世界史漫才24:騎士団編
苦:今回は十字軍運動の中から出現した騎士団です。
微:ああ、あのわずかなコードしか弾けないリーゼントの馬鹿バンドだな。消えたけど。
苦:それは氣志團だろ! さて1096年から多くの聖地で活動する騎士団あるいは騎士修道会が結成されますが、ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団、そしてテンプル騎士団が三大騎士団に数えられます。右の写真のように聖ヨハネ騎士団は現在もあり、今の正式名称は「ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」です。まあ、マルタ騎士団の方が通じるでしょうが。赤十字のシンボルもこれに由来します(※写真あるつもりでお願いします)。
微:ワタシも2008年の年末をそこでお世話になり、無事に新年を迎えました。
苦:キミは日比谷公園だろ! 聖ヨハネ騎士団の歴史は1023年ごろ、アマルフィの商人がイェルサレムにある洗礼者ヨハネ修道院跡に病院を兼ねた巡礼者宿泊所を設立したことに始まり、1113年に教皇から騎士修道会として正式な承認を得ました。
微:認可に90年かかったのか。オレの年金記録の復元もそれくらいかかるだろうな。
苦:笑えねえよ! 1291年にアッコンが陥落した後は、キプロスに一旦逃れ、1309年にビザンツ帝国領ロードス島を奪って本拠地とし、1522年にオスマン帝国のスレイマン1世にロードス島を奪われると、ローマ教皇と皇帝カール5世の斡旋でマルタ島に移り、以後マルタ騎士団と呼ばれるわけです。
微:日本史でいうところの足利義昭だな、流れ流れて流されて、鞆が浦。
苦:そこまでは行きません。ちなみに1571年のレパントの海戦にマルタ騎士団の船も参加しています。
微:でも、自国の船舶の保護しかできないから、何もしなかったんだろ?
苦:それはソマリア沖の自衛艦だよ! 一方、ドイツ騎士団の前身は、第3回十字軍に参加したドイツ出身の戦士たちを保護するため、ハンザ同盟の貿易商が資金を提供して設立されたドイツ人の聖母マリア病院修道会にあります。
微:騎士団メンバーって、実は入院患者で、騎士団は体のいい隔離病棟だったのか? そう考えると気が狂ったとしか言えないような異教徒への憎しみも理解できるが。
苦:似たようなもんかも。病院修道会は12世紀末にテンプル騎士団をモデルとする騎士修道会に再編成され、教皇インノケンティウス3世によってドイツ騎士団として公認されました。ドイツ騎士団早くから中東を離れ、ハンガリー王の招きで1211年にハンガリー領トランシルヴァニアに移り、1225年にポーランドのバルト海沿岸に移り、異教徒からのカトリック世界防衛を担いました。
微:騎士団業界のトルコ民族って感じだな。アルタイ山脈から流れ流れて。
苦:それは民族移動です。1230年には教皇グレゴリウス9世から、異教徒たちを倒すことは神意に適うと同時に、罪を贖う救済行為だとする教勅を与えられ、プロイセン人の土地の征服に邁進します。聖戦思想はバルトの地で現実化したのです。
微:当時の人々は”13世紀のイラク戦争”って呼んだそうです。
苦:んなわけねえよ! しかし1385年にヤギェウォ朝ポーランド・リトアニア連合王国が成立し、リトアニアがカトリックに改宗すると、ドイツ騎士団国家は存在理由を失います。その上、1410年にヤギェウォ朝とのタンネンベルクの戦いに大敗を喫し、ポーランド王の臣下となったのです。
微:ウクレレ・バンジョーじゃない、波瀾万丈の歴史だな。
苦:最後にフランス王フィリップ4世によって解体され、今なお多くの伝説を持つテンプル騎士団です。フィリップ4世は13世紀末からのイングランドとフランドル伯との戦争費用に苦しんでいました。
微:ああ、色々新しいことやって受験生を困らせている王様だな。
苦:戦費の調達のために1306年には国内のユダヤ人を一斉に逮捕・資産没収・追放の暴挙に出ます。それでも足りず、フランス内の教会に課税しようとして教皇ボニファティウス8世と対立したわけです。そして1309年には保養先のアナーニで教皇を捕まえて幽閉するアナーニ事件を起こします。
微:でもこれらの前に三部会を開催して承諾を得ているあたり、大胆なだけでなく計画的だな。
苦:その通りです。それに必要な官僚制もギョーム・ド・ノガレを使って整備しました。財政再建の最後の手段として行われたのがフランス王室最大の債権者テンプル騎士団解体だったのです。
微:フィリップ4世の債務返済計画発表の記者会見に、テンプル騎士団が専用飛行機でやってきたことがフィリップ4世を激怒させたそうです。
苦:それはアメリカの自動車会社のバカCEOだよ! そもそも、テンプル騎士団の正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」で、聖地への巡礼者を保護する目的で活動を開始しました。
微:貧しいふりをして物乞いで資金を集めたんだな。1980年代の統一協会のように。
苦:あれは別団体です。初期の本部がソロモン王のイェルサレム神殿の遺構の上にたてられたため、一般にはテンプル騎士団と呼ばれました。警視庁が桜田門と呼ばれるのと同じ感じですね。
微:ってことは、テンプル騎士団解体は「桜田門外の変」か?
苦:譬えだよ、譬え! テンプル騎士団の最大の特色は、参加した王族や貴族たちから預かった財産を使って為替・金融システムを発達させ、最初の国際銀行ともいうべき役割を果たしたことです。その上、テンプル騎士団は巡礼者の預金証を作成し、彼らの資産を預かるサービスも発明したのです。
微:あくどいのう。イタリアの信用金庫がピエタ、「慈悲」として始まったのとはえらい違いだな。
苦:多くの寄進を集めたことによって12世紀から13世紀にかけて騎士団は莫大な資産をつくり、それによってヨーロッパから中東にいたる広い地域に多くの土地を保有し、そこに教会と城砦を築き、自前の艦隊まで持ち、最盛期にはキプロス島全部を所有していました。
微:いっそのこと、テンプル騎士団に竹島というか独島買ってもらったらいいんとちゃうか。日本と韓国の関係もすっきりするぞ。ついでに尖閣諸島や南沙諸島も買ってもらった方がいいかも。
苦:テンプル騎士団のパリ支店、いやパリ支部はたびたびフランス王に対する財政援助を行い、フランスの非公式な財務省といえるほどの規模になりました。というか、引くに引けない状況になったのです。
微:今の時代だったら、借りた方が偉そうに出られるのにな。楽天とかソフトバンクとか。
苦:そのため、フィリップ4世は債務の帳消しをはかってテンプル騎士団の壊滅と資産の略奪を計画したのです。そしてどこまで本気か知りませんが、テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併し、自らがその指導者の座について聖地を再征服する夢を持っていました。
微:かろうじて成功したのはオリックスと近鉄の合併だけでした。
苦:オマエは宮内か! さらに自分の子孫にその座を継承していくことで自らの一族が世々にわたって全ヨーロッパの支配者になるという夢さえ抱いていたそうです。
微:日本相撲協会が世界征服をする以上に無謀な夢だな。
苦:まず、手始めにフィリップ4世は聖ヨハネ騎士団との合併をテンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーに提案しますが、即座に拒絶されました。
微:そんな提案したら、今はロケットに入れ込んでいるホリエモンがしゃしゃり出てくるぞ。
苦:そこでフィリップ4世は匿名証言と拷問も使える「異端審問方式」を用いることにしました。
微:一反木綿方式?
苦:それは『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪! テンプル騎士団の入会儀式が秘密だった告発に利用されました。異端審問には教皇庁の認可が必要ですが、当時の教皇はフランス王の意のままに動くクレメンス5世なので何の問題もありません。テンプル騎士団は入会儀式におけるソドミー行為、反キリストの誓い、悪魔崇拝といった容疑で起訴されたわけです。
微:女性週刊誌の後出しスキャンダル報道か!
苦:1307年10月13日(金曜日)に、フィリップ4世はフランスに呼び出したテンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーを始めとするフランス内のテンプル騎士団員を一斉に逮捕させました。教皇クレメンス5世にテンプル騎士団を解散させました。国内の資産を没収し終えると、フィリップ4世は口封じのために投獄されていた4人の指導者たちの処刑を指示します。
微:バカなことにケータイのメールで指示したもんで、履歴から足がついたそうです。
苦:1314年、ジャック・ド・モレーら最高指導者たちはシテ島の刑場で生きたまま火あぶりにされました。火刑の際、ジャック・ド・モレーは、フィリップ4世と教皇クレメンス5世に呪いの言葉を発したそうです。その効果なのか、同年中にフィリップ4世もクレメンス5世も亡くなりました。
微:その言葉、『この恨み、晴らさでおくべきか・・・』だな、間違いない!
苦:それじゃ、『魔太郎が来る』だよ! テンプル騎士団については19世紀まで彼らに押しつけられた異端の汚名は晴らされることがなく、無批判に受け入れられていました。現代のカトリック教会の公式な見解では、テンプル騎士団に対する異端の疑いは完全な冤罪であり、裁判はフランス王の意図を含んだ不公正なものであったとしています。2007年10月12日にローマ教皇庁はテンプル騎士団の裁判資料である『テンプル騎士団弾劾の過程』を公開・頒布し、その名誉回復に務めています。
微:『ダヴィンチ・コード』の後なのに、大人の対応だな、ローマ教皇庁。
苦:その最後のあっけなさから、テンプル騎士団にまつわる伝説は多いです。たとえば彼らがソロモン神殿跡地から聖杯、あるいは聖櫃、あるいはイエスがかかった十字架を発見したなどがその典型です。
微:オレはイエスの財布を発見したんで営利活動に邁進したって聞いたぞ。
苦:伝説というか、ヨタ話を捏造するな! また、多くの団体がその神秘性を高めようと、自らの出自を勝手にテンプル騎士団と結びつけていきました。その代表的なものがモーツァルトも加入していた石工の結社フリーメーソンです。
微:日本の神社が役行者、お寺が弘法大師に由緒を強引に結びつけるのと同じだな。
苦:まさにその通りです。オカルト的な創作活動において、テンプル騎士団の神秘的なイメージは利用されつづけています。
微:日本でも草薙の剣やらムー大陸やキリストの墓など、与太話にマニアは飛びつくもんな。
苦:まだこれくらいはマシです。荒稼ぎしているスピリチュアル・カウンセリングに引っかかるより。
微:それって、騙して稼ぎすぎると生きたまま焼かれるぞ、っていう意味か?(チャンチャン)
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