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(6)「ドナドナ」の日本定着と意味の重層化~燕、栗毛、子牛、旅人、麦~

  (3)「ドナドナ」の訴求力はどこにあるのか
 勇み足といえる「ドナ=アドナイ(主)」説を細見和之氏が公表し、この説に衝撃を受けて訪問先イスラエルで「ドナドナ」の「ドナ」は「アドナイ」のことか、と小岸昭氏が何度も質問したのが1996年だった。その一方で、挑発的評論家呉智英氏が差別語狩り批判の文脈上であったが、低学歴者はバエズ版「ドナドナ」がベトナム反戦歌であることも知らなければ、自分の無知に気づくことすらないとを指摘したのが1998年だった(22)。
 呉ほどの読書家・知識人でもバエズ版「ドナドナ」はベトナム反戦歌と信じて疑わなかったことに筆者は驚いた。それゆえに、「ドナドナ」の起源がポグロムで虐殺されたユダヤ人民謡だったこと、ホロコースト後は(少なくとも西ドイツでは)その記憶を上書きされた歌と理解されていることを知らない人がほとんどであることには驚かなかったが、大学人も含めて多くの知識人にとって「ドナドナ」が忘れることができない歌になっていることに驚いた。この驚きは「「ドナドナ」の強い訴求力は何から発生しているのか」という問いに書き換えられるだろう。
 細見氏の誤解の発端は、ツプアイゲンハンゼルが「ドナ」をリフレインによって「アドナイ」となるよう変えていたことにあった。問いへの答えを考えるために、歌詞を全く別のものに変えたら「ドナドナ」は聴く人に訴えるものになるのか、という思考実験が方法としてある(「エリーゼのために」が「キッスは目にして!」になるようなケースである)。
 その意味で参考になるのがほとんどの日本人が忘れ、歌った本人も死んでしまったフランスのクロード・フランソワがカヴァーした「ドナ・ドナ・ドーナ」(以下、フランソワ版「ドナドナ」)である。1965年にフランスで発売され、ここで歌詞を引用しないが、大人となった男が子ども時代を懐かしむ歌詞で、メロディー以外に一致するものは何もない。しかも「ドナ」は眠りかけた幼児への「あやし言葉」として使われている(23)。フランソワ版「ドナドナ」からポグロムやホロコーストとの関連を想像することは全く不可能である。筆者の解釈、考察は「思い込みを超えた妄想」でしかないように見える。
 だがフランスの「手は白い」訳ではない。「計画移送」の始まった1942年7月16日に、パリ市内に潜伏していたユダヤ人約24000人の内の約14000人を一斉検挙して自転車競技場に集め、水も食料も与えず、病人も怪我人も手当てせず死なせ、生き残ったユダヤ人をナチス・ドイツに渡した「ヴェル・ディヴ事件」(24)が起きた。「ヴィシー政権はフランスではない」との立場でこの事件への関与をフランス政府は拒否しつづけてきたが、戦後50年に当たる1995年当時のシラク大統領は政府としての関与を認めて謝罪した。
 1965年という「戦後20周年」という節目に、バエズ版「ドナドナ」をオリジナルに忠実にフランス語訳する勇気は、ヴィシー政権を否定したド・ゴール政権下のフランス人にもなかっただろう。渡辺和夫氏も指摘するように、当時はヴィシー政権下で働いていた官僚たちが「知らぬ顔」で権力を行使していた(25)。フランソワ版「ドナドナ」はナチスに協力したフランス政府と市民の疚しさとユダヤ人迫害・虐殺との関係を一切語らないことで逆説的に最も雄弁に語ったと理解すべきだろう。

(4)「ドナドナ」の構成要素比較
 やはり「ドナドナ」の訴求力は悲しげなメロディー以上に、聴く者の想像力をかき立てる残酷でもの悲しい歌詞にあると考えるべきであろう。そこで歌詞の構成要素に注目して分析しよう。
 ツァイトリン版では「子牛」「農夫」「麦」「風」「燕」「空」の6つが、バエズ版では麦が抜け落ちて「子牛」「農夫」「燕」「空」「風」の5つが、安井版では農夫が「悲しそうな瞳」の子牛に映っていると解釈できる余地はあるが、「子牛」「燕」「風」「空」の4つ(ないし5つ)と、順に歌の構成要素は減っていく。ツァイトリン版にだけ「麦」が登場し、安井版では農夫は存在するかもしれない程度である。第1章第4節でも指摘したように、へたをすれば「農夫と子牛の切ない別れ」と解釈することもできる余地がある。
「屠殺される」子牛を送り出す愚かで冷たい農夫の存在は、既に書いたことだが、人間と動物(人間と自然)の支配/被支配(殺す権力/殺される対象)の圧倒的な落差を明瞭化する。そして殺す側が、直前まで生かす権力だった場合にはその対比はより鮮明となり、さらに「子牛」を人間に置き換えるとポグロム(ホロコースト)の対象となる支配・抑圧されるユダヤ人の暗喩へと簡単に転位する。
 次に、なぜシュワルツらが1956年に英訳した際に「麦」は消えたのか。「夏の夜半」に引き付けると、夏に収穫されるのはライ麦だが(26)、構成要素のなかで唯一大地に根を張った麦にふさわしいのは、アメリカの場合はその土地に根差した下層白人であり、家畜を嗤い(黒人を嘲り、リンチする)には適切であっても、刈り取られる存在としてはふさわしくない。全くの推測だが、この意味でバエズ版から麦が「風が笑う」ための背景として消えたのは自然なことだろう(27)。
 また動作、行動、時間の流れに注目すると、風は笑っている点ではツァイトリン版もバエズ版でも同じだが、バエズ版では麦が消えているため風が笑う場所はわからない。ツァイトリン版は風を受けて収穫前の重くなった麦の穂が畑で風を受けてこすれ合っている様子を「麦畑で風が笑う」と表現したと考えるべきだろう。
 時間の経過も安井版は「昼下がりの情景」を切り取ったような描かれ方だが、バエズ版もツァイトリン版もともに昼下がりの情景と夏の夜半の風が笑い続ける情景の二つの場面が連続するものとしてある。
 これをユダヤ教の安息日規定と日没を一日の始まりとする時間観念に引き付けて解釈することで、黒田氏のように麦も翌朝に刈り取られる=死を迎える、つまり子牛も麦も死に直面していると理解することもできるが(28)、それほど深く考えなくとも、次の日には同じ光景が少し場所を変えて繰り返されていく、つまりユダヤ人に対するポグロムは迫害する側にとっては当たり前のこと、日常的な風景だと理解すればいいのではないか。
 最も重要なのは、笑う者と子牛の悲しそうな瞳、縛られた子牛と天高く自由を誇りながら空を飛ぶ燕の対比だが、これが安井版では削られている。「縛られる」という言葉がなくなれば、自由であることの誇りを対比する効果も意味もないから当然だろう。しかも「燕」はツァイトリン版もバエズ版でも一番から三番までずっと登場するが、安井版で燕は二番にだけ登場する。そのため子牛は燕を意識したこともなかったが、荷馬車の上で目に入り、ようやく憧れの対象となったにすぎないとまで言えるくらいその存在は軽い。また、空も、飛んでいる燕も背景程度の軽さであり、天高く、その高さが自由に比例するかのような空への憧れも消え去っている。安井版では一番と二番を総括する、つまり複数の子牛が縛られ屠殺されること(ポグロム)の日常性・運命性、殺されることを理不尽と感じる子牛の主体性を歌い上げる位置を占める三番がなくなっているからである。
 以上、安井版歌詞をツァイトリン版とバエズ版を比較した時、「縛られ」「うめき」「屠殺される」描写が消えたため、安井版では燕と天高い空が象徴する「自由」と「崇高さ」に対して子牛は比較されることはなくなり、「殺す権力」としての農夫も見えなくなり、「意に反して売られていく子牛の哀しさ」だけが前面に出てくることになったことがわかる。「殺す権力」ではなくなった農夫は、子牛との別れを切なく思う優しい人になることすら可能であり、しかも安井版は子牛に「かわいい」という形容詞を加えている。
「アドナイ」が「ドナ」に擬態したのではなく(29)、「ドナドナ(仔牛)」が「童謡」に擬態し、日本にその種子(胞子)を拡散・発芽させたのである。

(22)『危険な思想家』(メディアワークス、1998年。現在は同名で双葉文庫、2000年)
(23)YouTubeから起こした歌詞と筆者による仮の和訳は以下の通り。

Il etait une fois, un petit garcon(s)
Qui vivait dans une grande maison
Sa vie n'etait plus que joie et bonheur/
Et pourtant au fond de son coeur
Il voulait devenir grand,
Revait d'etre un homme
Chaque soir il y pensait
Quand sa maman le bercait(s)
*Donna,donna,donna,donna,
tu regrettrais le temps.
 Donna,donna,donna,donna,
ou tu etais un enfant.

Puis il a grandi, puis il est parti,
Et il a decouvert la vie,
Les amours decues la faim et la peur,
Mais souvent au fond son coeur,
Il revoyait son enfance,
Revait d'autrefois,
Tristement il y pensait,
Et il se souvenait...

mm mm mm mm m mm
Parfois je pense a ce petit garcon,
Le petit garcon que j'etais.

昔ある小さな男の子が/大きな家に住んでいた
楽しく満ち足りた暮らしだった/でも心の底では
大きくなりたかった/一人前の男になりたかった
毎晩男の子は考えた/母さんに抱かれて眠るときに
*ドナ・ドナ・ドナ・ドナ いつか懐かしむだろう
ドナ・ドナ・ドナ・ドナ 子どもだった頃を

そして成長し 自立し/人生とは みじめな愛
飢えとおそれだと知った/でも心の底では
こどもの頃を美化し/むかしに帰りたいと願う
悲しいけど思ってしまう/そして思い出すのだ
*(繰り返し)

(24)この事件を直接扱った映画にローズ・ボッシュ監督『黄色い星の子どもたち』(2010年)がある。またルイ・マル監督の自伝的映画『さよなら子供たち』(1987年)は1944年のフランス解放前のパリ在住のユダヤ人少年と彼らを保護する静かなレジスタンス参加者の姿と「1万人のユダヤ人を救った」という言い訳を見せてくれる。
(25)渡辺和行『ナチ占領下のフランス―沈黙・抵抗・協力』(講談社、1994年)
(26)黒田氏は「仔牛」の和訳で"korn"を「ライ麦」と意訳しているが、「夏」に刈り取られるのはライ麦だけである。
(27)もし、バエズ版に麦が残っていたとしても、日本語に訳す時には消えていただろう。関東地方以南での二毛作の裏作麦の収穫は6月初旬で、「青い空」になる確率は低く、吹く風を「そよぐ」と形容するにはふさわしくない。
(28)黒田晴之氏が指摘するように麦も次の朝には刈り取られる、つまり死を迎える点においては同じ立場にあると考えるなら、子牛も麦も同じ運命にある。黒田前掲書第6章、148-151頁
(29)細見『アドルノ』プロローグを参照。

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