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世界史漫才再構築版21:ビザンツ帝国編その2

 苦:さて、ビザンツ帝国の2回目です。少し大人の味付けで行きますね。
 微:さっき、LINEでヨハネス2世と会って、ギリシア語で「ギリシア人の皇帝」と呼びかけたら、「ローマ人の皇帝です。姉はいません」と渋い顔されました。怒らせたかな?
 苦:どうやって会うんだよ!! それに最後まで自称「ローマ帝国」「ローマ人の皇帝」だし。しかも「ギリシア人の皇帝」は西欧からの上から目線的呼び方だから、そりゃ怒るよ。
 微:どうしてもビザンツ人には「演歌歌手ジェロ」的な違和感を感じてしまうんだが、オレだけ?
 苦:ジェロはおばあちゃんが日本人だから問題なしです。
 微:しかし、首都の古名を19世紀に歴史用語として使い始めたけど、それっていいのか?
 苦:話がベック的になりつつありますね。
 微:ギター殺人者?
 苦:それはギタリストで片手奏法のジェフ・ベックだよ!! 渡辺先生の御本尊のハンス.G.ベック。デルガーの後任でミュンヘン大学ビザンツ講座の先生のことです。
 微:亡くなった渡辺先生、あの人の学問履歴は20世紀のビザンツ学を体現しているよな。
 苦:増田四郎門下で弓削達と同期です。一緒にウェーバーの翻訳も出していますね。その後、封建制研究からソ連のビザンツ学を吸収し、『ビザンツ帝国の都市と農村』を編訳しました。
 微:今は亡き創文社ね。個人的にはカジュダンという学者を日本に紹介したのが初期の功績だと思う。ゴリゴリの教条的マルクス主義のクルプスカヤを引き立て役に使ってな。
 苦:そのカジュダンもソ連消滅前にアメリカに渡ってから、羽を伸ばして11世紀ビザンツの研究を次々と英語で公刊しました。社会史研究の『ビザンツにおける人民と権力』とかね。
 微:ビザンツ人を「自由なき個人主義」と表現したあれな。
 苦:話を戻すと、渡辺先生はフランスのルメルルを経て皇帝文書研究のデルガーに接近し、そこからベックの国制史研究に関心を移します。
 微:有力者から農民を守ろうとした「マケドニア朝の新法」研究の開拓者ね。
 苦:直接話は聞いていませんが、移り気というより、生産様式や封建制そのものから国家の成立や主権の質的違いを説明できないと思ったんではないでしょうか。
 微:デルガー、ベック路線でいくと、やはり「中世ローマ帝国」であると。
 苦:1977年の著作ですね。個人的には日本中世史の佐藤進一氏や石井紫郎さんの日本国制史研究の影響もあったんでは、と推測しています。
 微:大月さんの回顧的研究も読まずに書いて大丈夫か?
 苦:「ギャグですから」と逃げますよ。皇帝を廃位・選出できる「主権者」は誰かと考えた時、コスタンティノープル市民と軍隊になります。まあ、共同皇帝として先物取引という手もありますが。
 微:『コンスタンティノープル千年』だな。
 苦:テオドシウス帝以降は「コンスタンティノープル専念」ですがね。そうなってくると、7世紀に徐々に姿を現すテマや兵士保有地農民は一時的・幕間的存在にしかならないでしょう。
 微:ファースト・ガンダムのホワイトベース乗員みたいなもんか。民間人が戦争に巻き込まれ、最初は少数の軍人の助けを借りるけど、本物の軍隊以上の活躍をする展開。
 苦:かつてはヘラクレイオス=テマ制創始者説を唱え、時代の転換と西欧の封建社会との対比を鮮やかに描いたのが旧ユーゴスラヴィアのオストロゴルスキーでした。
 苦:でも農民に防衛型の軍役を課すテマ制は遠征には不向きです。彼は第2次世界大戦末期のパルティザンとテマ制を重ね合わせることで新生ユーゴスラヴィアを祝福したとも言えます。
 微:せっかくゲリラ戦と重ねたんだからベトナムのように専守防衛と解釈しなければよかったのにな。独立戦争中は農村での共産主義的というか共有的措置がうまく機能していた。
 苦:そうです。アラブに押されてぎりぎりのところで超法規的に軍団の存続と防衛を果たしたのが最初期のテマ、オリエンス道やアルメニアから徴兵された軍団の小アジア撤退に起源があります。
 微:必死で「押すなよ、押すなよ」とアラブ軍に訴えたそうですが、押し込まれました。
 苦:だからテマの所在地と名称は一致しません。オリエンス道がギリシア語で「アナトリコン」、アルメニアで集めた軍団が「アルメニアコイ」です。
 微:「あんたとは離婚」「謝りに来い」に聞こえてきてつらいよう。
 苦:君の現状を言ったのではありません。この2つにトラケシオイ、オプシキオンを加えた4つが「原テマ」と呼ばれ別格で、ヘタすれば補給や新兵徴募も自力でやっていた可能性があります。
 微:唐の節度使というか、日本の地方武士団というか。
 苦:だんだん中央の統制が効かなくなっていくのが節度使なので逆ベクトルです。
 微:そうすると地方武士団の棟梁がそれらしい官位を得て暴力を公権力化する日本に近いか。
 苦:中央の機動軍団が整備され、遠征を担当するんです。テマは逆に中央の統制が効くようになり、逆に行政単位と化していきます。兵士の土地所有権を保護する必要もなくなります。
 微:原テマが野生のポケモン、テマ制に整備されたらトレーナーになついたポケモンの差か。
 苦:聖像禁止令でイコノクラスムを引き起こした皇帝レオン3世はアナトリコン・テマの長官から反乱に成功して即位しました。皇帝から任命されたテマ長官でも、それくらい自立性があったんです。
 微:言うこと聞かない地方武士団の親玉を追捕使に任命した末期律令国家日本もあるが。
 苦:また8世紀は有力テマの司令官が合従連衡して皇帝を出すなど、ある種の軍人皇帝時代みたいなことになります。でもそれはローマ皇帝の適格者原理に適ったものでもあるんです。
 微:でも8世紀末に女帝エイレーネーが登場するんだろ?
 苦:はい、日本でいうと持統天皇のように「中継ぎ」的存在で、私は日本と比較すべきだという立場です。儒教イデオロギーもあり、中国では則天武后以外に女帝はいません。あくまで例外。
 微:まあ、確かに日本では江戸時代にも女性天皇が出てくるしな。
 苦:エイレーネーは皇帝レオン4世の后で皇帝コンスタンティノス6世の母。夫レオン4世が死んだ時、コンスタンティノス6世は9歳だったので、摂政というか後ろ盾になります。
 苦:ですが、その息子コンスタンティノス6世は反発し、怒ったエイレーネーは我が子の両目をくり抜き、797年に女性として初めて皇帝になります。
 微:こええ母ちゃんだな。名前は「平和」なのに。
 苦:ローマ教皇レオ3世はエイレーネーを皇帝と認めず、この千載一遇のチャンスを利用して800年にカールを戴冠したんです。なぜ800年、なぜローマ皇帝か、という問いへの答えがここです。
 微:ワンチャン狙ったんだな。
 苦:次はゾエとテオドラ姉妹です。ゾエ(位1042~50年)は皇帝コンスタンティノス8世の次女で、バシレイオス2世死後に残ったマケドニア朝の係累はこの姉妹だけでした。
 微:越の国から8代前の皇帝の子孫が幸運にも発見されて担ぎ出されはしなかったのか?
 苦:そんな便利な携帯ではない、継体はいません。そしてゾエの結婚相手が皇帝になりました。ロマノス3世アルギュロス、ミカエル4世、コンスタンティノス9世モノマコスの3人です。
 微:この辺は元首政期ローマのように養子なり婿入りなりで系図的に繋がればOKと。
 苦:ゾエは美しかったそうなんですが、3人とも子どもをゾエとの間につくることができませんでした。ミカエル4世の親族を養子に迎え、こいつが皇帝ミカエル5世になります。
 微:これを斡旋したのがミカエル4世の弟で宦官のヨハネス・オルファノトロフォスなんだよな。
 苦:しかしミカエル5世がゾエを女子修道院に追放しようとしたため、1042年にコンスタンティノープル市民がが蜂起し、ミカエル5世は盲目にされて廃位されます。
 微:その後、按摩師として活躍し、お店は繁盛したそうです。
 苦:また呼吸するようにウソを吐くなよ!! めでたく妹テオドラとの女帝コンビで共同統治しました。当時の帝室の血への執着というかバシレイオス2世の記憶の強さを感じます。
 微:ビザンツの「ザ・ピーナッツ」と呼ばれたそうです。
 苦:古いし、モスラを呼び出しそうで怖いです、その喩え。
 微:目潰しや鼻削ぎの後だとナイトメアにしか聞こえないよ。なんか韓国大統領の末路っぽい。
 苦:そのマケドニア朝の祖たバシレイオス1世はマケドニアの農民出身で皇帝の馬世話係から出世した人間でした。「ビザンティン・ドリーム」と表現してもいいでしょう。
 微:「ビザンツ帝国の豊臣秀吉」と呼ばれているそうです。
 苦:呼ばねえよ!! 話が戻るんですが、テマ制が地方行政制度に変質して安定した9世紀は、中央政府の徴税システムが機能し、人材発掘も進み社会的流動性も高くなりました。
 微:つまり、野心を持った食いはぐれ者がコンスタンティノープルに集まってきたと。
 苦:コンスタンティノープルの絹織物を頂点とするビザンツ商品、そして壮麗なギリシア正教の儀式がブルガリア人やロシア人など周囲のスラヴ系民族を引きつけたました。
 微:いつも思うんだけど、日本や途上国にたいな一点豪華主義だと、治安とか大丈夫なんか? まあ、低賃金労働力には事欠かないだろうけど。
 苦:アナトリアにもバルカンにも都市は古代から存続していますから、そこが違いですね。ビザンツ帝国が発行するノミスマ金貨は品位も安定し、「中世のドル」と評価されています。
 微:「中世のベネズエラ・ボリバル」「ジンバブエ・ドル」と言われたら紙くずだよな。
 苦:話を戻すと、イスラーム側の掠奪遠征も9世紀にはなくなり、ビザンツ側が攻勢に出ます。そうすると、農民でもあるテマの兵士をゲリラ兵として使うというか維持する必要はなくなります。
 微:ビザンツの食糧管理制度みたいなもんだわな。
 苦:当然テマ農民は没落していきます。彼らを小作農とした大土地所有者が遠征用の中央機動軍(タグマ)が騎兵となります。それを活用したのがバシレイス2世でした。
 微:妹アンナをキエフ君主ウラディミル1世に差し出した冷たい兄ね。
 苦:彼は自分が目にした大土地所有者が貴族化していく趨勢を押しとどめようとするんです。
 微:足利義満を見習えよな、せっかく京都以上に壮麗なコンスタンティノープルがあるのに。
 苦:「ブルガリア人殺し」の異名を得るほど成果を挙げるですが、その遠征の主力は騎兵軍、つまり大土地所有者だったので、ある程度は勢力を削ぐことはできましたが、無駄な抵抗でした。
 微:そんなことよりも、結婚して子どもを作れよな!って言いたいが。
 苦:ゾエに戻ると、1050年に彼女が死ぬと、妹テオドラの養子がミカエル6世に即位します。
 微:軍事貴族が怒らせ、コムネノス家のイサキオスをボスにクーデタを起こしたんだよな。
 苦:ですがイサキオスは貴族支援者の反対を押し切ってミカエル6世の養子として即位します。
 微:まあ、迷うわな。監督になるかキャプテンになるか、天皇か大王かの選択に近い。
 苦:この系図意識というか王朝原理を突破したのが1081年のアレクシオス1世即位なんです。アレクシオス1世に始まるコムネノス朝は貴族連合政権でした。アンゲロス一門とも言えます。
 微:組の名前が「天使」とは、アメリカの暴走族「ヘルス・エンジェルス」のような。
 苦:首都市民の支持も得ましたし、軍事奉仕の見返りに騎兵に地租徴税権を付与するプロノイア制も広がり、一族の政略結婚を通じて有力貴族も一門に加えていきます。
 微:不祥事で謹慎していた時津風部屋も参加したんだろ?
 苦:それは美保ヶ関一門! その政略結婚の一つがコムネノス家の仇敵だったブリュエンニオス家との和解、つまりアンナ・コムネナとニケフォロスとの結婚で、アンナは12歳で婚約します。
 微:「あんな高飛車な女、うまくやっていけるかどうかわからない」と不安だったそうです。
 苦:誰も気づかないダジャレはいりません。夫のニケフォロス・ブリュエンニオスは将軍である以上に文人でもありました。歴史書も書いています。
 微:いい夫婦じゃないか。ただし、妻の方が上だけど。
 苦:そこにアンナの弟ヨハネスが父を継いで皇帝になると、夫に帝位簒奪をけしかけるんですね、彼女。本当は自分がテオドラやエイレーネーのように女性ながら皇帝になりたかったんでしょうが。
 微:自己皇帝感、いや自己肯定感の強いネエちゃんだな。
 苦:低位簒奪は失敗し、彼女は修道院に「幽閉」されますが自由な活動が認められていました。父親への敬慕の念も合わさって、公文書も使って『アレクシアス(アレクシオス1世伝)』を書くんです。
 微:ある意味、美化と自己正当化が強いから文学作品でもあるわな。
 苦:詳しく知りたい人は相野先生の『アレクシアス』と井上先生の『歴史学の慰め』を読んでください。後者の時空を超えた「共感を伴う尋問」は素晴らしいです。高校生にはきついですが。
 微:前者は税込み8800円という時点で高校生には無理だな。
 苦:さて、出だしの問題に戻ります。なぜ、ビザンツ帝国は滅亡の際までローマ帝国、ローマ人を名乗ったのか? そしてその自称と異なる歴史概念としてビザンツが登場したのか、です。
 微:それって、自称ローマの後継国家ルーマニアへの皮肉か?
 苦:五賢帝時代のローマ帝国を基準とすると、共和政ローマはビザンツ人が忌み嫌った「混乱」と同義の民主政でしょう。ですが帝政ローマは共和政の建前と独裁を調和させる努力を続けました。
 微:まあ、ディオクレティアヌスで止めたとも言えるけど、コンスタンティヌスは遷都の際に元老院も設置して建前は残したな。
 苦:ビザンツ帝国もギリシア化し、首都コンスタンティノープルあっての帝国という現実とローマ帝国という建前を調和させることに腐心しました。
 微:まあ、コムネノス朝のバルカン進出と開発もローマ帝国内だもんな、スラヴ化してたけど。
 苦:ローマ皇帝権という普遍的権威を捨てることは、戦争ではなく外交で生き残りを図った末期ビザンツ帝国には自殺行為でした。ローマ帝国の名、皇帝賛美は死守しなければならなかった。
 微:相続や結婚で離散集合を繰り返す西欧とは違うよな、権力の質が。
 苦:ローマを演じることで外交を駆使して千年を生き延びたこと、現実と建前を合致させる柔軟、特に皇帝の正統性を保証する推戴原理と王朝原理の2つがあったことが重要でしょう。
 微:つまり、どうとでも現実を正当化できる理屈はあったからだと。
 苦:それでも宮殿と隣接した競馬場が、市民と皇帝の直接対話の場で、皇帝への批判・ブーイングからクーデタに発展することもありました。一種の国民審査です。
 微:最高裁判事の国民審査が形骸化した日本より民主的だな、おい。(チャンチャン)

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