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なぜ100本の醤油を飲み比べする事態に陥ったのか【patoバズ記事解説】
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みなさんは目の前に100本の醤油が並ぶ光景を目にしたことがあるだろうか。劇場版のプリキュアオールスターかと思うほどに居並ぶ醤油を見たことがあるだろうか。
さて、過去のpato記事を解説するシリーズ、第1回目のクリスマスエキスプレス牧瀬里穂に引き続き2回目はこちらです。
タコの刺身が好きすぎるので最高に合うしょうゆを100本の中から探してみた
100本の醤油の味を淡々とレビューする記事になります。読んでいただいたらわかると思いますが、100本のレビューでは終わらないギミックが記事中に仕掛けられています。ついでにいうと102本ある。
この記事はたいへん話題になり、詳しい数値は忘れましたが、Twitter(現X)での言及数が数万、はてなブックマークも880ほどついています。ちなみに記事全体の文字数は65284文字あり、長い歴史を誇る「ぐるなび」において最多文字数記事であると編集の方に聞きました。
記事公開後の反響も大きく、醤油界隈の人にも数多く読まれました。皆で集まってこの記事を朗読する会まで開かれたと聞き及んでおります。
記事中で「もっともタコの刺身に合う」と触れた醤油の製造元の方は、どこかの特産フェアでお客さんから「なんかインターネットのむちゃくちゃバズっている記事で1位に選ばれてましたよ」と言われ、こりゃたまらんと急いでTwitterアカウントを作ったようです。
記事発表当時はネットで購入できる体制が整っていなかったようでしたが、その後、整備されたようなので、もういちど紹介しておきます。
こちらで販売されている「鶴の生醤油」がもっともタコの刺身に合う醤油です。
さて、このように大きな反響となった醤油記事、その反響の大きさから、楽天さんのソレドコにて続編が書かれていたりします。
読んでもらうとわかると思いますが、レビュー記事としてはかなり異様な構成になっています。
この異常とも呼べる形態のレビュー記事は、どのような経緯を経てどのような考えのもとで作成されたのでしょうか、さっそく見てみましょう。
この記事を執筆した経緯
掲載サイトの「ぐるなび」は当時は外部ライターに積極的に記事を書かせており、ライター界ではちょっとした登竜門みたいになっていました。
知り合いの知り合いみたいなつてを辿って「そろそろpatoさんもぐるなびにに書いてみない?」「よっしゃ、書いたるわ」みたいになったと記憶しております。
そこで、グルメサイトですから、なにか食べ物系のネタを扱わなければならないとなり、それなら醤油100本をレビューしたい!とこちらからお願いしました。
さて、この時点では醤油を100本レビューする、ということしか決まっていません。本来は詳細に内容を詰めるべきですが、僕の打ち合わせはほとんど詳細が決まらないことが多いです。
そこまで綿密に決めなくとも、ほっとけば勝手にエグい内容の記事を作ってくるだろう、そんな信頼を持たれているような気がします。
さて、醤油100本をレビューの記事を作る。そうなった時にどのようにして記事が組み立てられていったのでしょうか。見ていきましょう。
大量の醤油という存在の正当性「納得のいく狂気」
この記事においては、序盤に登場する鹿児島のA-Zというスーパーが肝となります。明らかにこのスーパーの存在が異彩を放っていますが、これこそがこの記事を納得のいく狂気に留まらせる重要な要素となっています。
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このA-Zは鹿児島県内にチェーン展開するスーパーです。特に霧島市にある「はやと店」は異常に広い店内に異常に充実した品揃えと、明らかに何かが狂ってるとしか思えない店です。何かのタガが外れている。
僕が行った時は店内が広すぎて通路の向こうが霞んでいたし、お婆ちゃんが迷って店から出られなくなってました。あと、店内で自動車を販売していました。あと、子どもたちがかくれんぼしてました。
このA-Zの品揃えの異常性を語るとき、かならず醤油売り場のエピソードが用いられます。
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奥の棚と手前の棚、醤油だけで2つの棚がパンパンになるほど置かれています。その間の通路みたいなところに置かれているのも醤油です。一般的なスーパーだとだいたいこの棚の1/3程度の陳列ですから、そう考えると格別に異常です。
この記事では、このように狂った品揃えを誇るA-Zの醤油を100種類試してみた。と始まります。これこそが正当な狂気を保つ要素なのです。
・そのへんで100本の醤油を集めてレビューしてみた
これだと、その狂気に納得がいかないわけなのです。いきなり100本の醤油を集めだす、これに正当性はありません。集める理由がない。つまり100本という存在が揺らいでしまうわけです。
なんで100本なの?に納得のいく答えがないのです。
さらに、これは僕自身が狂気なわけで、狂気をはらんでるくせに記事を書いている、なんていう矛盾みたいな状態になるのです。書いている本人の狂気はもっと静かに滴るように滲みだすべきです。
世の中には納得のいく狂気と納得のいかない狂気があります。納得のいかない狂気はただただ怖く面白くないものです。ある程度は納得のいく狂気こそが面白いのです。
本当に狂気だけが面白いのならば、意味不明な文字列を80万文字くらい書いていればモノホンだから面白いはずでしょ。でもそうはならない。みんな納得のいく狂気が面白いんですよ。
・A-Zにある醤油をレビューしてみた
あるスーパーにある醤油をレビューしてみた。これはまあ、納得のいくものです。普通ですからね。しかし、そのスーパーの品揃えが狂気だとしたら。このスタイルが大切なのです。狂気を自分に留めるのではなく、他の要素に押し付けるのです。
僕は徹底してこのスタイルをとります。異常な旅などをする記事でも、基本的にそれを提案してきた編集に狂気を委ねます。狂気は自分が発露するのはもちろんなんですが、それを他人に押し付けたほうが面白く、納得がいくからです。
いくら狂気と言えども納得は必要なのです。そこを理解しないとただただ畏怖される存在にしかなりません。
さて、このスタイルのためにどうしてもA-Zというスーパーの存在は必要なのです。
そして、このように大量の何かを扱う場合、大きく分けて2つの疑問点が読んだ人に生じてきます。これらもA-Zという存在ですべてが解決できます。
・どうしてその数なの?
試す数は10でもいいですし、5でもいいわけです。極論を言えば1000でもいいわけです。そのなかでなぜ100という数字を選んだのか。これは大人の事情的に言うと、経費の問題や紙面の問題も絡んでくるのですが、そんなものは読んでいる人には関係ありません。
とにかく分かりやすい回答を用意してあげる必要があります。
→異常な品揃えを誇るA-Zに陳列されている数だから。
本当はたぶんA-Zには200種類くらいあるのですが、様々な大人の事情でそのなかから100個を選んだとしても、まあ理由としては正当になるわけです。
・〇〇の醤油が入ってないじゃないか
これも網羅系の記事には必ず出てくる疑問です。やはり自分が知っているもの、自分が推しているものを取り上げて欲しいですよね。ただ、これらをすべて網羅することは事実上不可能です。特に醤油はマニアックなものまで含めるとおそらく日本国内に2000種類以上はあります。それを網羅しようと思えば生涯を賭けるライフワークになってしまう。
例えば、モビルスーツを解説すると銘打ってガンダムや百式を取り上げないのは問題ですが、かなりマイナーなモビルスーツまでは取り上げなくてもまあ、自然ですよね。けれども、これらは必ず網羅系の記事へのコメントとして書き込まれます。
「〇〇が入っていない、やりなおし」
どういった精神構造でこれを書き込めるか僕にはわかりませんが、様々な網羅系の記事を眺めているとたいてい書き込まれています。では、書き込まれる前にその疑問は解消してあげましょうということなのです。
〇〇の醤油が入ってないじゃないか、やりなおし
→A-Zに陳列されていない商品だから入っていません
この体裁をとっても「〇〇が入っていない、やりなおし」と書き込まれます。実際に見てください。書き込まれている。ただ、多くの人は「A-Z」にあるものなんだから仕方がないだろ、となるわけです。
手に入れた情報をストックをする
僕は以前より、この異常な品揃えのA-Zという存在を知っていました。おそらく霧島市在住、その周辺にお住まいの方、鹿児島在住の方ならご存知だとは思うのですが、やはり関係のない外部の人間からしたら珍しい情報でした。
僕はこの記事を書いたことにより、いまだに「霧島在住のライター」と霧島市の人に勘違いされてたりします。それだけ地元ならではのローカル情報なのかもしれません。
人は何か新しい情報を得たとき、それを使いたくなります。特に我々のような文章書きはすぐに「これを使って何か面白い記事を書いてやろう」となります。ただ、それをすぐに使ってはあありにもったいないのです。
広大で豊富な品揃えを誇るA-Zを使って面白い記事を書いてやろうとなったとき、それはA-Zの紹介記事を超えることができません。もちろん、それだけでも十分に面白いのですが、それはA-Zが面白いんです。
つまり、このA-Zというスーパーの情報をストックしておき、ここぞという場面で書くべきなのです。
「すごい品揃えのスーパーがあるぞ」
という情報だけをストックしておき、そのまま温めておきます。面白い情報をすぐに使おうとしないでください。
そして数年後、ぐるなびさんから「なにか食べ物系で面白いネタを書いて欲しい」となった時、ついに温めていたA-Zが出てくるわけです。
「醤油100本をレビューしたい」
ここでは、A-Zは舞台装置であるわけです。A-Zの面白さを利用して醤油100本をレビューするという面白さをこちらに頂きます。A-Zに狂気を押し付け面白さだけをいただく。そういう姑息な狙いがあるわけです。
それだけにこの記事ではA-Zの存在が重要なのです。
あなたが得た面白い情報は、本当にしかるべき時がきます。その情報を最大限に発揮できるその時を待ちましょう。すぐに使っちゃもったいないですよ。
編集を欺け
さて、この記事ではA-Zの存在がなにより重要であることが分かってもらえたと思います。ただし、そうなるともう一つの問題が如実に浮き上がります。
そう、鹿児島は遠いんです。
お金の話になってしまって申し訳ないのですが、こういった単発の記事で経費が全て賄われることはありません。ちょっと突っ込んだ事情を暴露すると、記事にPRがつく場合とそうでない場合で原稿料と経費の扱いは大きく変わるのですが、この記事はPRではありませんでした。
それでもぐるなびさんが、原稿料とは別に醤油の購入代も出すと言ってくれました。普通に考えたら当たり前のことですが、PRでない記事にここまで潤沢に経費が出ると思ったら大間違いです。これからライターを目指す人は覚えておいてください。
これは、ぐるなびさんがかなり外部ライターを尊重していることの証左です。だから当時はたくさんの外部ライターが書いていたんでしょうね。普通は経費の掛からない記事を書いてくれと言われます。
ましてや、ぐるなびにおいては完全に新人で特に実績のない僕です。これに上乗せして「鹿児島まで醤油を買いに行きたいんやけど」といったら、きっと困ってしまうわけです。おそらく絶対に必要だと力説すればその交通費を出してくれそうですが、それでメディアが困ってしまっては元も子もありません。やはりpatoさんに書いてもらって良かったとなって欲しいものですからね。
経費を求めるのはちょっと難しい、けれどもA-Zの存在は必ず必要だ。ということで編集を欺くことにしました。
「実は鹿児島県にA-Zという異様な品揃えを誇るスーパーがありまして、そこで醤油を揃えたいんですよ」
「じゃ、交通費も必要ですね」
「いや、でもね、交通費は節約できますよ。僕の友人がA-Zの目の前に住んでいまして、そいつに買って送ってもらいます」
「なるほど。それはありがたいですね」
「もつべきものは友人ですよ」
どの口が「持つべきものは友人」と言ってるのかと突っ込みたくなりますが、この友人の存在は当然ながら嘘です。
こう言っておいて、こっそり自分で飛行機に乗って買いに行けばいいのです。これは記事が掲載された5年後くらいまでずっと明かすことはなかった裏話です。
まあ、自腹を切って買いに行っているのであまり褒められたことではないのですし、こういうダンピングみたいなことは良くないと重々に承知しているのですが、どうしても行かないわけにはいかなかったのです。
この記事にはA-Zが必要、そうなったら自腹を切ってでもいきます。
もちろん、そうなると実入り的には厳しくなるのですが、これも「新たに得た情報」と同じで、その記事でいくら儲かったかというところを僕はあまリ気にしません。
ただ、この記事が話題になってくれれば、その後、いくらでもその自腹を取り戻すチャンスはあるのです。あまり焦ってもいいことはありませんからね。ただ、だいたいの編集はどうしても出すと言ってきて気を使わせちゃうので5年くらいは黙っておきましょう。5年も経てば時効ですよ。
ただこれをあまり公言すると、今度は逆に「やりがい搾取」みたいなのに利用される恐れがあります。ほら、patoさんだってこんな赤字覚悟で記事かいてるんだよ、みんなそうやっているのだ、だから経費出さなくていいよね、みたいに使われた場合はすぐにご一報ください。
レビュー100個って誰も読まないだろ
かなり醤油好きな方は醤油100本のレビューが並んだ記事を舌なめずりしながら読むと思うのですが、まあ、それはちょっと異常ですよね。そもそも、レビューってやつは、それぞれの項目が並列して存在しているわけです。それは情報としての価値があり、必要な時のその項目を取り出せる性質のものです。
「こんなもん誰も読まないよ」
この現実から目を背けてはいけません。
「でも醤油好きな人なら読んでくれるよね」
読む側に期待をかけるのは、コストを押し付けていることに繋がります。ここはきっちり読まれるレビューを書くべきです。では読まれるレビューってなんなんでしょう。
そう考えたときに、直列で繋がるレビューであればいい。という考えが真っ先に浮かびました。
早い話、レビューの中で物語が展開していけばいいのです。これは発明でした。
これの難しいところは、各レビューを直列で繋げるためにレビュー内容を曲げてはいけないというところでしょう。そもそもレビューを読ませたいために工夫しているのにそのレビュー自体が工夫のために曲げられてはならないのです。
そうなると、まず醤油のレビューを行います。そこから使えそうなギミックを抜き出します。そしてそれがだいたい1:1.6という黄金比でギミックが登場するように醤油を並び替えます。わざとじらしている場所を除けば、だいたい文量なり頻度が1.6倍になるようにギミックが登場しているはずです。
こうして、レビューなのに続きが気になるというとんでもないインターネット怪文書が誕生するに至りました。
キタサンブラックの醤油皿
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この記事では醤油の画像が102個並ぶのですが、そこで誰もが気が付くはずです。醤油皿がキタサンブラックであることに。明らかにこれは異彩を放っています。
ただそこはあえて触れません。「なんでキタサンブラックの醤油皿なんだよ!」と記事の中で囃し立てることもできるのですが、囃し立てそうで囃し立てず、さもこの世の中の醤油皿はすべてキタサンブラックだみたいな体でいるほうがオシャレだと思ったからです。
ちなみに、この醤油皿、JRA競馬場にあるターフショップで購入可能でした。ただキタサンブラックが引退してからずいぶんと経っているのでいまは購入できるかわかりません。
なぜか102本ある
この記事を読みおえたとき、ある疑問が頭の中に浮かずはずだ。醤油100本だと銘打っているのに、レビューしている醤油は102本あるのだ。
これに関しては、特に理由はないのだけど、こんな事情がある。
編集に内緒で飛行機に乗って鹿児島まで行っているので、購入した醤油が100本に足りないという事態は困るわけだ。またすぐ買いに行けないからだ。
実際にスーパーで100種類の醤油を買ってみるとわかるけど、いま自分が何をしているのか分からなくなるのだ。いや、間違いなく醤油を買っているんだけど、そもそも人間の脳は醤油を100本買うようにはできていないのだ。
そうなると、いま自分が買った醤油が本当に初見の醤油なのか分からなくなる。このA-Zは醤油の種類も豊富だけど、サイズも豊富で、小瓶から一升瓶みたいなサイズの醤油まで売っている。
さあ、100種類買ったぞとレビューを始めて同じ銘柄のサイズ違い、みたいになると困るのだ。なので、記事には書いていないけど、この時、醤油を115本購入している。
実際にレビューを始めてみると同じ銘柄のサイズ違いがけっこうあり、それらを除くと102本になったというわけだ。
自分の力を過信してはいけない。ぜったいにかぶった醤油を買ってるわー、と多めに買うことが必要なのだ。じゃないと、また飛行機に乗って鹿児島まで買い足しにいくことになる。A-Zの前の前に住んでいる友人など幻影でしかないのだ。
タコの刺身に合うという観点
これはもう、方々で述べているのですが、この記事が「美味い醤油を探した」ではなく「タコの刺身に合う醤油」という観点になっているのは大きな理由があります。そして、それが記事を書く上でいちばん大切なことだと思っています。
単純に、この種の醤油記事を書く時に「マズい」と書きたくないなと思ったからです。こう書くと「おれは平然とまずいと書いちゃうけどなあ」と聞いてもないのにそう主張してくる人がいるのですが、どうぞ好きなだけで書いてください。ただ僕は書きたくなかった。それだけです。
味のレビューにおいて「マズい」と書くことは別に悪い事ではありません。なんでもかんでも「美味い」と書くレビューに意味はないですからね。
ただ、ここでそう書くことを僕は拒否した。僕の感情が拒否しました。だから「タコの刺身に合う」ということにしました。これなら、判定が「合う」「合わない」になりますので、マズいと書かないわけです。それに、どんな醤油でも必ず合う食材があると思います。今回はたまたまタコの刺身に合わなかっただけ、となるのです。
本当に真剣に醤油に向き合い、勉強した人が真剣なレビューにおいて「マズい」と書くのは良いことだと思います。ただ僕の記事にその要素は一つもなかった。そんな記事に「マズい」と書かれたら、それに携わっている人々はいい気がしないというよりはガッカリするんじゃないでしょうか。
僕らは人を楽しませるために文章を書いています。
すべての人をがっかりさせず、楽しませるのは不可能なことです。けれども、自分が気を配ることができる範囲でそれを目指すことは悪いことではありません。誰かを嫌な気分にさせることを目的とした記事、誰かが嫌な気分になることが容易に分かる記事を楽しいと思えるでしょうか。書きたかったのはそんなものではないでしょう。
例えばすべての醤油にマズいマズいと悪辣に連呼する記事は楽しいでしょうか。その先にある嫌な気分になる人を想像して楽しめませんよね。
少なくともこの記事で「マズい」と書きたくないな、それは僕の感情です。その感情を誰よりも自分が大切にしてあげましょう。
僕らは人を楽しませるために文章を書いています。
長いこと書いていたり、賞賛を集めたり、成功体験があるとこの観点を忘れがちです。言い換えるとそれさえ忘れなければだいたい大丈夫です。
2024年3月28日にアスコムより「文章で伝えるとき、いちばん大切なものは感情である。」という本が出版されます。
これはわたくし、patoが22年間の執筆活動において試行錯誤しながら発見、実践してきた自分なりの文章作成技術を記した書籍になります。
メール、メッセージアプリ、コメント欄、ブログ、企画書、note、いまや一日の中で文章を書かない人はいませんよね。
そんなときに人に伝えるためにはどんな文章を書けばよいのか、そんな本になっています。
さて、次回は、「【ロシア9,288 km】シベリア鉄道に乗って東京の一戸建てをアピールしてきた【6泊7日電車】PR」を取り上げます。
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