たぶん、きっと、だいじょうぶ
さて「ひとりNIKKI SONIC 2020」いかがでしたでしょうか。24時間で24本の記事を更新する。病み上がりでなかなか本調子とはいきませんでしたが、なんとかやれたのかなあと思います。外出自粛要請が続く週末、ほんの少しでも皆さんが自宅で過ごす時間の助けになったのならば幸いです。
さて、病み上がりと言いましたが、一部の方はご存じかと思いますし、気づいていた方もいるかもしれませんが、わたくしpatoはこの2月に大きく体調を崩し、ほとんどネット上で活動しておりませんでした。
それ以前に入稿していた記事などは公開されており告知などしていましたが、それ以外は何もしていません。できませんでした。3月も何も書いておりません。連載も全て止まったままです。
なぜ体調を崩していたのか、これは言うべきかどうか迷ったのですが、まあ、隠す意味もないので言ってしまうと、おそらく軽度の鬱病でした。おそらくと言っているのは病院とかで診断をつけてもらったわけではないからです。ただまあ、たぶん鬱病だったんだと思います。
突然、何かが心配で怖くなりました。あらゆることが怖くなりました。同時にご飯が食べられなくなり、2週間で13キロ痩せました(それでもデブですが)。あれだけ好きだったストロングゼロも全く受け付けなくなりました。
眠れなくなり、寝たとしても1時間半ほどで目が覚めました。その際にはこの世の終わりのような悪夢と共に目覚め、尋常じゃない寝汗とセットでした。朝がくると絶望し、午後になると少し元気になるのですが、また夕方に絶望しました。ずっとその繰り返しでした。
一日中、布団の中にいました。眠れないのですが布団からも出られませんでした。起き上がれませんでした。死にたいと思ったことはなかったなかったですが、いま死んだらどうなるんだろうという興味はありました。いわゆる形を変えた希死念慮かもしれません。
こう言ってしまうと怒られるかもしれないのですが、鬱病は誰もがなる可能性があると聞き及んではいましたが、それでも心が弱いやつがなる、もしくは繊細な人がなるんだろう、それなら自分は大丈夫、真逆だ、無関係、と思っている部分がありました。だから、自分がそうなったことがどうしても受け入れられませんでした。
なってみないとわからないもので、今ならはっきり言えます。これはだれでもなります。そして理由も判然としないことが多い。
あまりにハードワーク過ぎたんじゃないか、気負いすぎたんじゃないか、そう言われましたが、たぶん理由なんてないんだと思います。そうなった、ただそれだけです。
一番怖かったのは何もできない自分でした。
そして、これから先、何かをやろうとして何もやれない状態になることがとても不安でした。引き受けたのはいいものの文章が書けないんじゃないか、やろうとしたイベントや企画の前にこの状態になったら多くの人に迷惑をかけてしまう。それがとにかく怖かったです。
そして今こうなってる時点で多くの人に迷惑をかけている。それが本当に申し訳なかった。
僕はおそらく比較的に軽度だったのだと思います。軽度でこれなのですから重度の人を思うとその苦しさは本当に元気だった時の僕では理解できないだろうと思いました。理解しているつもりでも全然理解なんてできていないのです。かつての僕はなんと愚かだったのでしょうか。
そして、これ以上に悪化したらやばいと思った僕はインターネットを見るのをやめました。やめたというか、見ていられなかったです。だから自然と見なくなりました。インターネットにはあらゆることに対して「誰が悪い」みたいな雰囲気が漂っていて、それが全部自分に向いているようにすら感じました。
インターネットをみるのをやめるといい感じになってきました。そして毎日、無根拠に「たぶん、きっと、だいじょうぶ」と根拠なく念じるようにしました。すると本当に大丈夫な気がして、少しづつ良くなってきました。
1か月くらいして、起き上がれるようになりました。ご飯も食べられるようになりました。今はストロングゼロもゲハゲハ飲んでいます。ただ、インターネットはみませんでした。たぶん大丈夫なんでしょうけど、見ないことで良化したので見たらまた悪化すると思ったからです。
もうそうなら、文章も書かないし、アカウントも全部消して、ネット上から消えてもいい、と考えていました。
けれども、僕は帰ってきました。このインターネットに。そしてまた文章を書いています。なんでなのでしょう。よく分からないですが、たぶんこれしかできないからだと思います。僕はあまり文章を書くことが好きではありませんが、同時にこれしかできません。だからきっとどうなっても書いていくのでしょう。
ただ、僕が何かを取り戻して帰ってくると、今度は世間字体の雰囲気が一番苦しかった時の僕みたいな状態になっていました。
なんだか暗く、鬱憤が溜まるようことが起こり、不安なこと、誰かの悲鳴、誰かの悲しみ、毎日そういったものが押し寄せていました。たぶん、いま世間はつらい状態なのだと思います。
そういった世間に対して何ができるか考えた時に、やはり書くことしか思い浮かびませんでした。それしかできないので。そうして「たぶん、きっと、だいじょうぶ」と能天気に言い続けるくらいしかできないのかなあと思いました。
世間の状況は大変なものです。この先どうなるか分からず不安な気持ちもあるかもしれません。本当に困っている人から見たら、僕みたいなやつが何言ってんだと思うかもしれませんが、それでも僕は言い続けたい。
「たぶん、きっと、だいじょうぶ」
きっと大丈夫です。少しづつ取り戻していけます。たぶん、きっと、だいじょうぶ。
最後に、ツイッターを始めて7年間くらいはずっと僕のプロフィールに置いていた言葉を残しておきます。これも一番きついときに力を発揮していきました。
「幸せは築くものではありません。気付くものです」
どんなに辛い状況でも、多分その周りには何かあるんじゃないでしょうか。それに気付いていくことが大切なのかもしれません。
だぶん、きっと、だいじょうぶ
ありがとうございました。
ひとりNIKKI SONIC 2020 No.24 Numeri pato
総日記数 24
総文字数 85070 文字