世界史漫才19:オットー1世編
苦:今回はオットー1世に始まる神聖ローマ帝国です。
微:大阪の閉店詐欺の靴屋だな。
苦:2021年に本当につぶれたよ!!
微:日本人にとって1世とくれば、三宅だがな。
苦:ファッション・デザイナーだよ、それは!オットーはドイツの普通の男の名前です。
微:森鴎外が息子につけてなかったか? 他にもマックスとかいたぞ。
苦:まあ、あれが現代日本の当て漢字キラキラネームの始まりだったとも言えるな。アーロン君とか、スペリオル君とか、金星と書いて「マーズ」とか。
微:ジャイアンとか、ゴリライモとかな。
苦:それは昭和のアニメのごっつい兄ちゃんへのあだ名だよ! ここまで引っ張られるとは・・・
微:いや、楽しんでいただろ? さしずめモットー1世。
苦:話を戻します。オットー1世(912~973年)はザクセン朝東フランク王国ハインリヒ1世の王子で、936年に国王に即位し、962年に神聖ローマ帝国の初代皇帝(在位:962~73年)となった人です。
微:「太祖乙倒」という諡号を贈られたんだな。
苦:キラキラ止めろ! 中国じゃねえし! 彼以後、イタリア王、ランゴバルド王を兼ねたドイツ王がイタリアでローマ教皇に戴冠されると、その帝国は神聖ローマ帝国と呼ばれるようになりました。
微:ふむ、五人揃ってゴレンジャーみたいなもんだな。
苦:それはただの戦隊の名称だよ! 教科書レベルではその波乱に富んだ生涯の説明はカットされていますが、お約束の如く、父の死の直後、実の母マティルデが原因となった王位継承問題に苦しみます。一族と大諸侯との骨肉の争いはドイツ王の宿命と言えます。
微:日本で言うと君島家、相撲界の花田家。もしかして小室家も絡むのか?
苦:王位継承の混乱を収拾した後、オットーは「血族による統治」政策を進めます。一族の大公叙任と、政略結婚です。大公領をすべて自分の近親者に治めさせることで、再度の反乱を防ごうとしたのです。フランケン大公ヘルマンの幼い娘イーダを十歳に満たない嫡子ロイドルフと婚約させたり、娘ロイトガルトの婚約者であるヴォルムス伯コンラートにロートリンゲン大公の地位を与えています。
微:ここで言うのもなんだが、ドイツ語って舌を噛みそうな名前や地名ばかりだな。しかしフランケン大公って、日本人には死んだ豊臣秀吉が手術を受けて他人のパーツで復活した怪物みたいに響くぞ。
苦:はいはい、947年には母マティルデの懇願を容れて王位を争った弟ハインリヒを許し、自分の片腕として重用した上でバイエルン大公の地位を与えました。こうして、ザクセン公領しか領有していなかったオットーは、フランケン、シュヴァーベン、ロートリンゲン、バイエルンのすべての大公領を自分とその近親者の掌中に収めさせたのです。
微:兄弟は他人の始まり、という日本語を知らないのか、こいつは。
苦:そしていよいよイタリア進出の好機が訪れます。950年、イタリアの王位継承権を持つイタリア王ロタールの未亡人アーデルハイトがオットーに救いを求めてきました。イタリア王位を狙うイヴレア伯べレンガルに結婚を迫られ、断ったがために幽閉されているという彼女の書簡が届いたのです。
微:菊池寛の通俗小説に出てくるような設定だな。しかし、時代は「無能ニートが転生したらチートしまくり王」だぞ、少しインパクトないな。
苦:負け犬ラノベはいいよ! でも小説のような展開で、息子ロイドルフが父オットーの許可を得ないまま、いち早くアルプスを越え、アーデルハイト姫の救出に向かうんです。
微:アルプスのアーデルハイトといえば、アルプスの少女ハイジだな。
苦:それは19世紀! オットーは激怒し、弟ハインリヒと娘婿のコンラート赤公に後を追わせ、自らも大軍を率いてイタリアへと遠征します。
微:よっぽど、親父が鬱陶しかったんだろうな。長嶋家と一緒で、父が偉大すぎると、子は自立を求める。
苦:キミの息子は大丈夫だから安心してください。父親から自立できない亀田家より、遙かにマシです。ここからロイドルフ、さらには彼を庇ったロートリンゲン大公コンラートとの仲が悪化し始めます。
微:朝食のご飯に砂が入ってたんだな、いやがらせで。
苦:通俗からワイドショーへ劣化させんな! でもオットーもかなりのタマで、951年には自分の娘と同い年のアーデルハイトを後妻に迎え、イタリア王を名乗りました。翌952年、彼女が男児を産むと、オットーはその子オットーを正当な世継ぎとするつもりであるかのような態度を見せ始めます。
微:しかし未亡人のくせにオットー1世の息子と同い年って、一体何歳で初婚を迎えたんだ? ロッテンマイヤーさんに叱られるぞ。
苦:ハイジのネタはいいですから。953年、王国全土を巻き込む大反乱=ロイドルフの反乱が勃発しました。マジャール人の侵入と飢饉を奇貨として味方貴族を増やしたオットーは反乱に勝利します。
微:コロナでテレワークが普及したようなもんだな。
苦:オットーは近親者で固める政策の脆弱さを痛感し、ケルン大司教となっていた末の弟ブルーノにロートリンゲンの統治権を与えたのをきっかけに聖職者による統治政策に切り替えることにしました。ここに帝国教会政策が始まったとも言えます。
微:これが後の聖職者派遣問題の始まりだな。ちなみに、アイディア出したのはカノン・フォン・ミッタラーイというおっさんです。
苦:それはキャノンの御手洗会長をドイツ語っぽく言っただけだろ、この嘘つきが! さて、ほったらかしのマジャール人たちはまだ撤退しておらず、955年にアウクスブルクを攻撃します。軍勢を率いてオットーは戦いますが、戦局は不利。ですが蟄居中のコンラート赤公が救援に駆けつけたことでオットーはマジャール人たちを撃退することに成功しました。
微:オットーは自宅謹慎中に勝手に外出したので蟄居期間を延ばしたそうです。
苦:そっちじゃないよ! レヒフェルトの勝利でオットーは「キリスト教国を異教徒マジャールの禍から救った聖なる戦士」として称えられ、神聖ローマ皇帝の帝冠への大いなる一歩となりました。
微:東からの敵を撃退するのはポイント高いよな。日本軍を撃退した蔣介石みたいに。
苦:そしてイタリア遠征の大義名分ができます。961年、イタリアの統治を委せていたベレンガル・アーダルベルト父子がローマ教皇ヨハネス12世を攻撃し、教皇はオットーに救援を要請しました。
微:関東軍による自作自演だったそうです。
微:それは満州だよ! オットーはアーデルハイトがとの子でわずか7歳のオットー2世を自らの共同統治者として戴冠させると、再びイタリアへ遠征し、ベレンガル父子を成敗しました。10年前とは異なり、今や充分にその力を周囲に認められていたオットーは、962年2月、ローマにおいて教皇から帝冠を授けられました。「神聖ローマ帝国」の国号が使われ出したのは13世紀以後のことなのですが、世界史ではこの時をもって神聖ローマ帝国の誕生としています。整理すると、表のようになります。
11世紀まで:ローマ帝国(独:Römisches Reich、羅:Imperium Romanum)
12世紀:神聖帝国(独:Heiliges Reich、羅:Sacrum Imperium)
13世紀:神聖ローマ帝国(独:Heiliges Römisches Reich、羅:Sacrum Romanum Imperium)
15世紀:ドイツ国民の神聖ローマ帝国(独:Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation)
微:だんだんしょぼくなってきてるな。白黒テレビ時代のハトヤみたいに三段逆スライド方式か。しかし、あれだよな、この1000年近く続いた神聖ローマ帝国って、何なんだ?
苦:神聖ローマ帝国とは何か、と質問されると非常に苦しいです。中世に現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた政体で、帝国というよりは実質的に大小の国家連合体であった期間が長く、この中から後のオーストリア帝国やプロイセン王国などドイツ諸国家が成長していきました。ですがドイツ騎士団領というかプロイセンは帝国に属していないんです。
微:???
苦:「ローマ帝国」と称してはいますが、ローマは含んでいません。さらに看板は「帝国」でも皇帝の力が実質的に及ぶ領土が判然としませんでした。中世においては、「皇帝(imperator, caesar, monarcha)」と「国王(rex)」の間には明確な区別が存在し、したがって「帝権(imperium)」と「王権(regnum)」の間にも根本的な相違がありました。国王は1部族や複数部族単位の支配者に留まり、皇帝は世界全体を治める者と考えられていたのです。
微:??? ああ、脳みそがカブトムシの幼虫状態になってきた・・・。
苦:シュタウフェン朝の断絶後の「大空位時代」(1247~73年)にブルグンド、イタリアは帝国から離脱し、その直轄領および諸権利は著しく減少しました。大空位時代直後のルドルフ1世も王朝樹立に失敗し、以降の国王および皇帝は、王権・帝権の強化より自身の家門勢力の拡大を政策目標とするようになります。フランス王権に対して優位を維持することはもはやできなくなっていきました。
微:ヴェルディ川崎時代が想像できない今の東京ヴェルディだな。
苦:18世紀の思想家ヴォルテールの「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」という言葉を引用して、もはや国家としての実体を伴っていないという評価がされてきました。しかしながら第二次世界大戦後、神聖ローマ帝国の再評価が進みます。その評価では、1648年以後、300近い小国群のほとんどが1806年まで命脈を保つことが出来たの理由を答えることが難しいためです。
微:無用の物の有用点は何か? ドーナッツの穴問答だな。
苦:この観点から重視されているのが、マクシミリアン1世に始まる帝国改造です。皇帝権力から独立した司法制度と、帝国クライスを単位とする軍隊制度が創設されました。宗教対立などの紛争は裁判所において解決が図られ、対外戦争に対しては一致して対応することも可能になったのです。いわば、現代のヨーロッパ連合(EU)との近似性に着目する流れと言っていいでしょう。
微:つまり、あれか。暴力団の組事務所が近所にできたので、組長を町内会に加入させる。そして一般市民としてではなく、町会長として組長に命令なりお願いできるようにするのと同じか?
苦:まあ、近いものがあるかな。
微:じゃあ、オレ永田町に住民票あるから、町会長として国会で揉めないよう意見してくるわ。
苦:町内会自体がねえだろが! それに政党事務所は組事務所じゃねえよ!(パシッ!)
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