世界史漫才再構築版40:ジョージ・ワシントン編
苦:今回はアメリカ初代大統領ワシントン(1732~1799)です。
微:原子力空母、ホテルに靴屋、俳優やらやたらいるけど、親戚?
苦:全く関係ありません。
微:屋号だな。笑福亭とか、三遊亭とかと同じでワシントン一門。
苦:別に弟子入りしたわけでもありません。日本の鈴木さん同様に、英語圏ではありふれた姓です。
微:あれほど知的財産権にうるさいアメリカ人なのに、登録商標しないと中国で登録されるぞ。
苦:それを言い出すと漢字使用料を請求されますから。彼はヴァージニア州のワシントン家に生まれました。ヴァージニアの指導層とまでは行かず、中流のプランターだったようです。
微:鉱山経営やったのに中流とは、この時点で麻生太郎に負けているじゃねえか。
苦:彼の両親は共にイングランド出身だったので、典型的なWASP家庭ですね。
微:「わたしら、アメリカでは、少しは、プチブルかな?」の略だな。
苦:全然違うよ! その父はワシントンが11歳の時に死に、長兄が父の遺産の大半を相続します。
微:有能な弁護士を雇う金さえないくらいお金に不自由していたんか。
苦:ジャクソンでも少し勉強して弁護士なってますから、18世紀の弁護士なんてすぐになれます。
微:ハッタリと脅しでジャクソンは合格したそうです、「民兵呼ぶぞ」って。
苦:あり得ますが、やってません。20世紀末でも映画でディカプリオが結婚のため半年ほど勉強して合格してました。その設定が不自然ではないくらいの「その程度」のものなんです。
微:さりげに小室さんをディスるなよな。
苦:人を陥れないように。ワシントンは青年期に測量を学び、1749年に新しく作られたカルピーパ郡の測量士として初めて公職に就きます。
微:いきなり公私混同できる職に就いたんだな、目の付け所が違う。
苦:いや、眉毛の下です。この仕事で得た収入でシェナンドー渓谷に農園を購入し、これがその後のヴァージニア西部での資産拡張の始まりでした。
微:自分に都合のいい測量結果で登記できるもんな。資料館名目で京都に豪邸も買ってたんだろ?
苦:それは漢検一家だよ! 1749年7月に長兄ローレンスが死去し、マウントバーノン農園と一緒にヴァージニアの民兵隊長職を相続し、少佐となりました。
微:それを悪用して2021年1月に連合議会議事堂をProud Boysを先導して占拠したそうです。
苦:まだ独立すらしてねえよ! この相続は抱き合わせなんです、自弁武装が原則なので。
微:「職の体系」だな。
苦:それは中世日本の取り分の話! ワシントンの軍歴はここから始まり、1754年にヴァージニア市民軍の大佐に任命され、オハイオ渓谷のフランス軍を排除する作戦を指揮しました。
微:オハイオって完全にフランスのルイジアナだから、侵略だよ。
苦:最初の実戦でワシントンは指揮官を含むフランス軍10人を殺害しましたが、報復に出たフランス軍に数で圧倒され、降伏しました。
微:ヒット・アンド・アウェーが分かってないな。
苦:そしてこの事件がフレンチ・インディアン戦争の開戦を招いてしまいます。
微:一番の責任者じゃねえか! 暴走して功績挙げるつもりが泥沼にはまった関東軍みたいな。
苦:翌1755年のオハイオ奪回遠征でも負けます。1758年の遠征ではなんとか勝ちますが、これを花道に退役しました。
微:そのおかげでイギリス側はフレンチ=インディアン戦争に勝てたんだな。
苦:ワシントンはその後の16年間はヴァージニアのプランター、そして政治家として過ごします。
微:まあ、誰がどう見ても軍人としてはダメだわな。
苦:戦争最中の休暇で帰宅した時に、ワシントンはニューケント郡の裕福な未亡人、マーサ・ダンドリッジ・カスティスを紹介されます。
微:この時、ワシントンの「カネオスコープ」がかなりの査定額を示したそうです。
苦:金の亡者かよ!! ワシントンは初めて会ってから3週間の間にマーサの家を2回訪れただけで結婚を申し込みました。2人はともに27歳でした。
微:マーサに一目惚れなのか、彼女の財産に一目惚れなのか、どっちなんだ?
苦:余計なツッコミはいいの! 1759年1月に式を挙げ、2人はマウントバーノンに移動し、そこでワシントンは上流のプランターとして、政治にも関わりを持つ貴族的な生活を送りました。
微:しかし、日本語の「プランター」とはえらい違いだな。
苦:ガーデニング用具ですからね。ワシントンは結婚後も資産を増やし、ステータスを上げます。
微:タワーマンションの上層階に引っ越したんですが、停電に懲りたそうです。
苦:二子玉かよ!! 結婚時に妻の資産18,000エーカー(73平方km)からその3分の1にあたる土地を取得し、その後も何回も自分名義で土地を買い増していきました。
微:「最高入札者に抵抗する力をもつ者はほとんどいない」の言葉はこの時のものだそうです。この手口で資産額を水増しし、限度額を超えた融資を引き出し続けたそうです。
苦:ホリエモンかよ!! その上、フレンチ=インディアン戦争が終わると、その報償として現在のウェスト・ヴァージニア州にプランテーション設立特許も認められました。
微:海外に資産を隠す手段まで編み出したんだな。
苦:1775年までにマウントバーノンのプランテーションは2倍の6,500エーカーとなり、黒人奴隷を100人以上所有するまでになりました。これはもうかなりの資産家です。
微:あとは電通と業務提携を結んで、利益を環流させる中抜きグループ企業の設立だな。
苦:ワシントンはダメ指揮官でしたが、貴族然とした生活から軍人として尊敬されました。地域の指導者にふさわしい公職を経験し、1758年からはバージニア植民地議会議員にも選ばれます。
微:江本が監督を経て参議院議員になるような出世だな。「ベンチがアホだから」の一言だけで。
苦:余計なパラフレーズはいいよ! さて、ワシントンは1763年のパリ条約締結後に高まった本国への反抗運動の指導者ともなります。
微:増税反対の指導者として巨大な「しゃもじ」を持ってデモをしたそうです。
苦:昭和の消費者団体かよ!! タウンゼント諸法撤廃までイギリス製品の不買運動、つまりボイコットをヴァージニア植民地に呼びかけました。
微:演説が終わると、ウェッジウッドで紅茶を飲みながらくつろいだそうです。
苦:会食自粛を言いながらステーキ会食している自民党指導部のジジイかよ!! 本国製造業は大したことなく、転売による手数料と関税収入が本国の目当てなんで不買効果的なんです。
微:「嫌なら売らない」と一喝され、平謝りしたそうです。
苦:不買は止めていません。そもそも植民地代表が承認していない課税・増税は無効である、との抗議です。これは「マグナ・カルタ」で正当化できる主張でもありました。
微:まあ、まだアメリカ人ではなくイギリス人だもんな。
苦:急所を突かれた本国議会はタウンゼント諸法令を1770年に撤廃しました。
微:「ひろゆき」に論破されたくらい悔しかっただろうな。
苦:ヴァージニア植民地指導者に成長したワシントンは、茶法に始まる1774年の「耐えがたき諸法」を「我々の権利と主権に対する侵害」と見なして猛然と反発します。
微:バックマージンがなかったことが怒りを買ったそうです。
苦:ウソはいいです。7月にヴァージニア植民地議会で植民地代表を集めた大陸会議招集を求める決議を採択し、8月の植民地議会では第一回大陸会議の代議員に選ばれました。
微:小池っぽいな。自分の出世のための自作自演の臭いがプンプンする。
苦:その感触わかります。1776年にトマス・ペインの『コモン・センス』を読むまで彼は植民地の独立を支持していませんでした。植民地在住イギリス人として課税に反対したわけです。
微:靖国神社に参拝の肩書きを言わずに参拝する国会議員みたいな言い訳だな。
苦:1775年4月のレキシントン・コンコードの戦いで独立戦争が始まっていました。この戦い後、ワシントンは南部植民地の支持を受け、大陸会議が創設した植民地軍総司令官に任命されます。
微:私だけでしょうか。崩壊クラスの委員長選出のように聞こえるのは?
苦:うるさいよ! でも司令官ワシントンは、やはりダメダメでした。1777年1月にニュージャージーを奪還した以外、負け続けです。同年には暫定首都フィラデルフィアを奪われました。
微:乃木将軍なら、割腹自殺しただろうな、軍旗程度で気に病んでいたくらいだから。
苦:まあ、どちらもヘボ将軍ですから。ですがニューヨークを占領していたイギリス軍が孤立し、10月にサラトガで降伏します。
微:「他人を押さえつけている限り、自分もそこから動くことはできない」と勝ち誇ったそうです。
苦:その引用も文脈が違いませ。これが空母の名前にもなっている植民地軍の初勝利、サラトガの戦いです。植民地側は早速、独立後の暫定憲法にあたる連合規約を制定します。
微:開幕日に阪神優勝マジック144の看板を揚げる尼崎中央商店街並みの脳天気さだな。
苦:ローカルな譬えはいいよ! ですがこの小さな勝利が結果として、フランクリンの尽力もあってフランスのアメリカ側参戦を引き出します。罷免寸前のワシントンも救われたわけです。
微:尼信のタイガース勝ち星連動利率定期預金みたいな展開だな。
苦:1781年に植民地軍とフランス陸軍と艦隊が、ヴァージニア州ヨークタウンでイギリス軍包囲作戦を仕掛けます。ワシントンもこの戦いに加わっていました。
微:しくじらないか心配で「私の一番の願いは、人類の病である戦争が地上から消え去るのを見届けることだ」と言って何もしなかったんだろ?
苦:それは大統領になってから。包囲されたイギリス軍は降伏し、植民地側の勝利が決まりました。
微:宿営地周囲にはタバコしかなくて、食糧難になったことが降伏の理由でした。
苦:関係ありません。ワシントンは成功者として知られてますが、軍人としては失格です。
微:日本で言うと、負け続けているけど要所で勝った徳川家康みたいなもんだな。
苦:1783年のパリ条約でアメリカは独立を達成し、ワシントンは陸軍最高司令官を辞任します。
微:まあ、しくじる前にきれいに引退した方が、次のチャンスが来るもんな。
苦:そのとおりです。独立と「アメリカ合衆国」の国家承認は1783年のパリ条約で決まりますが、アメリカで講和会議が開催されたら、とんでもなくまずいことになってたはずです。
微:またフランス系が攻めてくるとか?
苦:いえ、13州はそれぞれ自分を主権国家と思ってましたから、連邦政府の実態が微塵もないことが諸外国にばれてしまうからです。暫定的連邦にすぎず、正式な連邦政府はなかったんです。
微:まあ、増税反対一揆の烏合の衆だもんな、実態は。
苦:諸外国と外交関係を結ぶにも連邦政府と国家元首を決めなければなりません。そこで1787年に暫定首都のフィラデルフィアに各州の代表が集まって憲法を議論することになりました。
微:連邦政府維持費が税金として上乗せされるんだから、難航するのはバカでもわかる。
苦:ワシントンは説得されて1787年の憲法制定会議に出席し、満場一致で議長に選出されました。
微:ヤラセっぽいな。まあオリンピック組織委員会よりはマシか。
苦:北部を中心とする連邦派と南部の版連邦派との対立がありましたが、できあがった憲法草案をワシントンは支持し、ヴァージニア州が最初となって全13州が合衆国憲法を批准しました。
微:そういう説明の仕方だとレミングの川への暴走のように聞こえるな。
苦:それはキミがひねくれているからです! 最初の大統領選挙は1789年2月4日に行われ、選挙人投票で100%の票を得てワシントンは初代大統領に当選しました。
微:100%の信任を得られるのは北朝鮮しかないと信じていたのに・・・・
苦:夫の大統領就任は静かな引退生活を望んだ妻マーサにとって驚きだったようです。
微:そりゃ、本腰いれてプランテーション経営してもらわないと困るもんな。
苦:でも、大統領夫人にふさわしく見えるよう、あれこれ準備してます、彼女。
微:南部の貴族的な社交界をイメージしていたんかな。
苦:ワシントンは肩書きや衣装が共和主義者として適切であるように心がけたそうです。社長とも訳せる「Mr. President」という肩書きが威厳のある称号になったのも彼の功績でしょう。
微:Mr. オクレだったら情けないし、ただのプレジデントなら中小企業の社長だもんな。
苦:閣僚には国務長官にトマス・ジェファソン、商務長官にアレクサンダー・ハミルトンなどを起用しました。彼は政党は党派的対立を生み、国家を分裂させる原因になると考えていました。
微:そりゃ王党派が復活したら困るもんな。
苦:「我々には政党はいらない。なぜなら、我々はすべて共和主義者だからだ」と言ってましたが、皮肉にも親密なアドバイザーであった2人が連邦派と反連邦派の党派を形成してしまいました。
微:元祖と本家、表と裏の分裂はどこでもあるわけか。
苦:ワシントンは大統領職2期目も気乗りせず、さすがに3期目は拒否しました。大統領職は2期8年という先例を作ります。
微:慣例だもんな。F.ローズヴェルトは形式上は4回立候補・当選しているもんな。
苦:アダムズ家、ブッシュ家のような親子大統領は想定してたんでしょうけど。
微:じゃあ夫婦で16年、しかもヘタすれば元夫婦で、という事態はどうだろ?
苦:それはSNSとロシアを悪用したトランプで阻止されたわけですが。
微:しかしバートン監督の『スリピー・ホロウ』は1799年のニューヨーク郊外のオランダ系移民の村が舞台だけど、あんな迷信と狂信が混ざった状況は当時の社会の一面だもんな。
苦:宗教国家かつ人種主義国家がアメリカです。ヴァージニア州はタバコ、綿花のプランテーションと黒人奴隷制が定着した南部社会でした。初期の大統領はアダムズ家以外は奴隷所有者です。
微:共和主義の「建国の父」も、目指したのは貴族的共和主義だったと。
苦:醜い現実を糊塗するためではなく、未来へ理想の実現を託したものとして合衆国憲法は理解すべきです。まあ、女性と黒人が実質的に人として認められるのも20世紀入ってからですし。
微:特殊扱いしたくないけど、やはりアメリカは特殊というか奇行種だな。