世界史漫才36:ブルボン家とアンリ4世
微苦:ども微苦笑問題です。
苦:今回はブルボン朝の祖アンリ4世です。
微:日本でブルボンと聞くとアルフォートとかホワイトロリータとか安物お菓子メーカーだな。
苦:いや、新潟のメーカーが高級感を出すために勝手に使用したんでね、順序が反対です。またロリコンで有名なのはルイ13世ですし。本題に入ると、ブルボン家の始まりは国王ルイ9世の末子クレルモン伯ロベールに生まれた息子ルイ1世にあります。
微:十字軍版「一人でできるもん!」をやってチュニスで死んだ人?
苦:「まいちゃん」じゃありません。フランスでは聖ルイ(サン・ルイ)と崇められたいます。ルイ9世の末子ロベールに生まれた息子ルイ1世が国王シャルル4世によって1327年にブルボン公に叙せられました。これがカペー系ブルボン家の始まりです。
微:「カペー系」以外にストリート系とかオラツキ系とかセカイ系とかいるんか?
苦:それは行動とセットになった日本の若者の自意識・自己正当化です。実はブルボン家は途中で女系によって継承されたのでこういう言い方をします。ハプスブルク家がマリア・テレジアで継承されたように。日本でも上杉謙信から景勝への家督継承も姉絡みだったでしょ。
微:貴景勝は金絡みだな、不動産系の。
苦:直系で継承すると貴乃花になりますからね。話を戻します。1328年ィリップ6世が即位してヴァロワ朝が始まると、イングランド王エドワード3世がこれに異を唱え、百年戦争が勃発します。この時、ブルボン家はヴァロワ家の外戚として、また有力諸侯としてこれを支えていくんです。
微:まあ、今は王位を狙う時期ではないと、加藤が菅を庇うようなもんか。
苦:バカの連鎖はいやですね。しかし戦争末期にシャルル7世が即位し、リッシュモンによる常備軍創設が進むと貴族の国王への抵抗が難しくなります。時のブルボン公シャルル1世とシャルル7世の関係は微妙になりました。
微:対立候補を擁立する・しないで公明党を揺さぶる大阪維新の会と公明党みたいなもんか。
苦:それが1440年に発覚したプラグリーの乱の背景で、首謀者はブルボン公シャルル1世。シャルル7世を廃して王太子ルイを王に就けようとしたんです。シャルルばかりでややこしいですが。
微:イングランドが撤退して、やっと本性が出たんだな。「推し」のためなら何でもするぞ!って。
苦:1461年にはシャルル7世が死去し、ブルゴーニュ公国に亡命していた王太子ルイがルイ11世に即位します。ですが、期待に反してルイ11世は父の中央集権化政策をさらに進めました。
微:この軟弱者! 恩知らず!って感じだな。
苦:当然、ブルボン家とブルゴーニュ公を始めとする多くの諸侯は反発しました。そこにヨーク朝の王エドワード4世も介入するなど、円満に英仏関係も収まってはいませんでした。その両家が15世紀に次々と当主の早すぎる死から直系が断絶します。
微:百年戦争ではなく、その後の争いで名門貴族は断絶したんか。後から回ってくる毒みたいだな。
苦:フランス王家も貴族も国を超えた政略結婚ネットワークで外国君主と結びついており、外国の介入は絶えずありました。王と言っても「特大」貴族にたいな性格をまだ持っていたからです。
微:まあ、そうだよな。
苦:また当時から国王や貴族当主には当然ながら愛人がいまして、彼女らが産んだ庶子への継承を認めるのかどうかでもしょっちゅう揉めます。ちなみにヴァロワ家でもシャルル8世の死で嫡流が絶え、オルレアン公シャルルの傍系のフランソワ1世が1515年に王位に就きました。
微:あのカルロス1世と皇帝選挙で争った王だな。
苦:はい、選挙で勝ってカール5世です。当時ブルボン家もサヴォワ家と相続を巡って争い、ブルボン公シャルル3世はカール5世陣営についていました。イタリア戦争もこの人がやってます。しかもイングランドのヘンリ8世まで巻き込んで。
微:「反フランス」でならスペインとイングランドは提携できるんだな、さすが国際政治。
苦:このシャルル3世ですが、1525年のパヴィアの戦いで皇帝軍を指揮し、フランソワ1世を捕虜にしてます。ですが、ローマ包囲中に戦死したもんですから、ブルボン公位はヴァンドーム公シャルルに移ります。
微:ブルボン公シャルル3世が無意味に張り切りすぎたもんだから。
苦:ちなみにヴァンドーム公シャルルの伯母ジャンヌは、公の死後に再婚してマドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュを産んでます。マドレーヌはカトリーヌ・ド・メディシスの母でした。
微:息子シャルル9世のためにヴァロワ朝を仕切った、あの鬼のようなおばさんだな。
苦:ヴァンドーム公シャルルの息子アントワーヌは、ナバラ女王ジャンヌ・ダルブレと結婚してナバラ王位も得ました。アンリ4世が即位前にはスペインとの国境近くのナバラ王だったのはこのためです。
微:ピレネー山脈のバスク人地域?
苦:このジャンヌの母マルグリットはフランソワ1世の姉だったものですから16世紀後半にブルボン公は最も王位に近い位置にいました。ですが、難点があって、それはジャンヌはカルヴァン派を国教として領内のカトリック教徒を弾圧したほどの熱心なユグノーだったことです。
微:それってユグノー版サンバルテルミを自分の国でやってたということか?
苦:1553年にジャンヌが夫アントワーヌとの間に儲けたのが、のちのフランス王アンリ4世です。アンリは頭が切れるというか有能なことで知られていましたが、排泄訓練ができていない困った点でも有名でした。
微:下半身の「思い立ったが吉日」「人生出たとこ勝負」「出した者勝ち」だな。
苦:ここでメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスが画策します。アンリをパリに連れ出す口実が欲しかったんですね、ユグノーともども殺すために。
微:その後おいしくいただくためにフランスにフォークを持ち込んだんだな。
苦:ナバラ王アンリはカトリーヌ・ド・メディシスの娘でシャルル9世の妹マルグリット(マルゴ)との結婚に追い込まれ、パリに向かいます。「ユグノーとカトリクの融和には二人の結婚が必要」という大義名分には逆らえません。アンリはカトリックに改宗します。その結婚式後にカトリーヌの意を受けたギーズ公の兵士たちが1572年のサンバルテルミの虐殺を行います。
微:殺す側がめっちゃ楽しそうな絵のやつだな。
苦:サン・バルテルミの虐殺のため、不幸な結婚となったアンリと妻マルグリットとの関係は冷え切りました。
微:マイナス75度で保管する必要があったそうです。
苦:ワクチンかよ! この事件から2年後の1574年にシャルル9世が若くして死にます。新国王にシャルル9世の弟がアンリ3世に即位します。一方アンリ4世とマルグリット夫妻の間には子供も当然ながらいませんでした。二人とも大っぴらに多くの愛人を囲っていたからです。
微:映画『王妃マルゴ』では独身時代も節操ない女性として設定されていたけど、あれは伏線か。
苦:1576年にアンリはナバラに逃走してプロテスタントに再改宗しました。「私は間違っていた」と演説し、ナバラ人の心を取り戻し、ヴァロワ朝に挑みます。その結果、ユグノーのナバラ王アンリ、国王アンリ3世、カトリック連盟のギーズ公アンリの三つ巴のいわゆる「三アンリの戦い」と呼ばれる泥沼状態に陥りました。
微:河合案里夫妻は参戦しなかったのか? 1億5000万円の軍資金で。
苦:ただでさえアンリだらけでややこしいのに雑魚を混ぜ込むんじゃねえよ!
苦:しかしシャルル9世の息子アンリ3世が死ぬと、王位はナバラ王兼ブルボン公アンリに回ってきます。既にカトリック信者が圧倒的なパリがユグノーの王を受け入れることがないと悟っていたアンリ4世は1593年7月にサン=ドニ大聖堂でカトリックに改宗しました。
微:出戻りカトリックだな。でも下半身はヒンドゥー教だろ。
苦:これによって、なおカトリックが優勢であったフランス国民の広汎な支持を受けることに成功し、1594年2月にシャルトル大聖堂で正式に戴冠式を執り行い、3月に遂にパリ入城を果たしました。本来、フランス国王の戴冠と塗油の儀式はランス大聖堂で行われるのですが、カトリック同盟が制していたためです。その後、地方の各都市も続々とアンリ4世に帰順しました。
微:国王の入城儀礼が最近注目を集めているな。
苦:反アンリ4世のブルターニュでのスペインの支援を受けたメルクール公が続けた抵抗も鎮圧し、1595年にブルターニュを平定します。スペインとの和平交渉が始まった1598年4月30日にアンリ4世はナントの勅令を発しました。ナントはブルターニュ南端にある港市で、ハンザ諸都市、ネーデルラント、イギリス、スペインとの貿易で栄えていました。
微:なるほど。確かにオランダ独立戦争とも連動していたんだな。
苦:この勅令(王令)はカトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつ、プロテスタントに多くの制約はあるものの信仰の自由を認め、フランスにおける宗教戦争を終息させました。
苦:アンリ4世がフランス王位に就くと、側近たちは後継者問題で再び内戦状態にならないためにもきちんとした後継者を残すよう進言しました。アンリ4世はすでに3人の子供を生んでいるガブリエル・デストレを妃に望んでいたんですが、1599年4月に急死しました。1600年にメディチ家のマリー・ド・メディシスと結婚、6人の子が生まれていますが、愛人は50人くらいキープです。
微:まさに思い立ったが吉日!
苦:行政面では、税支払いで官職の世襲を保証するポーレット法を定め、また金融家を使った徴税請負人制度を始め、財政再建に努めました。北アメリカの探検にサミュエル・ド・シャンプランを派遣、これは後にカナダ植民地の基礎となりました。また1604年には東インド会社を設立させています。
微:これが本当の地球儀を俯瞰する外交だな。アベの世界漫遊とは違うわ。
苦:有能な君主として国民に広く愛されたアンリ4世だったが、たびたび暗殺されかかりました。ついに1610年、狂信的なカトリック教徒のフランソワ・ラヴァイヤックに刺殺されます。事件は単独犯として決着したが、多くの研究者は権力上層部による陰謀のあくまで実行犯と考えています。
微:まさかお約束の「むしゃくしゃしてやった。こんなことになるとは思ってなかった」?
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