8歳年上の女性だった(3)
秋の夕暮れ、どっぷり暮れるようになるのは早かった。比較的穏やかで暖かい天気が続いたが、17時のアナウンスが流れる頃にはすっかり暗い。ドラマのような出来事から、少し現実に近づいたのだけど、まだまだ遠いお話のように感じられた。
今とは違い、気軽なメールやメッセージアプリもなかった時代。連絡はそんなにできないし、夜に実家に電話をするのは勇気が必要だった。講義と実習が終わるとお姉さんの仕事は終わって携帯の電波は届かない。それならばと最初にお出かけしてから次の週の土曜日にまた電話を入れてみた。
「もしもし?あれ?あれ?」
と、いう具合でなかなかつながらず。かけ直すと電波の届かないところに、というアナウンス。と、待っているとコールバックが来た。
「もしもし?あれ?なんで!?」
と、音割れした呼びかけの後にやはり切れてしまった。それでもまた連絡があり、やはり長くお話しできないから家にかけて、ということになった。これは緊張感が高い。
どうしたものかまたもや逡巡しながらも、電話を手に取り、かけてみる。
「はい、井上ですけど。」
と、男の人の声だった。お父さんだ。緊張が走る。せすじに冷や汗が走る。
「あの、にんにんと申し・・・」
と緊張しながら話しはじめるやいなや
「あ、いつも娘が本当にお世話になっています。これからもよろしくお願いします。ちょっと待ってください。おい!おい!電話をだぞ!急げ!早く降りてこい!」
トタトタトタと階段を下りる音がして、
「もしもし!」
と、焦ったような声がした。
「あ、い、今のお父さん?」
「うん、昔はうるさかったんだけど最近、はやく嫁に行けっていうようになっててちょっとね。にんにん君のこと話したらその気になっちゃってて。」
結婚・・・この二文字の意味する重さは今までに感じたことのない重みだった。なにしろお姉さんはまさに適齢期という田舎だったのだ。
「友達もみんな結婚していてね、にんにんくんのこと話したらもーほんと、みんなちょっと味見させろとかどうやって騙したとかひどいのよー。」
と、笑いながら話していたが結婚という言葉に怯んだ私の心は見透かされたのかどうか心配だった。
動揺を隠せないまま次の約束について予定を確認して日程を決めた。まずは会わないと何も進まない。それからお互いのことを少しずつ話していって、学校の話なんかも少しした。
「じゃあ、また駅で待ち合わせで。」
ということで受話器を置いた。
結婚・・・。いきなりそこに行き着くか・・・。でもあと4年は学生だからそれを待ってとなるともう32歳。そうだよな。そこまで待てって言えないよな。
約束の日が来るまで結婚ってどんな感じになるのだろうか?と、思い悩む日々だった。もちろん、付き合ったこともないのにそんなことは想像できるはずもなかった。
約束の日が来て、車で迎えに行き、ランチをして、それから東京に行くとスカウトに声かけられて鬱陶しいとか、勝手に写真を撮られて雑誌に載せられたりして情報提供に懸賞金までかかっていてびっくりしたとか、他愛のない(?)お話をした。まだ何も始まってないのにこれからのことについてとても触れられる心境にはなかった。今日は夜から用事があるので、ということで何事もなく家まで送って明るいうちに別れた。
楽しかったがなんだか疲れた日だった。
今度は週のうちに電話をした。またお父さんが恐ろしいほど丁寧な感じに娘をどうかよろしく、と電話に出てから替わった。まあちょっとお話をしながら次の予定をお互いに確認したのだが、自分の試験の都合などでその月は会えなかった。そっか、またね、ということで次の月に連絡することになった。
結婚・・・やはりこの言葉はずしりと重かった。こうしている間にも時間は流れていくのだ。自分はぜんぜんよいのだがお姉さんが。
しばらくの間、学生結婚やらしている先輩を観察したり、それとなく話を聞きながら過ごすようになった。結婚している同級生たちはほとんどの時間が学校なので子供もいると大変、というところだった。たいていは貯金を崩しながら配偶者がアルバイトして生活していたから今からあらためて考えると大変どころの騒ぎではなかったはずだ。