多摩川の始まりから終わりまで延々と歩き橋を数えたはなし【インターネットと現実の乖離を実証するという話】
主に東京都を流れる多摩川、そこに何本の橋が架かっているかご存知ですか?
このページによると91本の橋があることが分かっています。
本当にそうでしょうか?
いまやとても便利な世の中になりましたから、こういった「多摩川の橋の本数は?」と問いかければ実際にすべての橋を網羅したページが出てくるのです。
例えば、東京にお住いの小学生たちに同じ問題を宿題として出した場合も、おそらくキッズたちは上記のサイトに辿り着き、全員が91本と答えてくるはずです。
そのような流れは、多摩川に架かる橋の数は91本であるという事実を確固たるものにしています。
「でも、92本あるよ」
そう主張する子どもがいたとしたら、おまえなに言ってんだと揶揄されるでしょうし、間違えた回答として扱われるでしょう。
けれども、本当は92本にもなるのです。自分で上流に行ってまだ小川状態の川に丸太をかければそれで92本です。
92本が間違いだとは一概にはいえないでしょう。
「0本である」
そう主張する老人がいたとしたら、うわ、けっこう危ない人だな、と思うかもしれません。
ただこのご老人は現代の話をしているわけではないかもしれません。もともと、江戸を守る要素として機能させていた多摩川には橋がありませんでした。特に青梅から下流はすべて渡し舟で渡っていました。
そうなると、青梅から下流に限って言えば、時代によっては0本といえるかもしれません。
このように、ある事象に対する答えは数多くあります。けれども、あまりに便利になりすぎたインターネットは、そのインターネットに書かれている事象を正解として扱います。
ただ、我々のようにインターネットで多くの表現をする人間は、インターネットの情報ほどあてにならないものはないと自覚しています。
明確に嘘をついている場合もあれば、現実の全てを伝えきれていないパターンもあるでしょう。情報が最新でない場合もあります。(上記のページは最新情報ではない)
とにかくインターネットの中にあるものを現実として扱うのは良くないことだと何となく自覚しています。
それでもインターネットは便利なものです。ついつい手を出してしまうでしょう。その最たるものがコタツ記事なのです。
現在はAIが回答する事柄はちょっとズレていることがある、と皆さんがなんとなく認識していると思います。変な回答をしてきやがるなあとなんとなく思っているでしょう。
でも、AIが発達し、その精度が上がってくると、みんなAIが言っているのだから正しいはずだと考えるはずです。そこでAIが間違ったとしてもそれに気づくことは難しいでしょう。
そういったインターネットと現実の乖離、じっさいにやってみないと分からない、そんな裏テーマをもって僕は旅記事を書いています。
さて、patoが書いた記事を徹底解剖するシリーズ、今回は多摩川の橋の数を徒歩で確かめてきた記事です。
この記事はどのような経緯で、どのような考えに基づいて設計されているのか、実際に見てみましょう。
執筆に至った経緯
実は最初から多摩川の橋を数えてやろうと動き出したわけではありません。
本当は、災害支援という思いがありました。
熊本県の南部を流れる球磨川という川があります。山岳地帯を流れる川で、急流下りなどが有名なとても流れの速い川です。
僕はここを2019年に、おっさん4人で訪れています。
この川が、令和2年の7月豪雨によって氾濫しました。球磨川流域に限っていけば犠牲者は50名、浸水や家屋倒壊など7400戸の被害がありました。
ニュースで見る被害の様子は甚大で、特に浸水した家屋の泥をかき出す作業が大変そうでした。なんとかボランティアに行きお手伝いしたい(体力だけはある)と思ったのですが、コロナ禍の初期であった当時は、熊本県外からのボランティアを受け入れていない状況でした。
それから数年して、コロナもおちついたころに、当時はボランティアに行くことはままならなかったけど、なにか球磨川流域の観光に役立つ記事が書きたいなと考えるようになりました。
球磨川の源流から河口まで歩くか。
ひとつの川の源流から最後の河口までその全ての記録を見ることがありません。調べてみると川の総延長は115kmくらいとのこと。まあ、歩くには最適な距離です。
災害の直後にこのようなこを呟いていました。
これには、もちろん、記事で紹介することにより甚大な被害を負った人吉市など、球磨川流域の街の観光を手助けしたいという気持ちがありましたし、水害による被害を我々はニュースやインターネットだけでしか知りません。それこそ、それらが取り上げたくなるような劇的な側面しか知らないのです。それをすべて徒歩で歩くことで、取り上げられなかった現実を見られると思ったのです。
そして、徒歩で川沿いを歩く間、視界に入った店で必ずなにか商品を買うというルールを課せば、お店の紹介になりますし、地域にお金を落とすことにもなります。なにより、買った商品が増えて行って、どんどん歩きづらくなっていったら記事としての面白さもあると考えました。
2022年、よし球磨川を歩くかと実際に熊本に行ったのです。球磨川の水源は水上村という場所にあります。
熊本県南部にある人吉市よりさらに山深い場所にある村です。そこまで行って、さあ、歩くぞとなったのですが予想外のことが起こりました。
水源まで行けなかったんです。
水源まで行く道が崩落しているらしく、なにをどうやってもいけない感じでした。
いや、調べていたんですよ。事前にきっちりと下調べしていたんですよ。
水上村のHPには、道路が崩壊していて水源にいけないから、と書いてあったんです。ただ、これ2018年の情報なんですね。
つまり、2020年の豪雨災害、それの前にあった災害によって崩落し、おそらくそこから復旧されていないんです。
これはショックでした。自分の考えの甘さにショックでした。
2018年の災害で崩落したのだから、さすがに2022年は復旧しているだろう。ただこのホームページの情報が更新されていないだけだ。2020年の災害で崩落したというニュースがないので、たぶん今はいけるんだろう。
インターネットと現実は大きく乖離します。本当は2018年の災害からずっと復旧されなかったのです。復旧していないから、2020年の災害でも報じられなかっただけのなのです。それだけ深刻な被害だったのに、それをほとんど知らなかった。ショックでした。
とにかく、水源まで行けないとなると、「水源から河口まで歩きたい」という表向きのテーマが達成できません。
この立入禁止ギリギリの場所から徒歩始めることもできたのですが、これは、いま記事を書くべき時ではないと判断し、帰りました。
もっと来るべき時が来たら球磨川流域を支援する記事を書こうと決意して。
さて、そうなると、球磨川を歩くことは保留となりましたが「一つの川を最初から最後まで歩きたい」という思いだけがポツンと残ります。
ただ、そこでなんでもいいから川を取り上げて記事を書こうとしてはいけません。そもそも、いきなり川を取り上げて歩くことに大義名分がありません。
特に、熊本まで行く経費を使っていますから、早く記事を書いて原稿料を稼がなくてはならないと焦る気持ちもわかりますが、まだその時ではありません。
その要素はかならずカチッとハマるときがきます。
それから数か月後、夕方のニュースをみていたらあるトピックが目に留まりました。
多摩川のもっとも下流に最大の橋である「多摩川スカイブリッジ」が開通したというニュースです。カチッとはまりました。
スカイブリッジ→多摩川に架かる橋→多摩川に架かる橋を数えたらいいのでは?
こうすることで、上流から歩いていくと、もっともホットなニュースである多摩川スカイブリッジがゴールとなります。
こうして、多摩川の始まりから終わりまで橋の数を数えるという記事の土台ができあがりました。
記事の正当性(フェルミ推定)
さて、多摩川の始まりから終わりまで橋の数を数えるという土台はできましたが、それだけでは記事として成立しません。
なぜなら、「はい、今日は多摩川の橋の数を徒歩で数えていこうと思います」とはじめても記事に正当性がないからです。それをやる理由がない。
人は狂気は好きですが、正当性のない狂気はただ怖いだけです。いきなり歩き出してもただただ怖いのです。
ですので、この記事ではフェルミ推定というエッセンスをねじ込んで記事に正当性を持たせています。
フェルミ推定とは一見予想もつかないような数字を、論理的思考能力を頼りに概算することを指します。つまり、多摩川に架かる橋の数を、人はどれくらいの遠回りになるとそこに橋が欲しいと感じるのかという理論から概算します。
そして、その推定が本当に合っているのか、実際に確かめてみようね、という流れができるのです。
本来は、このフェルミ推定を入れ込んだって多摩川を歩くことに正当性はありません。けれども、それを入れ込むことであたかも正当性があるよに感じるのです。人は安心したいのです。ああ、意味もなく多摩川を歩く狂人はいなかったんだと安心したいのです。
テーマを意識して文章をかく
冒頭でも述べたように、この記事の裏のテーマは「ネットの情報と現実は違う」というものです。それは単純に情報が間違っている場合もあるし、定義が違う場合もあるし、伝えきれていない場合もあります。
それを声を大にして言うと、「多摩川の橋を数える」という部分が薄れてしまいます。それらは声を大にして主張するのではなく、そういう書き方をしていくべきです。
実際に歩いてみると、こういう橋を見つけることができます。正式な橋としてカウントされていないものです。これは歩いてみないと見つかりません。
正式にカウントされていない橋がたくさんでてきます。
釣り客用の橋までカウントします。これがインターネットの情報との乖離です。
さらに、実際に歩いてみないと分からない要素をしっかりと書きます。
記事中では、「ひとことで橋といっても、谷間を横断するように架かるビッグな橋と、まだ小さな川を覆うだけの小さな橋がある」という情報がもたらされ、「大きな橋は高い場所にあり、小さな橋は低い場所にある、そのアップダウンが地獄」と歩いた人にしか分からない情報を書くわけです。これが重要なんですね。
歩いた人にしかわからない情報があるから、歩いていない人は読んでよかったと思うわけです。
さらには、上流と中流、そして下流の橋の形態の違いにまで言及します。これは始まりから終わりまで歩いた人だから感じる考察です。
季節を抱きしめて
別に狙う必要はありませんが、季節感が分かる時期に取材をしたなら、それを前面に押し出した写真を撮りましょう。人は季節の移ろいが好きです。万葉集もほとんどそんなのばかりじゃないですか。
偶然ですが桜の季節でしたので、これでもかと桜が入った写真ばかりを撮影しています。
これは後述しますが、下流に行くほど春めいてきて風景が変わるという効果ももたらしてくれました。
記事の序盤と終盤で明確に景色が変わる
記事の序盤と終盤で明確に景色にが変わることの効果は高いです。
例えば、RPGなど物語が始まる序盤の景色は閑散とし牧歌的な風景だったりしますが、ラスボス前になるとめちゃくちゃ近代都市だったり、宇宙空間だったり、もう明確に景色が異なる風景になることがあります。
あれは、おまえここまで来たんやぞ、と物語を追っかけてきた人に刷り込む効果があります。僕は記事でそれをやります。そうなる取材を組むことが多いです。
0mから富士山頂まで行った意味不明な記事ですが、これも物語の風景を意識しています。
序盤
終盤
多摩川の記事にしてもそうです。
序盤
終盤
これは季節の面でもそうです。
序盤
終盤
山が少し白くなっている寒々しい景色から一気に春めいた桜の景色になります。降りてきたんだな、と感じませんか。
この街並みから山、小さく古い橋から大きく近代的な橋、この対比を意識すると「すごく移動した」と伝わりやすくなります。
隠し要素
これは僕の趣味なので必須というわけではありませんが、記事中には何か隠し要素を入れると良いでしょう。気付いた人だけがフフとなるようなものです。
この記事においては、次の要素が隠されています。
「鉄道橋はすべて鉄道が通過しているときの写真」
こういう隠し要素は記事中では一切言及しないのがスマートなので気付く人がでるまで黙っておきましょう。
徒歩とはいちばん基礎的なエンタメ
僕は「徒歩」とはいちばん基礎的なエンタメだと思ってます。とりあえず、エンタメとして弱いと感じたら徒歩にしとけば強くなります。
東京から大阪まで移動する。
それは普通のことで優雅に新幹線で移動するさまが目に浮かびますが、それはまあ普通のことですよね。
東京から大阪まで徒歩で移動する
こうなると一気にエンタメになります。
そこまで行かなくとも、より不便な方が人は気になるし、エンタメになるのです。
東京から大阪まで高速バスで移動する
ちょっと大変ですが普通ですよね。
東京から大阪まで路線バスだけで移動する
乗り換えとかいけるの?箱根あたりで途切れそうじゃない?もうこの時点でエンタメですよね。大変なほどエンタメになるのです。
だから、いちばん大変であろう徒歩はそれだけエンタメになるのです。ただ、それが単なる苦行になってはいけません。
この記事においても、徒歩だからこそ見えた視点があります。アップダウンだとか、その流域の生活だとか。その視点をもって初めて徒歩がエンタメになるのです。
追記
僕の記事のほうも途中で橋のカウントを間違えています。そして僕の記事もすぐに新しい橋が完成して最新ではないものになります。
それだけインターネットの情報はあてにならないものなのです。
2024年3月28日にアスコムより「文章で伝えるとき、いちばん大切なものは感情である。」という本が出版されます。
これはわたくし、patoが22年間の執筆活動において試行錯誤しながら発見、実践してきた自分なりの文章作成技術を記した書籍になります。
メール、メッセージアプリ、コメント欄、ブログ、企画書、note、いまや一日の中で文章を書かない人はいませんよね。
そんなときに人に伝えるためにはどんな文章を書けばよいのか、そんな本になっています。
pato記事解説、次回はAmazonで「Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。」です。
このバズ記事はどのように読まれ、どのように書かれたのか。徹底解剖していきます。
過去の解剖シリーズ
シリーズ第2回
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