8歳年上の女性だった(1)

 暑い夏が過ぎ、秋になる。簡単にいうけどそこまで大変だったんだ。夏休みを目一杯使った試験という闘いを終え、敗北を思い知った。夏。お盆も過ぎても虚無に満ちていた。家族が、どこにもいない。この思いを抱えきれないまま、今年も1人でまた大学に戻るのだ。もう少し秋は待ってくれてもいいはずだ。
 早い終電を迎えた電車はもう席も埋まって座るところはない。本数が少ないだけあってここだけ山手線のようだ。真っ暗な窓に映る光が徐々に減っていき人の営みが遠のいていく。トンネルを抜ければきっとそこはもう•••。
 「あの、、、」
 誰かが側ではなしてるようだったがか細い声は耳を通り抜けて移りゆく暗い闇の中に落ちた。
 「あの!」
 え?と振り向くと少女の顔があった。うわっ。えっ。もしかしてこれは私のことなのか!?辺りを見回してみるとどうやらそのようだ。な、なんだ。何が?どうした?どうして?頭の中に43回ほどかけめぐる。
 「お願いがあるんですけど」
 はっと見るとお願いがありそうなのはよく分かった。済まなそうな顔をしている。
 「え?」
これが私の精一杯だった。
 「いきなりで申し訳ないんですけど、お金を貸してもらえませんか?」
電車のガタゴトする音がやけに静かに流れていった。意味が分からない。不意打ちで思考が働かない。これはアドリブがどうというレベルではない。即興で宴会芸をする方がまだマシだ。
 「えっと」
絞っても何も出ない。必死で引き出しを開けてもすべて空っぽだ。あみだくじの当たりももう使い切ったらしい。
「切符代が足りなくて貸していただきたいんです。」
 え、えーと、その前にYouはどうやって電車へ•••。と頭の中で発言を整理していたところ
 「今日はお土産を買っていたら時間がなくなっちゃって慌てて通してもらって飛び乗ったんです!でも中で切符買おうとしたらお金が足りなくて!怪しいものではないんです!」
とたたみかけるように状況を簡潔に説明していただいた。誰がどう考えても怪しさしか感じない。
 ふむ、とあらためて少女を見たその瞬間に目を背けるしかなかった。なんだ?一体なんなんだ?天使が迷い込んだのか?試練か?これは試練なのか?一体何の試練なのか。テキーラを飲んだように顔が熱い。
 「あ、それなら別に、いくらですか。返さなくてもいいですよ。出しますよ。」
反対側斜め45°から決して顔を向いてはならぬ。物の怪に連れさられてしまう。塩対応せざるを得ないほどの緊張が身体中に走る。もうやめてくれ。恥ずかしくて死にそうだ。
 「まさかそんな!絶対返しますから!」
と言われましてもどうやって?という気持ちと早くこのみんなが注目する羞恥ショーの場から逃れたい一心だった。おいお前ら、こっちを見るんじゃない。ワタクシ、ナニカ、ワルイコトシマシタカ?チョット、コウハイノコウイニコタエテナイダケデスヨネ。コクハクサレテナイノニツキアエナイトカイワナキャユルサレンノデスカ?
 とりあえず財布からいくらかお札を出して早々にお引き取り願った。少女は車掌のところに行くのだろう。終わった。やっと終わった•••。虚脱して座り込む。時計を見るとそんなに時間はたってない。なんだかもうもう下宿先に帰る力も使い果たして寝てしまいたい気分だった。
 頭を整理しないとおかしくなりそうだ。常軌を逸している。ど、ドッキリか!?もしかしてカメラとか出て来るのか!?あの少女は子役の女優さんなのか?うわーこんな挙動不審な様子を全国放送されたらどうなるんだーと考えていた。
 「あの」
ん?どこかで聞いたような。
 「あの•••」
そこにいたんかーい!ぶはっと立ち上がり直立不動で顔は斜め45°反対側キープ。
 「あ、はいぃ。」
この挙動不審さを観衆のみなさんはどう思っただろうか。もう一瞬で汗だくである。
 「ありがとうございました。少しだけだったので残りお返ししますね。助かりました。後で必ず返しますから。」
「え、い、いいよ。そんな。大丈夫、大丈夫。」
「いーえ、絶対ダメです!」
とそんなやりとりが続いたので私は意を決して少女の目を見て
 「交通費もたくさんかかるんだしバイトも大変でしょ?」
と、少しお兄さん風を吹かしてみた。す、少し決まったかな。
 「いーや、ダメです!私は仕事してますから!」
え、し、仕事?もしや?
 「わたくし、こういう者です!」
と社員証のようなものを見せてくれた。あ、あれ、お姉さん?もしかしてお姉さんなのですか?いや、高校生じゃなくておねいさんなんですか。あは、なんてことだ。試練の詰め込みすぎでしょう。心臓が保ちません。
 あまりの衝撃にその場はまあいいかととにかく矛をおさめて話をきりあげることにした。体がもたない。
 「わ、分かりました。ではどこまで行くんですか?」
行き先なんて一つしかないと分かっているのだがこういう時は淡々と進めていったん落ち着こう。あとは事務手続きだ。
 「あれ、よかった。私もなんです。」
それはそうだろうと、聞くまでもなく分かっていることを順番に聞いていった。もう当初の緊張感はまるでない。
 「うわー!すっごーい!」
と、それまでの一部始終を見ていたお姉さんが目をキラキラさせながらこちらを見ていた。
 「ドラマのワンシーンみたいなすっごい出会い、初めてみました。すごーい!感動!」
 他人事だと思ってえらく軽い調子で楽しんでいたようだ。それもそうか。目的地まで時間がかかってみんな退屈しているんだもの。その前になんのドラマだ。でも、正直言うと1人で応対するのはもう限界で逃げたくなっていたのでとても救われた。救いの神はここにいたのである。
 それからはたあいもない今日の出来事の話などをしてちょっと少女漫画など女子トークを始めたのでやれやれ、と相槌を打っていた。なごやかな雰囲気の中、観客たちの緊張もゆるんでほのかな温度が辺りを包み込んでいった。時間も時間だな、と時計に目をやる。
 「いい歳して恥ずかしいのでちゃんと返させてくださいよ。お兄さんまだ学生さんでしょ?」
ふふっと不敵な余裕を感じ、い、いい歳っていったってそう変わらないだろと目を合わせたその時
 「わたしもう28ですから!」
その言葉に全員が一斉に振り向き、溶けて消えそうなほどの視線が突き刺さる。眠眠打破も真っ青だ。海外のコメディドラマかっつーの!
 申し訳ないがその発言はにわかに信用しがたい。いや、アラサーってどんな感じだったか正確には印象もないのだがアナウンサーでもそんなに若くは見えないぞ。
 怪訝な顔をしたとたん、猛スピードの反応が返ってくる。
 「あー!信じてないでしょ!うわ、失礼なー。ほら、免許証もちゃんと持ってるんですからね!」
財布からさっと取り出し、ピシッと見せる。た、確かに。そして君は少女アニメの正義の味方か何かなのか?だから仕草でも年齢がわからないんだよ!
 「あ、はい、そ、そうですね•••。」
またもや急展開に偽造じゃないよな?と疑う余裕もなく何度も顔と免許証との間を視線が無駄に何往復も泳いでいった。もう私のマジックポイントはありません。
 とりあえず携帯電話の電波が良くない田舎なので、と下宿先の住所を聞かれたので紙にさらさらっと書いて渡した。この日の観客の視線がざわつきを抑えることはもうなかった。
 もうビームも気にならないくらい精気をなくした頃に気がついたら到着のアナウンスが響いていた。駅に着き、荷物をかつぐと電車を降りた。やけに楽しそうなお姉さんは乗り換えに降りていき、少女?にではまた、と言って駅舎を出た。
 いつもの夜空はやけに星がまぶしい。なんだかあの暗闇に吸い込まれていくようだ。
 虫の鳴く田んぼの中を下宿にむかって歩いた。

いいなと思ったら応援しよう!