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世界史漫才再構築版22:イングランド王ジョン編

 苦:今回はイングランドのジョン王(位1199~1216年)です。
 微:知ってる、知ってる。確か兄がモナ王、弟が田中マルクス闘莉王だろ。
 苦:どんなボケだよ! ロッテの安物アイスクリームとサッカー選手だろ! イングランドのプランタジネット朝第3代の王です。
 微:ああ、思い出した。この名前が付けられた王が以後は一人もいないため、○世が付かない奴だな。原田知世でも川崎麻世でも付いているのに。
 苦:その世は順番を示す記号じゃねえだろ!
 微:ごめんごめん。そうそう、遭難してアメリカ西海岸で救助されたんだったな。
 苦:それはジョン万次郎こと中濱万次郎! プランタジネット朝の祖ヘンリ2世の末子です。ヘンリ2世が幼年のジョンにイングランドの領地を与えなかったことから欠地王と呼ばれます。
 微:それって、一番大事なフランスのアンジュー伯領は持っていたって優遇じゃないの?
 苦:まあ、フランス貴族として行動してましたしね。また教皇インノケンティウス3世やフランス王フィリップ2世と争って、領地を大幅に失ったため失地王とも呼ばれます。
 微:なんか畑に使えない沼地とか干潟を集めたマニアみたいだな。
 苦:それは渡り鳥が過ごす湿地で、ラムサール条約で保護されている対象だよ! 仇名の失地王を理解するために、ここでイングランドとフランスとのややこしい関係をおさらいしておきます。
 微:湿地だから浚渫というか水抜きは大事だもんな。
 苦:湿地から離れろ! 事の発端は1066年ノルマンディー公ギョームのイングランド征服、歴史用語で言うところのノルマン・コンクェストです。
 微:バイユーのタペストリーに描かれているやつだな。高校生には教育上良くない部分が描かれていないとこだけ小さく切り取って資料集に出てくる。
 苦:確かに。牡馬だらけで、それがわかるようにはっきり描かれてます。
 微:本当、ノルマン騎士が乗っていた馬って雄ばかりだな。種付けを餌に奮起させる作戦?
 苦:余計な下ネタ入れるな! おそらく先駆けが牝馬という作戦でしょう。
 微:それに近い話を『平家物語』で読んだ記憶がある。間違ってたらゴメン。
 苦:ノルマン系のフランス貴族だったギョームは征服により、イングランド王ウィリアム1世に即位します。ですが、依然としてフランスのカペー朝王権の封建臣下でもありました。
 微:日本国首相がアメリカ国務省の現地責任者程度でしかないようなもんか?
 苦:そこまでひどくはないですが、そのために別の国なのに一体化してしまうんです。
 微:かなり古いがベトちゃんとドクちゃんみたいなもんか?
 苦:それは枯葉剤のダイオキシンによるシャム双生児症です! イングランド王でありながらフランス王の臣下である上に、本拠地・経済的拠点もフランスでした。
 微:まさにリアル日米関係。孫崎先生も「禿同」してくれるぞ。
 苦:しかもイングランド国王なのに、家臣も含めて英語ではなくフランス語をしゃべるという訳のわからない事態が生まれたんです。
 微:それで日本の文科省は雇用される側に適した英語教育を大学で進めているんだな。
 苦:しかもノルマンディー公からするとイングランドは日本の北海道というか田舎の避暑地みたいなもんです。今も英単語の"country"は国と田舎を意味するでしょ。それです。
 微:じゃあ、デンマーク領グリーンランドはどうなる? まあ、氷だらけの島がアイスランドを名乗ったのもあるだろうけど。
 苦:デーン人も含めて、ノルマン系にしかわからない区分があるんですかね。まあ、今言ったデーン人も1016年にイングランドを征服してデーン朝を建ててますから、ややこしいです。
 微:まあ、ビザンツ帝国やグレゴリウス7世のところで登場した11世紀末のロベール・ギスカールもノルマンディー公国出身だし、11世紀はノルマンの時代としておこう。
 苦:話を戻すと、ウィリアム1世の血統が途絶えたため、イングランド王になる権利はフランス貴族のアンジュー伯に移ります。これも血の繋がりの濃い順番からです。
 微:王家同士の政略結婚は話を一瞬でまとめるにはいいが、後で話をややこしくするな。
 苦:そのアンジュー家がイングランドではプランタジネット朝と呼ばれたわけです。
 微:リングではアントニオ猪木、参議院では猪木寛二を名乗ったようなもんか?
 苦:全く違います! 父ヘンリ2世は末子ジョンを溺愛していました。ヘンリ2世は1184年にはアキテーヌ公領をジョンに与えようとし、それがリチャードの離反を招きます。
 微:第3回十字軍に参加してサラディンと死闘を演じた後のリチャード1世だよな。
 苦:この親子の不和のなか、ついに1188年に父ヘンリ2世と王太子リチャードの争いが起きます。
 微:うまくアンジュー伯領というケーキが切れなかったんだな。
 苦:犯罪少年かよ!! ジョンは当初は父側に付くんですが、リチャードの勝利が確実になると兄側に寝返り、それがヘンリ2世にはショックで、その死を早めたと言われています。
 微:このジョンを人生の師と仰ぐ教育をイタリアは国を挙げてやったんだな、統一後に。
 苦:イタリアは節操ないですが、関係ありません。そんなわけで長子リチャードが王位を継承します。そのリチャード1世は十字軍遠征やフランスとの戦いに明け暮れ、イングランドにいません。
 微:それに困ったamazonが置き配を始めたそうです。
 苦:それは2021年だよ!! 兄の留守をいいことに、王位簒奪を夢見ていたジョンは、リチャード1世からフランスに留まるよう指示されてましたが、勝手にイングランドに戻ります。
 微:楽器運搬用のケースに隠れて出国したそうです。
 苦:それはカルロス・ゴーンだよ!! そしてジョンは勝手にイングランド統治に関与します。
 微:要するに、家茂を差し置いて、京都で将軍のように振る舞った慶喜だな。
 苦:島津久光の方が近いですね。さて、そのリチャード1世がドイツで幽閉されると、ジョンはフランス王フィリップ2世と提携してイングランド王位を狙います。
 微:しかし兄の留守中ばかりを狙うって、家庭内空き巣というか、「不在の国の空き巣」だな。
 苦:無理して不思議の国のアリスに引っ張らなくていいです。しかし重臣やイングランド諸侯の支持を得られず、目的は果たせませんでした。
 微:しかし、卑怯というか、手段を選ばないというか。しかも人望がない。
 苦:本来なら王位につく可能性は少なかったのです。しかし、1199年にリチャード1世が戦死してからジョンをめぐる状況が一変します。
 微:この状況を描いたのが『一遍上人絵伝』です。
 苦:まったく関係ありません。リチャード1世はジョンの上の弟ジェフリーがもうけたアーサーを王太子としていました。まあ、ジョン排除シフトです。
 微:しかし、アーサーというケルト系の名前が気になるな。母はウェールズとか出身?
 苦:そのアーサーはフランス王フィリップ2世と親しかったことが災いします。フランス系諸侯に圧迫されることを恐れたイングランド諸侯がジョンのイングランド王即位を実現したわけです。
 微:人望がないけど、他に人材がいないから首相になったアベやアソーのようなもんだな。
 苦:ま、似たようなもんですね。で、失地王の由来に入ります。ジョンは1200年に結婚するのですが、相手は既に婚約者のいたイザベラ・オブ・アングレームでした。
 微:『女性自身』で言うところの略奪婚だな。
 苦:さしづめ『卒業』のダスティン・ホフマンですか。
 微:オレには『レインマン』のダスティン・ホフマンに見える。
 苦:イザベラの元婚約者は1202年に主君であるフランス王フィリップ2世にこれを訴えます。フィリップ2世は臣下であるジョンを法廷に呼び出すのですが、ジョンは拒絶します。
 微:「留守なら行きます」との手紙を送ったそうです。
 苦:どんだけ卑怯だよ!! フィリップ2世は出廷拒否を理由にジョンに保有権のあるフランスの全領地剥奪を宣言しました。
 微:フランス王とその臣下だから、そういう強硬な判決というか決定が出せるんだな。
 苦:その上、ノルマンディーを除くアンジュー家領を仲良しだったアーサーに与えました。自分のことを棚上げして、ジョン王はフィリップ2世とアーサーに対して戦争をしかけました。
 微:町内会の草野球チームだな、助っ人の方が正式なメンバーよりやたら強力って。
 苦:余計な譬えはいいよ! 劣勢のジョン陣営でしたが、1203年にポワティエでアーサーを捕えます。そのアーサーが消息不明となったため、ブルターニュの諸侯はジョンに反旗を翻しました。
 微:「面会室のアクリル板を外して脱走した」「カメラが故障していた」としらばっくれたそうです。
 苦:自転車で日本一周でもするんかよ!! ジョンはフランス貴族たちの人望を既に失っており、フランス王の攻勢の前に、わずかにアキテーヌの中心地ガスコーニュだけを保持していました。
 微:つまり他はすべて失ったと。
 苦:その通りで、1214年までにフランスの領土をほとんど失いました。
 微:ヘタレだな、ほんとに。しかしフランスを本貫地とするイングランド貴族の怒りは鎮まらないだろうな。
 苦:そりゃそうです。自分たちは悪くないのに、しゃしゃり出てはひきこもる最低の王のためにひどい目に遭うわけですから。
 微:この封建社会の怖さと、疚しい首相の情けなさは今の日本国民はがよくわかるよな。
 苦:西欧諸国は暴力団、組長みたいなもんです。次に教皇インノケンティウス3世との確執です。欠員状態のカンタベリ大司教の後任に教皇は1208年にスティーヴン・ラングトンを推します。
 微:萌えたな、推すくらい。
 苦:芥川賞じゃねえよ! ジョン王はそれを拒否し、イングランド諸侯の多くもジョンを支持したんですが、1209年に教皇はジョンを破門します。
 微:「カンタベリはイングランドの主権に服している。外国の内政干渉は一切、断固拒否する」と、高飛車な中年女性が記者会見でまくし立てたそうです。
 苦:中国じゃねえよ!! ジョンは破門を無視し、逆に没収した教会領収入で軍備増強を計りました。
 微:「ドーヴァー海峡はイングランドの主権の範囲内だ」と記者会見で強気に言ったそうです。
 苦:南シナ海かよ!! 1213年にインノケンティウス3世がフィリップ2世のイングランド侵攻を支持すると、これに呼応してイングランド諸侯の反乱が計画されました。
 微:ことわざ体現人間だな。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、貧乏金なし。
 苦:最後のは暇なしだろ! 苦しくなったジョンは1213年に謝罪、つまり教皇に屈しました。
 微:ゴメンナサイって百回書いて提出したそうです。
 苦:それは小学校時代のキミです。その時、ジョンは反省の意思を示すためにイングランド全土を一旦は教皇に献上しました。しかし、迷える子羊を救うことはキリスト者の務めです。
 微:この時、「謝罪の姿勢を示したら必ず返還する」と密約が交わされたそうです。
 苦:沖縄の本土復帰かよ!! 恭順と反省を示されたら教皇も赦しを与えざるを得ません。
 微:ただし、「治外法権は消滅する」と密約に書き忘れたそうです。
 苦:それ日本本土も。ジョンはローマ教皇の封建臣下となり、イングランドは返還されたわけです。
 微:しかし、本当にジョンってバカだろ。
 苦:ジョンはただのバカではありません。ジョンが教皇の封建臣下になったため、フィリップ2世によるイングランド侵攻は不可能となりました。このあたりの駆け引きはある意味天才的です。
 微:また日本の先例としてのジョン王が登場したな。
 苦:フィリップ2世は代わりに、かねてから反抗しているフランドル伯を攻めましたが、イングランド海軍の援軍によりフランス王軍は船舶の大半を失って撤退しました。
 微:突出した人間を社会的同調圧力で潰すのは同質社会日本だけではなかったのか。
 苦:誰が比較文化しろと言った! そして大陸領土奪回のために海軍を整備し、フィリップ2世と対立する神聖ローマ皇帝やフランドル伯と提携します。
 微:オーブを俯瞰するだけじゃなかったんだな。
 苦:しかし大陸領土喪失による収入減を補うため、イングランドに重税を課しました。諸侯・庶民の不満は限界近くまで高まっていました。
 微:熱狂的支持から、手のひらを返すのは小泉や橋下を支持した日本人だけではなかったんだな。
 苦:比較文化はいいよ、もう! ブーヴィーヌの戦いからイングランドに戻ったジョンを待っていたのは、諸侯から庶民にいたるまでの溜まりに溜まった不満でした。
 微:休業給付金申請書類が無限ループに入ったら出られないことが拍車をかけました。
 苦:名ばかり給付金制度は日本です。諸侯との内戦になり、ジョンを見限る諸侯が多く、1215年にラニーミードにおいてマグナ・カルタを認めることで和解しました。
 微:でかいカルタだな。『泣きっ面に蜂』『恥ずかしながら帰ってまいりました』とかの札があって。
 苦:カルタはチャーター、憲章というか箇条書き項目だよ! ここでジョンは教皇インノケンティウス3世に働きかけ、マグナ・カルタの破棄と反乱諸侯の破門を命じてもらい反撃に転じました。
 微:どっちも節操がないというか、勝てればいいのかよ。
 苦:わずか2ヶ月でマグナ・カルタは廃棄され、貴族たちはフィリップ2世の長男ルイの支援を得て反乱を起こします。その戦乱の中、1216年10月にジョンは赤痢であっけなく死去しました。
 微:諸侯はフランスの介入が嫌で、息子のヘンリ3世即位を支持したんだろ、節操ない。
 苦:なお「ジョンの評判が悪かったため、以降のイギリス王でジョンを名乗ったものはいない」という俗説がありますが、これは半分しか当たっていません。
 微:え、オレはチャールズが即位して内乱が21世紀に起きると期待していたのに!
 苦:プランタジネット朝にはジョンという名の王子は何人もおり、ランカスター家の祖もジョン・オブ・ゴーントです。長子には付けられないので、王になれなかっただけなんです。
 微:運の悪い名前なんだな、イングランド王室には。「崇」の付く天皇みたいだな。
 苦:順序が逆だろ! この世に恨みを残した天皇・皇子に後の時代に付けたんだよ!(ペシッ!)

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