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(3)ウルトラマン、国際連合、日米安保条約~メフィラス星人が突きつけた問い~

3.「ウルトラの世界」と国際連合、日米安保条約

(1)「ウルトラの世界」作戦
 『ウルトラマン』全39話において、金城哲夫単独名義の脚本は7本、共同執筆が別に7本ある(1)。共同執筆脚本は、実質は金城による全面改稿で、特に第1話「ウルトラ作戦第一号」は師である関沢新一の脚本に相当手を加えている(2)。当然、他作家の単独脚本作品とクレジットされていても、金城の手直しは入っているので番組開始の3話を通して金城が構築したかった「ウルトラの世界」を探りたい。
 第1話「ウルトラ作戦第一号」で、ウルトラマンは怪獣ベムラーを怪獣墓場護送中に誤ってハヤタ隊員を死なせてしまった責任をとるというか、宇宙船が壊れて帰還できないのでウルトラマンは地球に残るという言い訳をする(3)。この挿話から光の国住人たちは宇宙全体で警察活動をしていること、そして以後のウルトラマンの活躍は彼の善意によるものと設定した。第2話「侵略者を撃て」(高野宏一脚本)は地球への移住を希望するバルタン星人との問題を話し合いで解決しようと、ウルトラマン変身前の科特隊員ハヤタとイデがバルタン星人代表と交渉する。その過程でハヤタは「いいでしょう。君たちがこの地球の風俗・習慣になじみ、地球の法律を守るならば、それも不可能なことではない」とまで答えている。もちろん、バルタン星人の目的が侵略と判明して「怪獣プロレス」に突入するが、そこに到るまでにこそ金城が科特隊も含めてウルトラマンに込めた理想が現れている。ここでは仮に「国際主義」「博愛主義」と呼んでおこう(4)。

(2)ウルトラマンの世界-国際連合、憲法第9条の擬人化-
 金城はウルトラマンを「宇宙平和を守るための警察官」、もっと言えば身勝手な私的利益を追求しそうな個々の星人(国家)を監視し、「大国間の利害調整」ではなく、「善意かつ無償で弱い星人(地球)の安全と主権を守る」国際連合的なものとして位置づけた。いわばPKO部隊のやむなき発砲や国連安保理の決議を経た軍事制裁のように最後の手段として怪獣・宇宙人を倒すこともある存在と描こうとした。1966年当時、まだ沖縄には施行されていない日本国憲法前文と第9条の理想が実現した世界と表現してもいいだろう。金城はウルトラマンが「戦争代理人」「怪獣キラー」として視聴者に映ることを避けたがった。
 だが現在でも世界の平和を乱す国は存在し、紛争はその可能性も含めて存在する。加盟国の安全を保障し、違反国に自制を迫り、最終的には軍事制裁まで行う権能をもつのは安保理である。つまりウルトラマンは国連安保理を擬人化したものだったのだが、「変身ヒーロー」モノとして設定され、先行する『ウルトラQ』の人気によって怪獣・宇宙人は登場させなければならない。必殺技で侵略者・怪獣を倒すストーリーが本道だろう。しかし金城はそんな単純な「勧善懲悪」的な世界を避ける、ないしは薄めようと腐心した。ウルトラマンを宇宙人と地球人、怪獣と人類の間に存在する不幸な対立の調停者・仲裁者であると性格づけ、それを子どもたちに実感させるためである。
 それでもまだ足りないので、倒される側の怪獣(安保理の制裁対象国)についても、娘を差別から救おうと死んだ母親が怪獣となって雪深い山に現れたものだったり、宇宙開発競争時代に見捨てられた宇宙飛行士だったり(5)、と排除や人間社会の身勝手さを告発するものも含まれていた。空き地の土管に小学生が描いた怪獣の絵が宇宙線によって怪獣化し、子どもの夢を守るために宇宙に送って星とするメルヘンに近い作品さえあった(6)。
 第3話「科特隊出撃せよ」は、江戸時代に武士に退治される寸前に古井戸に逃げて姿を消したという伝承を持つ怪獣ネロンガを登場させた。怪獣は古い時代から存在し(7)、地球あるいは自然の一部である。つまり怪獣は倒すだけの対象ではなく、その荒ぶった野性は自然からの人間への警告であり、犠牲となった怪獣は場合によっては供養の対象にすらなるという世界観である(8)。これが「ウルトラマンの世界」だった。

(3)ウルトラマンの日米安保条約化
 第二に金城の立場から必然的に導かれることだが、ウルトラマン(光の国住人)は博愛主義者であり、遠い宇宙の彼方M78星雲の光の国住民は、命を顧みずに善意かつ無償で宇宙全体の平和のために活動している国際主義者(星際主義者?)である(9)。
 この博愛主義も「世界人権宣言」(1948年)を持ち出すまでもなく、国際連合が発想の原点だろう。金城の「強い者が弱い者をやっつけるのはよくない」という発言は、国連安全保障理事会への期待である。だが、冷戦の進行とともに国連安保理が機能停止してから、国連憲章第51章が認めた地域的あるいは集団的自衛権の容認が重みを増した。それは日本の主権回復が日米安保条約(10)とセットになる事態を生んだ。1960年安保闘争を巻き起こした新日米安保条約(11)によって米軍の本土防衛義務は明記されて日本はアメリカの核の傘の下に入った。日本の対米軍支援と相互援助義務も明記されたが、実際には日本に基地を提供できてもアメリカを軍事的に援助する力はなかった。
 『ウルトラマン』に登場する科学特捜隊は怪獣・宇宙人退治に最大限の努力はする。だが非軍事組織ゆえの限界が自ずとある。ウルトラマンの世界と調和させるための設定が災いし、科特隊も含め人類では倒すことができない怪獣・宇宙人をウルトラマンに倒してもらう(侵略者を駆逐してもらう)ことは、戦争代理人アメリカに「しんどいこと」「面倒なこと」を押し付けている「情けない平和国家日本」を浮かび上がらせることになった。金城の理想とは裏腹に、「怪獣キラー」として活躍すればするほどウルトラマンは日米安保条約の化身となっていった。
 「ウルトラマンの世界観」は、それを継承して始まった『ウルトラセブン』と比較するとより鮮明になる。モロボシ・ダンが所属する地球防衛組織がウルトラ警備隊であったことが端的に示すように、『ウルトラセブン』は勇壮さを増したウルトラ警備隊とウルトラセブンよる侵略撃退ドラマだった。完成度は高まり娯楽性は上がったが、ウルトラセブンの世界は安保体制下の「戦力を増した自衛隊とアメリカ軍の連携」と映っただけでなく、「全力を尽くしても弱い日本の正義」と「圧倒的に強いアメリカの正義」賛美となった(12)。
その一方で金城が担当した脚本には「境界人」「裏切り者」としての自分を投影する話があり(13)、「投げやり」さと彼の悲しみが滲んでいる。
 しかし、その情けない状態を粉塗する手段が戦後日本にはあった。平和憲法の根幹をなす憲法第9条である。戦争放棄は自身・自国の利害に叶うだけでなく、地球上から紛争や身勝手な戦争がなくなった状態を先取りしているという屈折した自尊感情も生み出した。その自尊感情を傷つけないためにも、できるだけ本土から米軍基地は見えない方が良かった。1952年以降は本土の米軍施設は急激にその面積を縮小させていった一方、1953年から「銃剣とブルドーザー」によって沖縄の米軍基地・軍用地は強制的に拡大した(14)。

(4)ウルトラマンが示してしまった「甘え」
 敗戦国日本が復興途上にあり、諸外国から小国と見られている間は、自国の安全保障を形式的には国連、実質的にはアメリカに丸抱えしてもらっていても「しかたがない」と言い訳できた。だが1966年からは「いざなぎ景気」を迎え、1968年にはGNPの規模で西ドイツを抜き、資本主義国第二位になった。そのタイミングで『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』は放映された(15)。本土は沖縄を「反共・防共の砦」として差し出すことでアメリカ経済に甘え、経済大国への道を進んだ。
 実は金城も日本本土に甘え(期待し)ていた。ウルトラマンの博愛主義、先の「強い者が弱い者をやっつけるのはよくない」という金城の発言は、米軍統治下にある「弱い沖縄」のために「強い」本土が兄弟愛を発揮し、沖縄の本土復帰と在沖米軍基地撤廃とを進めて当然だ、という期待も含んでいるだろう。「沖縄と本土の架け橋になりたい」との願いは、ここにその真意を発揮する。
 1955年にアメリカはジェム大統領にベトナム共和国を建てさせ、ベトナム民主共和国との間でベトナムは南北に分断された。劣勢となった南ベトナムを支援するため、アメリカは1964年にトンキン湾事件を捏造し、翌1965年から北爆を開始してベトナム戦争が始まった。連日、嘉手納基地から北ベトナムで大量の爆弾、枯れ葉剤、毒ガスを投下するB52爆撃機が発着した。沖縄はその戦略的価値をさらに上げただけでなく、沖縄経済は1965年から年率15%を超えるベトナム戦争特需景気に沸き立った(16)。
 前置きが長くなりすぎたが、ようやくわれわれは『ウルトラマン』の第33話「禁じられた言葉」を考察できる地点にたどり着いた。


(1)金城単独脚本は第10話「謎の恐竜基地」、第13話「オイルSOS」、第20話「恐怖のルート87」、第30話「まぼろしの雪山」、本稿の考察対象である第33話「禁じられた言葉」、第37話「小さな英雄」そして最終話である第39話「さらばウルトラマン」。共同脚本は第1話「ウルトラ作戦第一号」(関沢新一と)、第7話「バラージの青い石」(南川竜と)、第8話「怪獣無法地帯」(上原正三と)、第18話「遊星から来た兄弟」(南川竜と)、第26・27話「怪獣殿下(前・後編)」(若槻文三と)、第29話「地底への挑戦」(南川竜と)。
(2)上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(筑摩書房、1999年)、132-139頁。特に師の関沢新一の原稿を改稿する時には、そのことの了解を得るために関沢の自宅に訪問までしている。
(3)最終話「さらばウルトラマン」では、宇宙船は不要であることも、しかも光の国では命を携帯できることもわかってしまい、第1話・第2話で「基礎工事」をしたウルトラの世界を金城は自分で根底から破綻させた。
(4)佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文芸春秋社、1992年、127-131頁)
(5)第30話「まぼろしの雪山」の怪獣ウー、第23話「故郷は地球」の怪獣ジャミラ(脚本は佐々木守)。
(6)第15話「恐怖の宇宙線」に登場するガヴァドンで脚本は佐々木守。
(7)山田正弘と南川竜共同脚本の第19話「悪魔はふたたび」は3億年前の古代人に封印されたバニラとアボラスを誤って復活させてしまう話。また金城と南川竜の共同脚本による第7話「バラージの青い石」では5000年前から神として崇められるウルトラマンの像(ノア)が登場し、後付けだがM78星雲と地球の関係が示されている。
(8)第35話「海獣墓場」は、第1話で示唆された海獣墓場から地球に落下したシーボーズを科特隊とウルトラマンがそこに帰そうと苦闘する話。なお宗教学者の島田裕巳はウルトラマンの顔の造形が興福寺仏頭に似ていると指摘している(「日本人は、なぜ自力で怪獣を倒せないのか」『映画宝島 怪獣学・入門』(JICC出版局、153-154頁))。
(9)佐藤健志、前掲書123-127 頁。ただ佐藤氏は戦後民主主義を批判する立場からウルトラマンを論じており、それでは金城たちがウルトラマンに託した夢と沖縄の思いを掬いとることはできないだろう。
(10)正式には「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」で、前文はにおいて「日本はアメリカ軍が日本国内に駐留することを希望」する形で米軍駐留を定義した上で、第一条で「日本は国内へのアメリカ軍駐留の権利を与える。駐留アメリカ軍は、極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻や外国からの教唆などによる日本国内の内乱などに対しても援助を与えることができる」とアメリカの日本防衛義務は一切書かれていない。なお日米安保体制の成立と昭和天皇の介在については豊下楢彦『安保条約の成立』(1996年、岩波書店)を参照のこと。
(11)正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」で、第1条は「国際連合憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する」とした上で、第6条において「在日米軍について定める。細目は日米地位協定に規定される」と、事実上アメリカ軍の治外法権と、米軍駐留の負担を
沖縄に押しつけ固定化する内容となっている。
(12)佐藤健志前掲書。『ウルトラセブン』はその名の通り、横須賀を母港とし、アジアにおける冷戦の最前線を担うアメリカ第七艦隊だろう。少なくとも評論家呉智英はそう確信している。
(13)既に言及したNHK総合『歴史秘話ヒストリア』の「ウルトラマンと沖縄~脚本家金城哲夫の見果てぬ夢~」は切通氏の説に従い『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」に薩摩藩による琉球侵攻を重ねる意図があったとしているが、むしろ先住民虐殺を正義の戦争として正当化する「アメリカの正義」を批判したものだと筆者は考えている。
(14)日本本土にあった駐留軍に接収された軍用地は13万5200ha(1952年)、3万3500ha(1960年)、1万9700ha(沖縄が本土復帰した1972年)、8000ha(2014年)と規模を大きく縮小した。軍政下に置かれた沖縄で米軍に接収された軍用地は、日本本土が主権を回復した1952年時点では1万600haにすぎなかったが、1953年からの「銃剣とブルドーザー」による土地強制接収により、1960年には3万400haに、本土復帰時の1972年には2万7800haに達した。2014年時点では在日米軍の再編により2万2700haに減ったが、本土との面積比を勘案すれば、現在でも沖縄への米軍基地集中の異常さは容易にわかるだろう。
(15)『ウルトラセブン』放映が終わった1968年は正反対の方向からナショナリズムが盛り上がった年であった。明治維新100周年記念行事が政府主導行われる一方、ベトナム反戦運動、大学紛争を含む社会運動が盛り上がった。
(16)経済企画庁『昭和47年 年次経済報告』(電子版、第13章沖縄経済の概観)。真栄城守定『沖縄経済』(おきなわ文庫、1986年)の第1章にあたる「沖縄経済の七不思議」には簡易に沖縄経済の外部依存性、特にベトナム戦争特需のことが第3次産業の成長率の高さとともに説明されている。

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