世界史漫才第一中継ポイントその1
この摩訶不思議な世界史漫才誕生の経緯ですが、話は2008年に遡ります。2009年にまとめた際の「まえがき」を2回に分けて掲載します。
社会科科目、あるいは歴史は「覚えるだけ」と言う高校生は昔から多い。だが、「覚えるだけ」の意味合いが変わってきている。昔は「覚えるだけ」は「英語や数学のように考える必要がないだけ楽な科目」という感覚とセットで、この感覚に達した生徒は十分に世界史と日本史を楽しめていたし、自分で岩波新書やらを買って読み、そして大学へと進んでいった。日本史なら『カムイ伝』にはまる人も多かった。
共通一次試験開始とともに世界史からの受験生の逃亡が始まり、10年くらい経つと、「覚えるだけで面白くない」という否定的な意味合いが出始め、しかもマーク方式なので、日本史や中国史分野では「書いて正確に覚える」ことを面倒くさがるようになった。共通一次試験がセンター試験になって、気楽に受験できるようになり、さらに私立大学が受験回数を増加させるために記述式の入試を減らした。すると、さらに「書いて正確に覚える」ことを面倒くさがるようになり、それに比例して歴史科目を「つまらない」「役に立たない」を超えて「必要ない」と思う高校生が急増し、並の普通科高校なら過半数を制しているだろう(なんとか現任校は踏みとどまっているが)。その感覚を各種の多様な=楽な入試が支えている。
「覚えるだけでつまらない」と言う彼ら・彼女らは、実際は覚えようともしていない。定期試験前に「出る所がわかればそれでいい」と思っているし、マーク式なので「運だけで合格できる可能性は残っている」と思っている。それが「興味・関心・意欲」「自ら学ぶ姿勢」を重視した現行の学力観の現実である。
昔のように、登場人物の人生なり、作品の背景なりを聞いて「自分の人生の糧にする」「高校というまだ狭い世界の向こうにある世界を想像する」ことができる高校生は、日本全体でどれだけいるのだろうか。