世界史漫才再構築版34:ヘンリ8世の子どもたち編
微苦:ども、微苦笑問題です。
苦:前回の続きでイギリス国教会とヘンリ8世死後の子供たちの話です。
微:メアリ、エリザベス、エドワードのそれぞれ父が違う子どもたちだな。
苦:違うのは母だよ!! 託卵ネタの本場はフランスやロシアです。
微:そうか。このヘンリ8世の依頼でミレーは「種蒔く人」を作製したんだな。
苦:それ時代が違いすぎます、バルビゾン派で、そもそも金持ちの絵を描いていません。それよりもなんちゃって宗教改革の方です。
苦:予想外だったのは、国教会成立が大陸のプロテスタント運動、例えば巡礼地の撤廃、聖人暦の廃止などを招いたことでした。「信仰の擁護者」としては、まずい事態です。
微:食糧管理法や障害者自立支援法と同じで、制度は意図と異なる目的で悪用されるんです。
苦:最初から目をそらす名称にするのが日本的手法ですよ。さて1547年のヘンリ8世が死に、9才で唯一の息子エドワード6世(1547~53年)が即位します。
微:ああ、病弱なぼんぼんだな。
苦:ヘンリ8世は幼い息子を顧問団に補佐させるよう遺言を書き残していましたが、母ジェーンの伯父エドワード・シーモアがそれを握りつぶしました。
微:レーニンの遺言を改竄したスターリン、意識不明の首相から後継指名された森か。
苦:ヘンリ8世は生前、エドワードをスコットランド女王メアリ・ステュアートと結婚させ、スコットランドをイングランド管理下に置く構想を持っていました。
微:昔からイングランドはスコットランドというかケルト辺境を舐めてるよな。
苦:まあ、1707年には合同するんですけどね。エドワード・シーモアはこれを実現しようと、力業でスコットランドに攻め込むんですが、失敗します。
微:戦争よりアラゴン=カスティーリャ方式。二人が出会ってときめかないとなあ。せめて制服着たメアリにトーストを口にくわえさせて、交差点でエドワードと衝突させるくらいの演出しないと。
苦:マンガじゃねえよ! 息子エドワード6世は、変革を嫌った父と違って、プロテスタント的な信仰の確立のためにイギリス国教会の変革を行います。
微:ああ、英語訳の聖書でいいよ、ってやつね。
苦:国家事業として1549年に『英国国教会祈祷書』を出し、1552年に改訂が行われました。
微:どうせゴーストライターだろ。昔、松本伊代が自分の本を宣伝していて、鶴太郎に「どんなことを書いたの?」って聞かれて、「まだ読んでないからわかんない」と答えたのを思い出したぜ。
苦:1552年に黒幕のエドワード・シーモアが反逆罪で処刑されていましたので、ノーサンバランド公ジョン・ダドリーが実権を握ります。
苦:エリザベスの愛人だったロバート・ダドリーの親父か?
苦:そうです。ダドリーはエドワード6世の死期が近いことを悟り、1553年に六男ギルフォード・ダドリーをエドワードの従姉フランセス・ブランドンの娘ジェーン・グレイと結婚させます。
微:「死期を早めた」の方が正解じゃないのか?
苦:そして継承順位が低いジェーンを次王に指名するよう死にかけのエドワードに迫ったのです。
微:「酸素飽和度90を下回ったら保健所に電話してください」の東京都より親切じゃねえか。
苦:エドワード6世がわずか15歳で死ぬと、その4日後にジョン・ダドリーはジェーン・グレイが女王となること宣言したのです。
微:ダドリー家って、和泉家や小室家の百倍はいかがわしいな。
苦:まあ、誰も支持してくれませんでしたが。露骨な国家の私物化ですから。
微:桜を見る会くらいで止めとけば良かったのに。しかし、日本にもよく似た竹田家があるな。
苦:ダドリー派を危険視した枢密院は、急いで王女メアリをロンドンへ呼び戻しました。ロンドン民衆も反ジェーン・グレイで蜂起しました。
微:「みどりのたぬき」こと小池百合子レベルの狡猾さがなかったんだな。
苦:メアリ1世が無事に即位し、ダドリー親子とジェーン・グレイは反逆罪で斬首されました。
微:「キャサリンの娘を即位させるための"捨て身のギャグ"だった」と供述したそうです。
苦:柳原と宮迫かよ!! ジェーン処刑を描いた絵は、昔はロンドン塔に展示されていて夏目漱石もお気に入りだったようです。今はテート・ギャラリーで展示されています。
微:残念ですが、まだ首は落とされてませんので、よい子が見ても大丈夫だよ。
苦:そのメアリ1世(位1553~58年)は王妃キャサリンが産んだ娘で、1525年にプリンセス・オブ・ウェールズの地位が与えられました。
微:娘がプリンスって、おかしくないか?
苦:まあ、「王太子」称号なので、女性名詞化しません。ヘンリ8世は「イングランドでは女子の王位継承を妨げる法はない」と断言しますが、とりあえずの後継者だったと見るべきでしょう。
微:確かに"Queen"という単語がある。
苦:実際、ヨーロッパ大陸部でフランク王国支配下に入った地域は「サリカ法典」が有効とされ、女王の即位が禁じられていましたが、北欧やイングランドは違いました。
微:カール6世が羨ましそうに見ていただろうな。でも王家内部の暗闘は凄まじそうだな、おい。
苦:はい。メアリの人生も相当なもので、ヘンリ8世がアン・ブーリンとの再婚のためにキャサリン・オブ・アラゴンと離婚すると、王太女と王女の地位は剥奪され、庶子とされました。
微:『プリンセス』を読み、部屋の壁に「庶子貫徹! 女王即位!」と貼り紙して耐えたそうです。
苦:そして「いびり」ですが、侍女上がりのアン・ブーリンは自分が第2王女エリザベスを出産すると、メアリにエリザベスへ臣従することを命じました。
微:うわー、わかりやすい虐めだな、絵に描いたような。"Kiss my Ash!!"的な命令。
苦:それを拒否したメアリに激怒したアン・ブーリンは、メアリをエリザベスの侍女にします。
微:『小公女』はメアリというモデル小説だった、と説明されても信じられるな。
苦:そしてアンが王妃の地位にいる間、父ヘンリ8世もメアリとの面会を拒否したのです。
微:警護を振り切って父に対面したら「今度は鉄仮面かぶせるぞ」と脅されたそうです。
苦:話を捏造するな!! しかし、ヘンリ8世がアン・ブーリンを姦通罪で処刑すると、今度は3歳に満たないエリザベスまで庶子とされます。
微:父親に虐待された娘の怖さを知らないんだな。
苦:1543年にヘンリ8世がキャサリン・パーを王妃に迎えた時、彼女の説得で「第三王位継承法」 が発令され、メアリとエリザベスは庶子身分のまま王位継承権が復活します。
微:ダメ夫の不始末を片付けたんだな。庶子ままという点に悪意を感じるが。
苦:キャサリン・パーとエリザベスは母娘のように親密になります。キャサリン・パーは程なくトマス・シーモアと再婚し、エリザベスも夫妻のチェルシーの屋敷に暮らします。
微:王女なのか良いところのお嬢様なのか微妙な線だが、新しい人生を踏み出したと。
苦:しかし、このトマス・シーモアが鬼畜でして、14歳のエリザベスは40歳近いシーモアと肉体関係を持ったようです。怒ったキャサリンは彼女を邸宅から追い出しました。
微:夫がロリコンで浮気してたらそりゃ怒るわな。
苦:しかし、1548年にキャサリン・パーが産褥熱で死ぬと、シーモアはエリザベスとの結婚を狙います。目的は彼女ではなく、王室支配だったようです。
微:「ようです」という推測になるのはどういう理由だ?
苦:トマス・シーモアの兄サマセット公が枢密院と組んで自分の殺害を企てたと告発し、1549年にシーモアが斬首されたからです。エリザベスも尋問されますが、口を最後まで割りませんでした。
微:その様子を見て、「こいつは将来大物になる」と、尋問官が臣従したそうです。
苦:1553年にエドワード6世が死んだ後の陰謀は話しましたね。ジェーンが処刑され、姉メアリが女王に即位することになり、姉妹は揃ってロンドンに戻ります。表面的には仲良くですが。
微:お互い、手にピンを持ちながら握手したそうです。
苦:そんなのチョロいです。熱心なカトリック信者であるメアリ1世はカトリック復帰を目論んで、宮廷のミサをカトリックに戻し、プロテスタントのエリザベスにも出席を命じます。
微:わっ、昔の侍女扱いの報復と延長戦だな。
苦:そしてメアリは結婚の相手にスペイン王太子フェリペ、後の国王フェリペ2世を選びます。
微:それって、かなり濃い近親結婚じゃねえのか? 沖雅也が悪魔となって来たりて笛吹くぞ。
苦:スペイン側は継承権回収でしょうが、イングランドがカトリックの大国スペインの属国になることを恐れ、結婚には反対する貴族が多く出ました。実際ケントで蜂起が起こります。
微:そりゃ、レコンキスタと新大陸征服で経験積んだスペイン騎士とは戦いたくない。
苦:ケントの蜂起は失敗しますが、この後起きる反乱はすべて「エリザベスのイングランド王即位」を表向きは要求しています。
微:迷惑な話だな、そんな野心がなければの話だが。
苦:メアリは反対を押し切り、1554年フェリペと結婚しました。これに反対する貴族の反乱はつづき、これらに徹底的な弾圧や処刑を容赦なく行います。「ブラッディ・メアリ」の由来です。
微:血を見ると、燃えてフェリペ2世を離さなかったそうです。
苦:どSだよ!! ですが2年でフェリペはスペインに帰国してフェリペ2世として即位します。
微:そりゃメキシコ銀の方が大事だし、疲れたんだろうな、夫婦生活に。
苦:ようやく1年半後にロンドンに戻りますが、わずか3ヶ月後にはスペインに帰国しました。
微:なんかメアリって、フェリペ2世のイングランド妻って感じだな。
苦:国内に広まった不満は対抗馬としてのエリザベスに向かいつづけます。そして1554年1月にワイアットの乱が起き、これを鎮圧したメアリはエリザベスを宮廷に召喚して訊問します。
苦:エリザベスはロンドン塔に収監され、それからも必死に無実を訴えますが、結論は出てます。
微:まあ、メアリとしては処刑しか考えてないだろうな。
苦:スペイン側が内乱を怖れて裁判を経ることを主張します。イングランド貴族は明確な証拠がないので助命を説得し、エリザベスはウッドストックへ移され、約1年間、幽閉されました。
微:収監を請け負ったのは名古屋入国管理局だったそうです。
苦:死んでるよ!! 1555年、エリザベスはメアリの出産に立ち会うために宮廷に召喚されました。
微:ああ、公開出産ね。公開初夜よりはいいけど。でも「ここでメアリと赤子が死ねば、私が次の女王よ・・・」と思いながら見てたんだろうなあ。
苦:残念ながらメアリの妊娠ではなく卵巣腫瘍で、彼女が子を産むと誰も思わなくなりました。
微:部屋かげでフェリペ2世とエリザベスがガッツポーズ&ハイタッチしてそうだな。
苦:1558年11月にエリザベスは姉の死を知らされます。遺言の最後の最後で次の王はエリザベスだとメアリは悔しそうに指名したそうです。
微:キミの採用試験合格通知みたいだな。「悔しいけど、合格とします」みたいな。
苦:キミが言うと本当に聞こえるところがすごいです。メアリとエリザベスは終生憎しみ合い続けました。メアリの命日はその後200年間、圧政から解放された祝日として祝われます。
微:「悪夢のような民主党政権」みたいに、後出しでも言った者勝ち。
苦:女王エリザベス1世(位1558~1603年)ですが、美しいと表現されることが多い彼女ですが、その顔に塗る白粉の量は半端ではなく、厚さ1cmに達したと言われています。
微:それでも鈴木その子には負けていたけどね。
苦:それは照明の技術差ということで。エリザベス1世は生涯を独身で終えました。外国の王族と結婚すれば属国になり、国内の貴族と結婚すればその貴族が国王となってしまうジレンマです。
微:「結婚できないんじゃないの、し・な・い・の!」だな。でも愛人はいたんだろ?
苦:それは後で。エリザベス1世は1559年に国王至上法を再発令し、統一法によって国教会を国家の主柱として位置づけ、姉の反プロテスタント的法を廃止しました。
微:記憶となるものを残したくなかったんだな。
苦:しかし、彼女の選んだ道は「中道」と呼ばれるもので、イングランドに混在するプロテスタントとカトリックがお互いを否定し排除することなく、共存できる道を選んだのです。
微:姉と共存できなかったくせに。
苦:当然ながらスペインとの対立が深刻化します。財政難を補うため私掠船に掠奪許可証を与え、スペイン船を掠奪をさせていたこと、スペインと独立戦争をしていたオランダを支援したためです。
微:スペインからすれば、オランダもイングランドも言うこと聞かないだけでなく、敵だと。
苦:こうして1588年、ついにスペイン無敵艦隊の侵攻を受けますが、海賊上がりのドレーク提督以下、アルマダ海戦において無敵艦隊を倒し大勝利を収めました。
微:420年でその呪いが解け、2008年にようやくEURO2008でスペイン代表は優勝できたんだな。
苦:懐かしいですね。本題ですが、エリザベスは「私は国民と結婚しました」と公言し、生涯独身であった事から処女王(the Virgin Queen)と呼ばれています。
微:知ってて騙されたふりしてからかう。それがイギリスのユーモア。
苦:特にロバート・ダドリーとは一時は結婚まで考えたようですが、その妻エイミーの事故死をダドリーとの共謀と疑われ、結婚を断念しています。
微:多額の保険金をかけていたことが仇となったそうです。
苦:紀州のドンファンじゃねえよ! なお、テューダー家がウェールズ出自のせいか、彼女の臣下にはフランシス・ドレークやウォルター・ローリーなどウェールズ系が多いです。
微:”ヨゴレ”マニアだったんだな。でも、テューダー朝は日本のプロレス史に置き換えるとわかりやすいな。ヘンリ8世が日本プロレスの父力道山。
苦:メアリ1世が王道のジャイアント馬場、エリザベス1世が後継者を育てなかったアントニオ猪木、弱いエドワード6世がラッシャー木村。
微:スコットランドに広がったヘンリ7世の血を引くステュアート朝が前田日明のUWF。
苦:じゃ、子供のスキャンダルが売りのエリザベス2世が娯楽路線のWWEか?(チャンチャン)
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