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(7)「ドナドナ」の日本定着と意味の重層化~燕、栗毛、子牛、旅人、麦~最終回

4.おわりに-一つの「返歌」と、返しつづけた中島みゆき-

「ドナドナ」は反戦歌と民謡・童謡の二つの顔を持っていたこと(1)。そのどちらが心に浮かぶのかは聞く者の立ち位置・学歴によって分かれたが、大多数の日本人は子牛との別れを悲しむ民謡・童謡と理解したこと。本人にその意図があったか不明だが「ドナドナ」への返歌となる楽曲を書き続けた中島みゆきがいること、以上三点を指摘した。
 そして国民的楽曲となった「翼をください」が「ドナドナ」への最初の返歌となった可能性があることに最初の方で触れた。結論的には、「ドナドナ」への最初の返歌は1971年にフォークグループ「赤い鳥」のシングルレコード「竹田の子守唄/翼をください」だったと筆者は考えている。だが、1972年に「竹田の子守唄」は事なかれ主義の連鎖によって放送禁止歌となり、「赤い鳥」とともに日本フォークは民謡との関係を絶った。さらに井上陽水が同年の「傘がない」で政治との絶縁を宣言し、吉田拓郎が日本フォークの最高到達点となる『元気です。』を発表した。奇しくも「達者でナ」への返事にもなっていた。
「赤い鳥」に戻ると、「竹田の子守唄」の元歌の採集地が部落解放運動との関係で問題となった(2)。フォーク・クルセイダースの「イムジン河」が北朝鮮の風景を歌ったものという理由放送禁止歌になったが、「竹田の子守唄」もラジオ・テレビでも流れなくなった。「フォークソング」が民謡・民俗歌謡である限り、そこには虐げられた者たちの苦難、恨み、そしてそれらを逆手に取った辛すぎる現実を相対化させるユーモアが含まれていて当然であり、また厳しい作業現場で歌われた「労働歌」もまたフォークソングであった(3)。
「竹田の子守唄」のB面「翼をください」(山上路夫作詞、村井邦彦作曲)も忘れられるはずだった。だが、1974年から小学校音楽の合唱曲に「擬態」し、国民的な歌に成長した。二番の歌詞が青少年の世俗的成功を望まないものだったことが幸いしたが、「翼をください」について、思いをめぐらせた人はいるだろうか。
「悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ 行きたい」と願ったのは誰なのか、と。
 作詞者の山上路夫氏は「ぜんそくで入院していて学校に行けないことがつらくて」あるいは「作詞家として忙しくなりすぎ、その現実から逃避したくて」と「翼をください」の背景を答えている(4)。それらは幾分かの真実を語っているだろうが、表現あるいは作品は制作者の意図を超えた時に普遍性を獲得するとの立場から、筆者は「「翼をください」と願ったのは、「荷馬車の上の仔牛」だ」との意識されざる了解が成り立っていたが、そのことに誰も気づかず、その気づかないところで反響していたと考えている。つまりフォークソングが本来の姿で日本でも定着・発展しかけた1971年に、バエズ版「ドナドナ」への意識せざる返歌となったのが「翼をください」だったと。
 尊厳あるものの象徴である「翼」、自由の象徴である「空」。それらを実存を賭けて願うことが許されるのは「縛られ」「うめき声をあげ」「屠られる運命」にある「荷馬車の上の仔牛」しかない。そう考えると、「ドナドナ」のメッセージは次の表のように重層化されて日本に定着し、その後のポピュラーミュージックを規定したことになる。

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 しかし日本フォークは民謡・民俗歌謡・労働歌・社会への抗議という沃野から逃げ、結果としてフォークソングはぼやけて「ニューミュージック」となり、私的な思いやそれを表象する風景を歌うものへ変わって霧散していったことは誰もが知るところだろう。
 1972年は、「連合赤軍あさま山荘事件」と「沖縄の本土復帰」の年として「正史」では記憶されている。しかし、民衆文化史あるいはポップカルチャーとしての日本フォークソングにとって決定的な分岐点だったのである。
 だが、「ドナドナ」は「翼をください」という返歌を一つだけ受け取ったのではない。本人が意識しているかどうかは確認しようもないが、「仔牛(旅人)、農夫、燕、空、風、麦」という「ドナドナ」の本質的構成要素に答え続けた音楽家としての中島みゆきがいる。故郷や家族を失った人々、弱者あるいは敗者として生きるしかない人々への暖かい共感こそが、他のポップミュージシャン・音楽家にはない「色褪せ無さ」と普遍性を彼女の楽曲に与えていると筆者は思っている。また「仔牛」以前に人間と生き物の関係そのものの悲しさを詠った詩人金子みすゞがいるが、このことについては別稿で論じることとしたい。

註4
(1)当然、ドイツ・ポーランドではホロコーストの記憶が上書きされたイディッシュ語フォークの顔を持つ。
(2)藤田正『竹田の子守唄』(解放出版社、2003年)、森達也『放送禁止歌』(光文社文庫、2003年、172~236頁)を参照。
(3)事実、1960年代前半に活躍したフォーク歌手岡林信康、高石ともや達がそうだった。なぎら健壱『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫、1999年)を参照のこと。
(4)ウェブ版『産経新聞』、2008年2月23日版に氏のインタビュー記事。

付録1 :中島みゆき(著作権者の彼女の許諾は得ていないが、学術的引用なので)
①「時代」(1975年)
 今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
 もう二度と笑顔にはなれそうもないけれど

 そんな時代もあったねと
 いつか話せる日が来るわ
 あんな時代もあったねと
 きっと笑って話せるわ
 だから今日はくよくよしないで
 今日の風に吹かれましょう

  まわるまわるよ時代は回る
  喜び悲しみくり返し
  今日は別れた恋人たちも
  生まれ変わってめぐり逢うよ

 旅を続ける人々は
 いつか故郷に出逢う日を
 たとえ今夜は疲れても
 きっと信じてドアを出る
 たとえ今日は果てしもなく
 冷たい雨が降っていても

  まわるまわるよ時代は回る
  別れと出逢いをくり返し
  今日は別れた旅人たちも
  生まれ変わって歩きだすよ

  まわるまわるよ時代は回る
  別れと出逢いをくり返し
  今日は別れた旅人たちも
  生まれ変わって歩きだすよ

  今日は別れた旅人たちも
  生まれ変わって歩きだすよ

②「旅人のうた」(1995年)
 男には男のふるさとがあるという
 女には女のふるさとがあるという
 なにも持たないのは さすらう者ばかり
 どこへ帰るのかもわからない者ばかり
 愛よ伝われ 一人さすらう旅人にも
 愛よ伝われ ここへ帰れと

  あの日々は消えてもまだ夢は消えない
  君よ歌ってくれ 僕に歌ってくれ
  忘れない忘れないものも ここにあるよと

  あの愛は消えてもまだ夢は消えない
  君よ歌ってくれ 僕に歌ってくれ
  忘れない忘れないものも ここにあるよと

 西には西だけの正しさがあるという
 東には東の正しさがあるという
 何も知らないの はさすらう者ばかり
 日ごと夜ごと変わる風向きにまどうだけ
 風に追われて 消えかける歌を僕は聞く
 風をくぐって 僕は応える

  あの日々は消えてもまだ夢は消えない
  君よ歌ってくれ 僕に歌ってくれ
  忘れない忘れないものも ここにあるよと

  あの愛は消えてもまだ夢は消えない
  君よ歌ってくれ 僕に歌ってくれ
  忘れない忘れないものも ここにあるよと

③「地上の星」(2000年)
 風の中のすばる
 砂の中の銀河
 みんな何処へ行った 見送られることもなく
 草原のペガサス
 街角のヴィーナス
 みんな何処へ行った 見守られることもなく
 地上にある星を誰も覚えていない
 人は空ばかり見てる
 つばめよ高い空から教えてよ地上の星を
 つばめよ地上の星は今何処にあるのだろう

 崖の上のジュピター
 水底のシリウス
 みんな何処へ行った見守られることもなく
 名立たるものを追って輝くものを追って
 人は氷ばかり掴む
 つばめよ高い空から教えてよ地上の星を
 つばめよ地上の星は今何処にあるのだろう

 名立たるものを追って輝くものを追って
 人は氷ばかり掴む
 風の中のすばる
 砂の中の銀河
 みんな何処へ行った 見送られることもなく
 つばめよ高い空から教えてよ地上の星を
 つばめよ地上の星は今何処にあるのだろう

④「麦の唄」(2014年)
 なつかしい人々 なつかしい風景
 その総てと離れてもあなたと歩きたい
 嵐吹く大地も嵐吹く時代も
 日射しを見上げるように あなたを見つめたい

  麦に翼はなくとも 歌に翼があるのなら
  伝えてくれ故郷へ ここで生きてゆくと
  麦は泣き 麦は咲き 明日へ育ってゆく

 大好きな人々 大好きな明け暮れ
 新しい「大好き」を あなたと探したい
 私たちは出会い 私たちは惑い
 いつか信じる日を経て一本の麦になる

  空よ風よ聞かせてよ 私は誰に似てるだろう
  生まれた国 育つ国 愛する人の国
  麦は泣き 麦は咲き 明日へ育ってゆく

 泥に伏せるときにも歌は聞こえ続ける
 「そこを超えておいで」「くじけないでおいで」
 どんなときも届いて来る 未来の故郷から

  麦に翼はなくとも 歌に翼があるのなら
  伝えてくれ故郷へ ここで生きてゆくと
  麦は泣き 麦は咲き 明日へ育ってゆく
  麦は泣き 麦は咲き 明日へ育ってゆく

付録2:金子みすゞの詩
①「大漁」
 朝焼け小焼けだ大漁だ
 オオバいわしの大漁だ

 浜は祭りのようだけど
 海の中では何万の
 いわしの弔いするだろう

②「お魚」
海の魚はかはいそう

お米は人に作られる、
 牛は牧場で飼はれてる、
 鯉もお池で麩(ふ)を貰(もら)ふ。

 けれども海のお魚は
 なんにも世話にならないし
 いたづら一つしないのに
 かうして私に食べられる。

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