、所定の場所に掲示する。
5、ゴミ処理を区分けして利用と回収を図る。金属粗大ゴミは業者回収を行う。
6、家庭下水は、処理して排水する。
7、樹木は、伐採せず植栽に努める。
8、交通安全、道路維持のために、車両制限を設ける。
9、海岸、道路などゴミ、空きカン、吸殻などを捨てさせない。
10、空き家、空き屋敷の所有者は、地元で管理人を指定し、清掃及び活用を図る。
11、観光客のキャンプ、野宿は禁止する。
12、草花、蝶、魚貝、その他の生物をむやみに採取することを禁止する。
三、秩序ある島を守る
竹富島が、本土や本島にない魅力があるのは、その静けさ、秩序のとれた落ち着き、善良な風俗が保たれているためである。これを保つために次のことを守り、守らせる。
1、島内の静けさを保つために、物売り、宣伝、車両等の騒音を禁止する。
2、集落内で水着、裸身は禁止する。
3、標識、案内板等は必要に応じて設ける。
4、集落内において車輌は、常に安全を確認しながら徐行する。
5、島内の清掃に努め、関係機関による保健衛生、防火訓練を受ける。
6、水、電気資源等の消費は最小限に留める。
7、映画、テレビ、その他マスコミの取材は調整委員会へ届け出る。
8、自主的な防犯態勢を確立する。
四、観光関連業者の心得
竹富島のすぐれた美しさ、人情の豊かさをより良く印象づけるのに旅館、民宿、飲食店等、また施設、土産品店、運送業など観光関連業従事者の規律ある接遇は大きな影響がある。観光業もまた島の振興に大きく寄与するので、従事者は次のことを心得る。
1、島の歴史、文化を理解し接遇することで、来島者の印象を高める。
2、客引き、リベート等の商行為は行わない。
3、運送は、安全第一、時間厳守する。
4、民宿の宿泊は、良好なサービスが行える範囲とする。
5、屋号は、規格のものを使い、指定場所に表示する。
6、マージャン等賭け事はさせない。
7、飲食物は、できるだけ島産物を使用し、心づくしの工夫をする。
8、消灯は、23時とする。
9、土産品等は、島産品を優先する。
10、来島者に本憲章を理解してもらい、協力を徹底させる。
五、島を生かすために
竹富島のすぐれた良さを生かしながら、住民の生活を豊かにするために、牧畜、養殖漁業、養蚕、薬草、染織原材料など一次産業の振興に力を入れ、祖先から受け継いだ伝統工芸を生かし、祭事行事、芸能を守っていく。
1、伝統的祭事、行事には、積極的に参加する。
2、工芸に必要な諸原料の栽培育成を促進し、原則として島内産物で製作する。
3、創意工夫をこらし、技術後継者の養成に努める。
4、製作、遊び、行事などを通して子ども達に島の心を伝えていく。
六、外部資本から守るために
竹富島観光は、もともと島民が、こつこつと積み上げてきた手づくりの良さが評価されたからである。外部の観光資本が入れば島の本質は破壊され、民芸や観光による収益も住民に還元されることはない。集落景観保存も島外資本の利益のために行うのではないことを認識し、次に掲げる事項は、事前に調整委員会に届け出なければならない。
1、不動産を売買しようとするとき。
2、所有者が、氏名、住所を変更しようとするとき。
3、土地の地番、地目、地積に異動を生ずるとき。
4、賃貸借をしようとするとき。
5、建造物の新・増・改築、取り壊しをしようとするとき。
6、島外所有者の土地に建物等が造られようとするとき。
7、その他風致に影響を及ぼす行為がなされようとしているとき。
この憲章を円滑に履行するために、公民館内に集落景観保存調整委員会を設け、町、県、国に対しても必要な措置を要請する。
昭和61年3月31日
参考 竹富町民憲章
昭和47年「竹富島を生かす憲章案」
昭和46年「妻籠宿を守る住民憲章」
上記の精神を引き継ぎ、修正、追加を行い、案を作成した。
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.
コメントは受け付けていません。
3.竹富島憲章こそが、竹富島に住まう方の行動規範であり、1章の阿佐伊拓さん、NPOたきどぅん、その他の活動原則である(と思う)。
4.NPOたきどぅんについて
竹富島では、自然環境、美しい町並みや耕作地、芸能、古謡、織物、祭事など様々な文化遺産が、人々の生活の中で必要とされ、磨き上げられ、子孫へと継承されてきました。
竹富島の文化遺産とは、島のご先祖たちが長い年月をかけてつくり上げてきたモノやコトであり、島の中の空間やそれを支える技術、生活習慣、知恵、仕組みなどが、すべてつながりあうものであると考えます。
しかし最近では、ことに1972(昭和47)年の祖国復帰以降は沖縄全県的に基盤となる産業が変わり、生活スタイルが多様化し、これまで当たり前にあったものに様々な変化が起こるようになりました。
その結果かけがえのない自然環境、伝統文化、沖縄らしい生活様式などがどんどん失われるような状況になってきました。
幸いにして竹富島民の性格は、進取の気性と伝統を守るという両面性をもっています。
島の生き方を模索せねばならなくなった時、それぞれが情報を広く収集してはみなで夜毎論議を重ねました。
そして伝統を守ることが重要だという結論に達し、島の心として守り続けてきました。
これが「うつぐみ」の精神です。
竹富島は、復帰の時点で島全体が西表国立公園(現西表石垣国立公園)の中に含まれました。
1977(昭和52)年には島最大の祭りである種子取祭が、重要無形民俗文化財に指定されました。
1987(昭和62)年には集落全域38ヘクタールが重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その前年には島全体およびサンゴ礁のリーフ部分まで竹富町の保全地区に指定されました。
さらに1989(平成元)年には島の特産品であるミンサーと上布が、伝統的工芸品の指定を受けました。
このように人口約350人(2005年春調べ)の島が国からの評価を4つも持っています。
大事なものとして継承してきたものが評価を受けることにより、自分たちがやってきたことは間違いなかったのだと、誇りと勇気が持てました。
「沖縄の原風景」と評価を受けたものが観光資源となり、来島者が増えてきました。
来島者の増加は雇用を生み若年層のUターン、Iターンを促し、結婚や出産が相次ぎ人口の増加につながりました。
しかし、島に継承されている祭事行事を滞りなく行っていくためには、まだまだ人口が足りません
もう一方で問題も出てきました。
人口増加といいながら、島民の三分の一は島外からの移住者という現状です。
竹富島の心、文化を保存継承するためには、織物技術や伝統的町並み、種子取祭を中心とした祭事・芸能の再認識することが重要だと気づきました。
同時に、新住民への意識的な働きかけを必要としました。
そのため、1996(平成8)年には島の文化を守ることを目標に掲げて、竹富島を愛してくれる島内外の人たちと一緒に、全国竹富島文化協会を設立しました。
毎年、シンポジウム・講演会・会誌の発行などを通じて、啓発活動を行ってきています。
このような活動を継続する中、私たちは、島の祭事行事を保存継承してきた住民自治組織でありコミュニティの核である公民館を、全国竹富島文化協会でのノウハウを生かして、具体的・積極的に支えていく必要性を感じました。
そこで2002(平成14)年、「特定非営利活動法人たきどぅん」を発足させました。
私たちは、文化遺産の持続を可能にするのは、文化遺産そのものの保存・保全だけではなく、その継承者を育てる義務を持った現在のコミュニティを明るく元気にすることが、一番重要な目標だと位置づけています。
さらに、自らを律してこの貴重な祖先からの遺産を守りながら、その価値を広く世界の人たちに知っていただくため、ユネスコの「世界遺産」への登録という高い目標を掲げました。
現在、志を同じくする人のネットワークは広がり、パートナーシップに基づきながら、具体的な活動を行っています。
八重山地方でいち早く認証を受けたNPOとして、2004(平成16)年には公共施設である港の待合室「てぇどぅんかりゆし館」、西表石垣国立公園竹富島ビジターセンター「竹富島ゆがふ館」の管理運営を委託され、職員の採用による定住人口の増加にも貢献しています。
島の遺産についての解説本として、「竹富島文庫」の出版も始めました。
埋もれていた地域のお年寄りのズンブン(知恵)を掘り起こして特産品の開発販売をするなど、会員それぞれの特技を活かしながら新たな活動に日々チャレンジしています。
竹富島 遺産管理型NPO法人たきどぅん
〒907-1101
沖縄県八重山郡竹富町字竹富432
(ゆがふ館内 TEL.0980-85-2488 / FAX.0980-85-2489)E-mail:info@takidhun.org
5.アールジェイエステートの阿佐伊拓会長への訴訟(記事より)
竹富島のコンドイビーチ周辺で計画されているリゾートホテル建設事業を巡り、事業者のアールジェイエステート(那覇市)が、建設に反対する住民でつくる「竹富島を守る会」のインターネット上の投稿の一部に名誉を毀損されたとして、同会の阿佐伊拓会長(52)に損害賠償などを求めた訴訟で、那覇地裁(山口和宏裁判長)は19日、同社の請求を棄却した。
判決理由で山口裁判長は、ホテル建設によって周辺海域のサンゴ礁に大きなストレスを与えるなどとする同会の投稿内容について「当然に想定もしくは危惧されること」と指摘。「事業者の社会的評価を低下させるような印象を与えるとは解しがたい」と判示した。
阿佐伊会長は、計画に反対する島民を萎縮させるための不当訴訟だとして同社を反訴していたが、山口裁判長は「反対運動の萎縮を目的とした提訴とまでは推認できない」と退けた。
判決後の会見で、阿佐伊会長は「胸をなで下ろしている。ホテル建設の問題はあるので、今後どのように活動を進めるか島の皆さんと協議したい」と述べた。代理人の金高望弁護士は「勝訴判決と受け止めている。穏当、妥当な表現活動だと裁判所が明確にした意義は大きい」と強調した。
同社は本紙取材に「コメントは控える」とした。
6.「星のや竹富島」
星野社長は私の高校の同期だったか、1年先輩だったかどちらかである。私がエコツーリズム推進を行っていた当時、エコツアーガイドを全国に探して歩いていた。当時、信州大学の環境教育を専門とする教授に地元のエコツアーガイドといったらどこでしょうとお伺いしたところ、軽井沢の星のやの「ピッキオ」だとのことであった。
後日ピッキオを訪問したところ、熊の保護活動を行いながら、来館者への半日エコ観光を行うなど、本格的な生態系調査と観光提供を兼ねた全国でも有数のエコツアー提供事業者であった。
当日経営者には会えなかったが、後日電話でお話ししたのは確か南さんという方で、それは30年ほど前の話である。
当時星野社長は米国で修行中だったはずだが、後にお父様より星のやを承継された。
この「ピッキオ」の精神がもともと星のやにあったのか、それとも彼に受け継がれるかして竹富島につながっているのだろう。
1.星のや竹富島開業の経緯 【NPO法人 離島経済新聞社の記事】
2007年、外資系ファンドの手に渡っていた80ヘクタールの土地の権利を島に戻すため、3年以上の議論を経て星野リゾートが土地を買い戻し2012年に「星のや竹富島」が開業。その背景では、土地の買い戻し代金返済後には土地を竹富島振興のために活用するなどが約束された協定書が結ばれている。
2.ここはHPを見る限り、世界でも珍しい、本気で地元の文化自然を守ることを意図した施設である。
【以下HPより抜粋】
ウツグミの島に楽土
島の伝統と文化を「一致協力」して守り共に暮らすように滞在するリゾート
沖縄の原風景が息づく地
客室 琉球石灰岩を積んだ石垣、珊瑚の白砂が敷かれた庭、リビングは風が通りぬける南の座。島の「景観形成マニュアル」に沿って作られ、快適性も備えた客室です。
夕暮れプライベートサバニ 琉球の伝統的な木造船「サバニ」に乗り、プライベートな空間で心地よい夕暮れの風を感じます。
島テロワール 食材が育つ土地の環境特性「テロワール」を大切にし、八重山の島々にある特徴的な食材をフレンチで仕立てました。~サステナブル~冬の島テロワールは、島の伝統的な食材を余すところなく活かした美食にこだわりました。各家庭で作られてきた「島醤油」のもろみを活用した一皿や、旨味が強い車エビを余すところなく使った一皿が登場します。
島の井戸をデザインしたプール
3. 竹富島にとり、水は極めて貴重な資源であり、全島が石垣島に依存しており、断水の影響は一番先に竹富島に出る。
タクシー運転手の話では、海底管により送水されているとのことである。
【星のや竹富島の飲料水の自給についての記事】
沖縄県・竹富島にある滞在型リゾート「星のや竹富島」は、2021年2月13日より「海水淡水化熱源給湯ヒートポンプユニット*1」で汲み上げた海水の淡水化による飲料水の自給を開始します。星のや竹富島はこれまで、島と共生するリゾートとして、島の環境保全や課題の解決に取り組んできました。現在、竹富島の生活用水をまかなう水質源は限りがある状態です。1日に使用できる水量が限られている中で、ペットボトルフリーに取り組むにあたり、必要になる飲料水用の水量を海水淡水化装置によって自給します。これに伴い客室でのペットボトル入りミネラルウォーターの提供を廃止します。
さらに、導入するユニットの特徴である太陽光発電とヒートポンプの一体化で、災害時の自立稼働やCO2の削減が可能です。ペットボトルの利用とプラスチックごみ削減の促進にとどまることなく、今後も島と共生するリゾートとして、竹富島の自然環境保全に努め、環境負荷を低減するサステイナブルな活動を行ってまいります。
*1「ゼネラルヒートポンプ工業株式会社」と「株式会社エナジア®」が施設への導入に合わせて開発した製品。現在特許を出願中。
7.石西礁湖自然再生協議会
全国各地26 箇所で、過去に損なわれた自然環境を取り戻すため、自然再生推進法に基づいて設立された自然再生協議会が活動しています。石西礁湖自然再生協議会も、そのひとつです。
石西礁湖自然再生協議会は、「かつてのすばらしい石西礁湖のサンゴ礁を取り戻したい」、「もっと美しい海を見てみたい」、「サンゴとともに生きる地域をつくりたい」という熱い思いを持った、地元住民、市民団体、漁業や観光関係の団体、研究者、行政機関など多様な主体が集まり、2006 年2月に発足しました。
また、2018 年には取組内容の見直しを行い、3つの部会を立ち上げ、それぞれ専門性を持った活動を進めています。
石西礁湖自然再生全体構想
どのような目標に向かって進むべきか、どのような活動をすべきか、それぞれの構成委員ができることは何か、などについて活発な議論を行い、石西礁湖の自然再生事業が進むべき方向性を示した「全体構想- 島人の宝 豊かな海を守る-」が2007 年9月に策定されました。
現状を整理した上で、自然再生の対象となる区域、長期や短期の目標、基本的な考え方がまとめられており、これに基づいて、各事業実施者により実施計画が立てられ、石西礁湖のサンゴ礁生態系の再生を目指した取組が進められています。
自然再生事業実施計画
全体構想を踏まえ、石西礁湖自然再生事業実施者は、実施計画を策定して取組んでいます。
自然再生事業実施計画は、協議会委員の方ならどなたでも策定できるものであり、石西礁湖自然再生協議会では、現在環境省が計画を作成しています。(2020年改訂)
行動計画 2019-2023
2017 年に短期目標の達成期限を迎えたことから、全協議会委員で10 年間の取組をふりかえり、成果と課題を整理し、今後5年間で実施すべき活動の内容をまとめた「石西礁湖自然再生全体構想 行動計画2019-2023」を策定しました。
体制
3つの取組分野、15の取組方針に基づき、新たに3部会を設けるなど協議会の体制も見直し、自然再生の取組をいっそう力強く推進するべく活動しています。
石西礁湖においては、以前から、様々な主体によって自然再生に関する取組が進められてきました。
一方、行政においては、平成4年3月、自然と共生する社会を実現するための総合計画として「新・生物多様性国家戦略」が策定され、今後展開すべき施策の方向として、「保全の強化」、「持続可能な利用」に加え、「自然再生」が位置付けられました。平成4年12月には、「自然再生推進法」が成立し、自然再生事業の基本理念と地域の多様な主体の参加による自然再生を推進するための枠組み、手続が定められました。
また、平成17年7月には、環境省が中心となり、関係機関等との協力のもと、石西礁湖の自然再生を進めていく際の基本的考え方の1つとして「石西礁湖自然再生マスタープラン」が策定されました。
ただし、石西礁湖の自然再生を着実に実現していくためには、陸域と海域が一体となった統合的な取組を進めていくことが不可欠であり、地域住民、関係する行政機関、地域で活動を行っている団体、サンゴ礁生態系に関し専門的知識を有する者が共通の認識の下に、互いに連携、協力を密にして行動していくことが必要です。このため、環境省、内閣府、沖縄県の呼びかけにより、自然再生推進法に基づく「石西礁湖自然再生協議会」が平成18年2月に設立されました。マスタープランを踏まえて平成19年2月にまとまられた全体構想に基づき、今日まで活動を行ってきています。
モニタリングサイト1000サンゴ礁調査
自然再生推進調査専門委員会
1983年
石西礁湖自然再生事業支援専門委員会(専門委員会)
2004年 石西礁湖自然再生協議会
2005年 グループディスカッション
2006年 生活・利用に関する検討部会
2007年 普及啓発WG
2008年 学術調査WG
2009年 海域対策WG
2010年 陸域対策WG