(4)ウルトラマン、国際連合、日米安保条約~メフィラス星人が突きつけた問い~
4.メフィラス星人と「禁じられた言葉」
(1)第33話「禁じられた言葉」
この話は航空ショーを見学に来たフジ隊員の弟サトル君にだけ話しかける声から始まる。その声の正体はメフィラス星人で、ハヤタ隊員、フジ隊員には聞こえない。サトル君だけに語りかける。そして空で信じられない出来事を起こし、科学特捜隊の目がそこに向かっている隙に3人を自分の宇宙船に拉致する。しかしメフィラス星人は奇妙な行動を延々と繰り返すのだ。それはサトル君の口から「この地球をあなたにあげます」と進んで言わせることだった。誘惑と言ってもいいだろう(1)。
次の会話の主要部分抜き出しを見て欲しい。
①自己紹介と最初の説得
私は遠い宇宙の彼方からやってきたメフィラス星人
私の星から地球とサトル君を見ているうちに、どうしても地球が欲しくな ったんだ
でも私は暴力は嫌いでね
そこで地球人であるサトル君に了解を得ようと思ったんだ
サトルくんは素晴らしい地球人だ
どうだね、この私にたった一言、
「この地球をあなたにあげます」と言ってくれないかね
(サトル君)
いやだ! 絶対にいやだ!
②2回目の説得
そうだろうね 誰でもふるさとは捨てたくないもんだ
でもこれをごらん 宇宙は無限に広くしかも素晴らしい
地球のように戦争もなく、交通事故もなく
何百年何千年と生きていける天国のような星がいくつもある
どうだねサトル君
地球なんかさらりと捨てて、そういう星の人間になりたくはないかね
(サトル君)
いやだ!
③メフィラス星人、キレる
(メフィラス星人)
聞き分けのない子だ(無重力状態にサトル君をする)
なぜ「この地球をあなたにあげます」と言えないのか
私はきみが好きだ
わたしの星で永遠の命をあげようと言ってるんだぞ(背後でハヤタの笑い声)
うぅー、黙れウルトラマン! 貴様は宇宙人なのか? 人間なのか?
(ハヤタ隊員)
両方さ 貴様のような宇宙の掟を破る奴と戦う為に生まれてきたのだ
(メフィラス星人)
ほざくな!
④3回目の説得
サトルくん気分はどうかね
「地球をあなたにあげます」となぜ言えないのか
⑤科学特捜隊への挑発
私は人間の心に挑戦するために来た
もうすぐサトル君が私の頼みを聞いてくれるだろう
⑥最後の説得
サトル君、よーく考えるんだぞ
大きな星の支配者にだってなれるんだぞ
メフィラス星人がサトル君に言わせようとした「この地球をあなたにあげます」。これがタイトルが示す「禁じられた言葉」である。上に引用した延々と続く「押し問答」(誘惑)と並行して、メフィラス星人は市街地に「巨大フジ隊員」を登場させビルを破壊する。さらにザラブ星人、バルタン星人、ケムール人を自分の手下として登場させ、科特隊と警察に自分の力を見せつけていた。
科特隊本部はこの間に怪電波を捉え、3人の救出とメフィラス星人攻撃に向かい、それを航空自衛隊らしき部隊が援護する。戦いの最中に科特隊は宇宙船に入り、フジ隊員とサトル君を救出するが、メフィラス星人によって変身ポーズのまま金縛りになったハヤタは放置される。しかし攻撃で宇宙船が激しく揺れて前向きに倒れたハヤタはその反動でウルトラマンに変身した。
宇宙船を失ったメフィラス星人は巨大化し、お互いによく知っている者同士ウルトラマンと戦うが、光線技も肉弾戦も互角で勝負はつかない。突然メフィラス星人は戦いをやめる。そしてウルトラマンにしか聞こえない声で以下のように語り、姿を消す。
止そう、ウルトラマン。宇宙人同士が戦ってもしょうがない
私が欲しいのは地球の心だったのだ
だが私は負けた 子どもにさえ負けてしまった
しかし私はあきらめたわけではない
いつか私に地球を売り渡す人間が必ずいるはずだ
必ず来るぞ
この話を筆者が初めて見たのは、再放送だが、それでも小学生になるかならないかの年齢だった。わかりやすい「怪獣プロレス」を期待していた筆者は「何なんだ、この話は?」と頭の中が疑問符だらけになった異色の作品だった。メフィラス星人がサトル君に言わせようとした「この地球をあなたにあげます」だが、普通に考えても、一方的に目を付けた小学生の男の子に一言「この地球を私にあげます」と言わせて何の意味や効果があるのか(2)。地球の運命を決める決断をする者、つまり誘惑に耐えなければならない者が、なぜ一少年なのか。この疑問は小学生になる前の筆者の頭に残った。というよりも、この話のあまりの異様さに頭の中に異物として残ってしまった。それくらい強烈な体験だった。高校2年生だった1979年の再放送でもわからなかった。
この難解な「禁じられた言葉」を『ウルトラマン』終盤に持ってきた金城哲夫、彼が訴えたかったことは何だったのか。そして第37話「小さな英雄」でイデ隊員に「やらせ」同然で怪獣を倒させた上で(3)、最終話となる第39話「さらばウルトラマン」で、ウルトラマンを倒したゼットンを科特隊に自力で倒させた金城の意図は何だったのか(4)。
(2)「禁じられた言葉」を読み解く
沖縄と本土の境界人としての金城の軌跡、アメリカ軍政下にある沖縄、沖縄と日本の関係を重ねてることでそれは浮かび上がってくる。
ここから筆者の読み解きに入るが、メフィラス星人は戦闘力ではウルトラマンと互角な上に、バルタン星人、ザラブ星人、ケムール人といった3人の「大物侵略者」を子分として従えている。しかしその戦闘力・超能力を自分も発揮しないが、子分格の宇宙人にも発揮させない(5)。行使しないがちらつかせることが最大の防衛力を発揮する武力とは、まさに「核抑止力」である。そう、メフィラス星人は最大の核戦力を保有し配備していた超大国アメリカを擬人化したものなのだ。
前節でウルトラマンが金城の意図に反して日米安保条約(アメリカ)を体現するものと視聴者の目に映っていたと筆者は指摘した。その指摘とメフィラス星人はアメリカを擬人化しているとの筆者の仮定は矛盾する。しかし、この矛盾は金城自身が抱えた矛盾、さらに言えば国際連合の理想と現実の矛盾、そしてアメリカそのものの矛盾でもあった。
金城がウルトラマンの世界観として打ち出したのは、1942年に軍事同盟として成立した国際連合(連合国)が、国連憲章の理想通り、加盟国の安全と主権を守る平和な世界のイメージを見せることだった。しかし、現実にはアジアでは東西対立を背景に熱戦が起きていた。アジア・アフリカ諸国は1955年のバンドン会議において非同盟外交で一致し、1960年にはアフリカに17の独立国が誕生したが、新しい紛争や対立が生じていた。それを調停ないしは力で解決できる超大国的権力が必要悪として要請された。それこそまさに国連安保理(アメリカ)が果たす役割だった。日本に平和憲法、戦後の経済復興、高度経済成長をもたらしたのはアメリカだったが、そのアメリカは沖縄の意思を踏みつけにしている征服者でもあった。
金城は自らの理想(ウルトラマン思想)が破綻していくことに無自覚な訳はなく、人類(日本)がウルトラマン(アメリカ)に頼れば頼るほど、日本の本当の意味での主権回復は遠のき、沖縄はアメリカ軍・日本政府に追い詰められていくことに気づいていた。アメリカの信託統治という名の軍政下では、琉球行政主席は軍用地強制使用の代理署名用のための飾り物にすぎず(6)、米軍高官経験者の指定席である琉球高等弁務官こそが沖縄の最高権力者だった。「境界人」金城は、ウルトラマンの脚本を書きながら、以下のような疑問につきまとわれたのではないか。
「アメリカに日本を守る力がなくなったら、日本政府は沖縄を守ってくれるのか」
「本土は沖縄がその意に反して基地の島になっていることを知っているのか」
「沖縄が日本に返還される時、本土は対等な国民として沖縄県民を扱ってくれるのか」
「沖縄が本土に復帰したら日本政府は米軍用地の返還を実現してくれるのか」
「沖縄がアメリカの意志に背いたら、日本政府や国際連合はどちらの側につくのか」
「本土復帰後、日本政府が進んでアメリカに沖縄を差し出すことはあるのか」・・・
番組スポンサーは政治色が出ることを徹底的に嫌った。そこで非常にわかりにくい形で金城はアメリカと沖縄の関係、つまり本土とアメリカに踏みつけられている沖縄を描いた。そのためにアメリカの軍事力をウルトラマンとメフィラス星人に分離し、アメリカの醜い正義を体現するメフィラス星人、金城の分身としてウルトラマンを登場させるという形になったのだ。こう考えると「禁じられた言葉」の意味は明白になる。メフィラス星人の「お前は宇宙人なのか、人間なのか」とのウルトラマンへの問いは「お前(金城)は本土の人間(ヤマトンチュー)なのか、沖縄人(ウチナンチュー)なのか」に置き換わるからだ。
金城はこの話で子どもでも地球(沖縄)を売り渡したりしないのだと訴えた。だがメフィラス星人がウルトラマンに発した問いは自身に撥ね返り、金城は架け橋となることを断念した。アメリカが沖縄で行った問答無用の土地接収と基地化、それを沖縄の意志であるかのように見せる統治を本土の子どもたちに突きつける覚悟をきめたのだ。
平和の使者ウルトラマンは戦後のアメリカと日本、日本と沖縄の関係を見えない背景に持っていた。そして金城哲夫は自らの分身として一度だけウルトラマンを登場させ、アメリカと沖縄の歪んだ関係を「禁じられた言葉」で描いた。私も含めた当時の子どもたちは突きつけられた異物の正体が理解できずとまどい、たじろいだのだった。
(3)サトル君はもういない
「メフィラス星人が何をしたかったのか」という疑問は、意識されないまま筆者の頭の中に残り続けた。筆者が自分なりに納得できる解答を見出したのは、最初の放映から30年近くが経った1995年の秋だった。沖縄で起きた米兵による女子小学生婦女暴行事件をきっかけに10月21日に開催された日米地位協定の改定を求める反基地県民大会の盛り上がりと、日米地位協定破棄を日本政府に求めての大田昌秀沖縄県知事(7)による米軍基地用地強制使用の代理署名拒否、それに対して日本政府が起こした知事に対する立会と署名を求める訴訟、すなわち「代理署名裁判」(正式には行政命令執行訴訟)(8)を通してだった。それらを見て、筆者の頭と心の中で「禁じられた言葉」という異物は氷解した。
メフィラス星人とは、(本土復帰後も)沖縄に駐留しつづけるアメリカ軍であり、サトル君は基地のない沖縄を望む沖縄人・琉球政府行政主席・沖縄県知事であり、「禁じられた言葉」とは、「沖縄の土地をいつまでも自由に使ってください」と沖縄人が自らアメリカ(と日本政府)言うことである、と。
最終話で金城はウルトラマンを死なせ、科特隊は自力でゼットンを倒した。この結末はウルトラマン思想の破綻、金城の沖縄人として生きる決意、沖縄のアメリカからの自立を目指す覚悟を示すものだった。沖縄帰還後の金城が、沖縄の歴史をたどり直し、沖縄劇を通して沖縄ナショナリズムの発信に情熱を注いだことがそれを証明しているだろう。
1969年にニクソン大統領は沖縄返還を決断したが、それは「沖縄への核持ち込み密約」とセットだった(9)。その年に金城一家は沖縄に帰還したが、第1章で述べたように、1954年に本土に渡った金城は1956年からの「島ぐるみ闘争」を自分の目と耳と肉体で経験していなかった。ラジオやテレビ、沖縄劇で活躍しようとも、沖縄人になりきれなかった金城は、どんな目で1970年のコザ騒動を見たのだろうか。
金城がウルトラセブン最終話で描いた「力尽きて母国に帰還するアメリカ」の予言は、1971年のニクソン・ショックと国連における中国代表権交替、1972年のニクソン訪中、1973年のベトナム戦争撤退で成就するかに見えた。1976年に金城は失意のうちに死んだが、それは結果的に幸せなことだった。なぜなら、もう本物のサトル君はいなくなり、メフィラス星人の言葉通り、「地球(沖縄)を売り渡す人間(日本政府)」が現れたからだ。1971年、返還を前に日本の国会は「沖縄における公用地等の暫定使用に関する特別措置法」を制定し、1972年の沖縄の本土復帰後も米軍が基地・軍用地を強制使用できるようにしたが、これは始まりにすぎなかった(10)。
「代理署名訴訟」で一旦は沖縄県に譲歩した日本政府は、1996年の最高裁判決確定の追い風の中、1997年に「駐留軍用地特措法」を改定し、収用委員会の裁決が出るまで暫定使用ができる上に、裁決に起業者(那覇防衛施設局長)が不満である場合には建設大臣(現在は国土交通大臣)による審査請求を可能にし、しかも審査期間中は強制使用できることになった(11)。さらに1999年には「地方分権一括法」が沖縄選出議員と共産党を除く圧倒的多数で可決・成立し、その結果、「米軍に提供する土地に関しては、私有地であれ公有地であれ、総理大臣の一存で、取り上げることができるようになった」(12)。日本国は立法・行政・司法の三権が「三位一体」となって沖縄県民への米軍基地負担固定化を強いてきた(13)。金城哲夫が突きつけた問いは、多くの人間が気づかないまま、もう20年前に発することすらできなくなっていた。
(4)相似形としての沖縄/日本/アメリカ
裂け目のように金城哲夫が沖縄ナショナリズムを発揮した「禁じられた言葉」。
ウルトラマンと人類・地球人の関係は「アメリカと日本の特別な関係」にとどまらず、日本と沖縄の関係も想起させる。1609年の薩摩藩による琉球王国侵攻と収奪、1879年の琉球王国併合(琉球処分)。沖縄はヤマトの一部となったが、決して本土とは法的にも対等に扱わず、戦時中は「防諜」監視の対象、つまり敵と通じている民族と扱われた(14)。
地租改正事業、戸籍作成、衆議院議員選挙・被選挙権の承認、県会、市町村会の導入、大日本帝国憲法施行、徴兵制施行など政治的・行政的扱いにおいて、沖縄は本土よりも朝鮮、台湾つまり植民地に近い地位にあった。第2次世界大戦で地上戦が行われた地域がすべて帝国日本の本土外だったことを思うと、沖縄は「固有の領土」であっても「固有本土」ではなかった(15)。アメリカもハワイ、プエルトリコ、グアムといった州であれ、自治領であれ、国内植民地を有する帝国構造を今も持ち、それらは本土に置けない危険な米軍基地の設置場所・戦略拠点でもある(16)。
薩摩藩は琉球王国を「属国」とした後も、対明・対清貿易のために琉球に「独立国」(17)のふりをさせたが、それはアメリカが日本政府に主権国家のふりさせているのと同型ではないのか(18)。アメリカが日本の完全な主権を認めないように、日本政府が沖縄県民の意志を「国民の声」「主権者の声」として認めていないことは、オスプレイの配備、辺野古沖埋立工事を巡る日本政府による沖縄県の県民意志無視に明らかに現れている(19)。
本土(われわれ)の沖縄に対する冷淡な民意無視は、合わせ鏡のように、一方的な要求を受け入れるのが当然のこととして振る舞うアメリカ政府・国防省の姿と、アメリカの意向を忖度することに汲々とする日本政府との相似形なのである。
註
(1)白石雅彦『「ウルトラマン」の飛翔』(双葉社、2016年、311-323頁)によると、決定稿ではサトル君が拷問に負けて「あなたにあげます」と言ってしまうが、後でハヤタが「あの言葉はウソだ」とひっくり返すことになっていた。撮影段階で放映された形に変更されたのだが、この判断が金城によるものなのか、監督の鈴木俊継によるものなのかはわからない。だが、脚本通りでも「自発的な形をとって強制している」という沖縄とアメリカの関係(基地の現実)に変わりはないが、作品としての奥行きは損なわれていただろう。なお、ホームレスの老人に「この地球をあなたにあげます」と言わせたらどうなるかを描いたのが二次創作『ウルトラゾーン5』(円谷プロ、2012年)の「メフィラスの食卓(前・後)」である。
(2)相手が1967年当時のブレジネフ書記長やジョンソン大統領のような権力者、あるいはマハトマ・ガンディーのような人間ならば、メフィラス星人の誘惑(脅迫)に屈服させることの心理的・道徳的効果は絶大だろう。
(3)ウルトラマンに頼りっぱなしの科学特捜隊を情けなく思ったイデ隊員に自信を取り戻すため、怪獣酋長ジェロニモンをウルトラマンがとどめを刺す寸前までやっつけ、そこでイデ隊員が開発した新兵器で倒させる話。
(4)話は少し込み入るが、ウルトラマンが戦死し、科学特捜隊が宇宙恐竜ゼットンを倒し、ゾフィーが現れるまでは同じであった。最初の決定稿ではゾフィーがウルトラマンの亡骸を持ってM78星雲に帰ることになっていた。
(5)余談だが、ウルトラマンが地球上で活動できるのは約3分なので、1日の残り24時間弱を4人で分担すれば地球を征服することはすぐ可能である。「いつか」という不定形の遠い未来形語る必要は全くない。
(6)この沖縄の現実を訴えるなら改変される前の「禁じられた言葉」決定稿のままの方がふさわしいだろう。
(7)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店、2005年)92-95頁。1991年が私有地強制使用継続の公告・縦覧代行のテストケースであったが、第三次沖縄振興開発計画ならびに軍転法制定との取引で、大田知事は事前の予想に反して那覇防衛施設庁が収容委員会に求めた公告・縦覧代行に応じた「腰の据わってない政治家」だった。なお、福岡高裁での被告側「大田沖縄県知事本人尋問調書全文」は『代理署名裁判 沖縄県知事証言』(ニライ社、1996年)を参照。
(8)1995年に「駐留軍用地特措法」上の手続きをめぐる代理署名訴訟が起こると判決確定までの1996年に使用期限が切れて「米軍の不法占拠」となった楚辺通信所の土地が現れた。その地主知花昌一らは即時返還を要求したが政府は「ゾウの檻」を建設して米軍通信施設を「保護」した。この反省によるもの。
(9)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』34-35頁。
(10)前掲書66-67頁。沖縄人権協会編著『戦後沖縄の人権史』(高文研、2012年)、21頁。この「沖縄における公用地等の暫定使用に関する特別措置法」は沖縄県だけを対象とする地方特別法であり、日本国憲法第95条が規定する住民投票が必要な立法だが、施政権返還前という「隙間」を悪用して住民投票は実施されなかった。また5年間の時限立法だったため、1977年に日本政府は「地籍明確化法」を制定した際、その附則で同法の効力を5年間延長して米軍の基地用地強制使用を継続する奇策に出た。1982年に「地籍明確化法」附則の5年間延長が期限切れとなると、日本政府は上記の「駐留軍用地特措法」を沖縄に適用し、「以後ずっとこの法律は沖縄にのみ適用されて」おり、「形式的にはともかく、実質的には一地方公共団体のみに適用される法律」でありつづけている。
(11)新崎盛暉『沖縄現代史 新版』(岩波書店、2005年)、198頁。なお、2013年11月27日に最高裁判所は駐留軍用地特措法改正は合憲という判決を出した。
(12)前掲書、123-128頁。
(13)その理不尽さに2009年に「最低でも県外」と口にした鳩山由紀夫首相は官民挙げて叩かれ、移設を断念した。
(14)石原昌家「沖縄戦の諸相とその背景」(『新琉球史 近代・現代編』、琉球新報社、1992年、270頁以降)。1944年に沖縄県は日本軍から「軍機保護法ニ拠ル特殊地域ト指定セラレアル等、防諜上極メテ警戒ヲ要スル地域」とされた。
(15)豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』(岩波書店、2012年)、143頁以下。1945年の近衛文麿の「最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て、千島は南半分を領有する程度」を「固有本土」と認識していた。また昭和天皇は1947年の「天皇メッセージ」でアメリカによる沖縄統治を求めた。また、沖縄の国際法的地位および日本近代法における特殊性、主権と沖縄という民族問題については宮平真弥「沖縄は日本固有の領土か?」(『流通経済大学創立五十周年記念論集』、2016年)、593-617頁を参照せよ。筆者は直接引用・注記することがなくとも影響を強く受けている。
(16)林博史『暴力と差別としての米軍基地』(かもがわ出版、2014年、17-66頁)
(17)琉球王国は主権のすべてを失っていないことは、ペリーが1854年に結んだ琉米条約、1855年の琉仏条約、1859年の琉蘭条約に明らかである。一方で当然ながら清朝の冊封は受諾している。
(18)近年になって「日本は本当の意味で主権国家なのか」という「禁じられた問い」が、ようやく出されるようになった。白井聡『永続敗戦論』(講談社、2013年)、孫崎享『日米同盟の正体』(講談社、2009年)など。
(19)オスプレイを例に挙げると、普天間飛行場のMV22オスプレイの佐賀県配備を日本政府は「地元の了解を得ることが当然だと思う」と米軍の求めを見送ったことを菅官房長官は会見で話したが、沖縄に基地やオスプレイを建設・配備するのに地元住民の同意は不要であるとの立場は一切崩していない。(『沖縄タイムス』2015年10月29日)。
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