世界史漫才34:ヘンリ8世の子どもたち
微苦:ども、微苦笑問題です。
苦:前回のつづきでイギリス国教会とヘンリ8世の子供たちの話です。1534年の首長法で国教会ができるんですが、発端が発端だったので、同時代のルターやカルヴァンとは性格が異なる宗教改革でした。
微:性格の不一致が6人続いたから離婚し続けたと、ヘンリ8世は言い訳したわけだな。
苦:アホな芸能人の離婚記者会見でも、そんなコメントは出さないよ! 予想外だったのは、ローマからの離脱が大陸のプロテスタント運動、例えば巡礼地の撤廃、聖人暦の廃止などを招いたことでした。ヘンリ8世自身、あわてて1539年の「イングランド教会の6ヶ条」でカトリック教会的な性質を持ち続けることを宣言したほどです。
微:食糧管理法や障害者自立支援法と同じで、制度は意図と異なる目的で悪用される運命にあるんです。
苦:時代順が逆だろ! さて1547年のヘンリ8世が死に、9才で唯一の息子エドワード6世(位1547~1553年)が即位します。ヘンリ8世は幼い息子を顧問団集団に補佐させるよう遺言を書き残していましたが、母ジェーンの伯父エドワード=シーモアがそれを握りつぶしました。
微:レーニンの遺言を改竄したスターリン、意識不明の首相から後継指名された森か。
苦:ヘンリ8世は生前、エドワードをスコットランド女王メアリ=ステュアートと結婚させ、スコットランドをイングランド管理下に置く構想を持っていました。エドワード=シーモアはこれを実現しようと、力業でスコットランドに攻め込むんですが、失敗します。
微:スペインみたいに、二人が出会ってときめかないとなあ。せめて制服着たメアリにトーストを口にくわえさせて、辻でエドワードと衝突させるくらいの演出しないと。
苦:マンガじゃねえよ! 息子エドワード6世は、変革を嫌った父と違って、プロテスタント的な信仰の確立のためにイギリス国教会最初の変革を行います。国家事業として出版された1549年の『英国国教会祈祷書』で、1552年に最初の改訂が行われました。
微:どうせゴーストライターが書いたんだろ。昔、松本伊代が自分の本を宣伝していて、鶴太郎に「どんなことを書いたの?」って聞かれて、「まだ読んでないからわかんない」と答えたのを思い出したぜ。
苦:1552年、エドワード=シーモアが反逆罪で処刑され、ノーサンバランド公ジョン=ダドリーが実権を握ります。ダドリーはエドワードの病状から死期が近いことを悟り、1553年に自分の六男ギルフォードをエドワードの従姉フランセス=ブランドンの娘ジェーン=グレイと結婚させます。
微:死期を早めた、の方が正解じゃないのか?
苦:そして継承順位が低いジェーンを次の王に指名するよう死の床にあるエドワードに迫ったのです。
微:石原伸晃のコロナ入院5000人抜きよりは良心的だな。
苦:エドワード6世が15歳で死ぬと、その4日後にジョン=ダドリーはジェーン=グレイが女王となること宣言したのです。まあ、誰も支持してくれませんでしたが。
微:ダドリーのくせに段取りが悪かったんだな。完全に名前負けだぜ。
苦:別の言語だろが! ダドリー一派を危険視した枢密院は、急遽、王女メアリをロンドンへ呼び戻しました。ロンドン民衆も反ジェーン=グレイで蜂起しました。こうしてメアリ1世が即位し、ダドリー親子とジェーン=グレイは反逆罪で斬首刑となりました。ジェーン処刑を描いた絵は、昔はロンドン塔に展示されていて夏目漱石もお気に入りだったようです。今はテート・ギャラリーです。
微:残念ですが、まだ首は落とされてませんから、よい子が見ても大丈夫だよ。
苦:そのメアリ1世(位1553~1558年)はヘンリ8世最初の王妃キャサリンの娘で、1525年にプリンセス・オブ・ウェールズの地位が与えられました。ヘンリ8世は「イングランドでは女子の王位継承を妨げる法はない」と断言します。実際、ヨーロッパ大陸部でフランク王国支配下に入った地域は「サリカ法典」が有効とされ、女王の即位が禁じられていましたが、北欧やイングランドは違いました。
微:カール6世が羨ましそうに見ていただろうな。でも王家内部の暗闘は凄まじそうだな、おい。
苦:はい。メアリの人生も相当なもので、ヘンリ8世がアン・ブーリンとの再婚のためにキャサリン・オブ・アラゴンと離婚すると、王女および皇太女の地位は剥奪され、庶子とされました。
微:部屋の壁に「庶子貫徹! 女王即位!」と貼り紙して耐えたそうです。
苦:アン・ブーリンは第2王女エリザベスを出産すると、メアリにエリザベスへの臣従を命じました。
微:うわー、わかりやすい虐めだな、絵に描いたような。"Kiss my Ash!!"的な命令。
苦:それを拒否したメアリに激怒したアン・ブーリンは、メアリをエリザベスの侍女におとしめ、アンが王妃の地位にいる間、父ヘンリ8世はメアリとの面会を拒否したのです。
微:これを元ネタに『小公女』や『ぼたんとばら』が書かれたんだな。これは時間順も合うぞ。
苦:さて、即位した熱心なカトリック信者であるメアリ1世は、再びイングランドをカトリックに戻そうとし、これに反対する者への徹底的な弾圧や処刑すら辞さなかったため「ブラッディ・メアリ」(血染めのメアリ)と呼ばれたことで知られます。
微:そうなんですよ。毎日、電気を流した有刺鉄線を張ったリングに上がって、相手レスラーごと飛び込んでいって、流血と生傷が絶えなかったそうです。そうして体格の小ささを乗り越えて国民的人気を得たわけです。
苦:それはプロレスラーの大仁田厚だろが! さてメアリは結婚の相手にスペイン王太子フェリペ、後の国王フェリペ2世を選びます。
微:それって、かなり濃い近親結婚じゃねえのか? 沖雅也が悪魔となって来たりて笛吹くぞ。
苦:その意味でも、またそれ以上にイギリスがカトリックの大国スペインの属国になることを恐れて、その結婚には反対する貴族が多く、実際ケントで蜂起が起こります。反乱は失敗しましたが、この時も、またこの後起きる反乱もすべてエリザベスを王位につけることを表向きは要求しています。
微:さしづめ、ラッシャー木村のマイク・パフォーマンスだな。「おい、馬場、オレと勝負しろ!」って。
苦:誰もマイク用意してませんから。メアリは反対を押し切り、1554年フェリペと結婚しました。ですが2年でフェリペはスペインに帰国してフェリペ2世として即位し、ようやく1年半後にロンドンに戻ったものの、わずか3ヶ月後には再びスペインに帰国しました。
微:なんかメアリって、フェリペ2世のイングランド妻って感じだな。
苦:フェリペ2世との結婚後、懐妊と思われた状況もありましたが、卵巣腫瘍が発病していたようで、メアリ1世は5年余りの在位の後、1558年11月17日にセント・ジェームズ宮殿で亡くなりました。
微:まあ、夫がほとんど外国ではなあ。
苦:映画『エリザベス』冒頭部でも描かれていますが、妊娠と思われたのは卵巣腫瘍の症状だったと推測されています。メアリは異母妹エリザベスを終生憎み続けました。内戦に敗れて幽囚の身だったメアリは、死の前日にようやく自分の後継者としてエリザベスを指名したほどでした。
微:オレの教員採用通知にも「残念ながら採用とします」って書いてあったけど、同じだな。
苦:キミが言うと本当に聞こえるところがすごいです。さて、エドワード6世と次のメアリ1世の治世、あわせて10年ほどは、イングランドが史上最も荒廃した年代と呼ばれ、メアリの命日はその後200年間、圧政から解放された祝日として祝われました。
微:「悪夢のような民主党政権」みたいに、後出しでも言った者勝ち。
苦:そしてエリザベス1世(位1558~1603年)が即位します。美しいと表現されることが多い彼女ですが、その顔に塗る白粉の量は半端ではなく、厚さ1cmに達したと言われています。
微:それでも鈴木その子には負けていたけどね。
苦:それは照明の技術差ということで。エリザベス1世は生涯を独身で終え、テューダー朝最後の女王となりました。国外の王族と結婚すればその国の属国になり、国内の貴族と結婚すればその貴族が国王となってしまうというジレンマを、未婚でいることによって回避したようです。
微:「結婚できないんじゃないの、し・な・い・の!」だな。でも愛人はいたんだろ?
苦:それは後で。エリザベス1世は1559年に国王至上法を再発令し、統一法によって国教会を国家の主柱として位置づけました。議会も女王を「信仰擁護者」として認識し、反プロテスタント的法を廃止しました。彼女の選んだ道は「中道」と呼ばれるもので、イングランドに混在するプロテスタントとカトリックがお互いを否定し排除することなく、共存できる道を選んだのです。
微:姉と共存できなかったくせに。
苦:メアリの死後、当然ながらスペインとの対立が深刻化します。財政難を補うため私掠船に掠奪許可証を与え、植民地から帰還途上のスペイン船を掠奪をさせていたこと、また当時スペインからの独立戦争を戦っていたオランダを支援したことが原因です。
微:スペインからすれば、オランダもイングランドも言うこと聞かないだけでなく、敵だと。
苦:こうして1588年、ついにスペイン無敵艦隊の侵攻を受けますが、海賊上がりのドレーク提督以下、アルマダ海戦において無敵艦隊を倒し大勝利を収めました。
微:420年でその呪いが解け、2008年にようやくEURO2008でスペイン代表は優勝できたんだな。
苦:懐かしいですね。本題ですが、エリザベスは「私は国民と結婚しました」と公言し、生涯独身であった事から処女王(the Virgin Queen)と呼ばれていますが、実際にはレスター伯ロバート=ダドリー、エセックス伯ロバート=デヴルーなど、数人の愛人を持っていました。
微:知ってて騙されたふりしてからかう。それがイギリスのユーモア。
苦:特にダドリーとは一時は結婚まで考えたようですが、その妻エイミーの事故死をダドリーとの共謀と疑われ、結婚を断念しています。
微:多額の保険金をかけていたことが仇となったそうです。
苦:紀州のドンファンじゃねえよ! なお、王家がウェールズ出自という事情もあって、彼女の臣下として活躍した人物には、フランシス・ドレークやウォルター・ローリーなどウェールズ系が多いです。
微:”ヨゴレ”マニアだったんだな。でも、テューダー朝は日本のプロレス史に置き換えるとわかりやすいな。ヘンリ8世が日本プロレスの父力道山。有力な弟子でいくと、メアリ1世が王道のジャイアント馬場、エリザベス1世が後継者を育てなかったアントニオ猪木、弱いエドワード6世がラッシャー木村。スコットランドに広がったヘンリ7世の血を引くステュアート朝が前田日明のUWF。
苦:じゃ、子供のスキャンダルが売りのエリザベス2世が娯楽路線のWWEか?(チャンチャン)
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