【新元号とコンテクスト】第13回
2019年5月1日。平成から、令和になった。
一世一元制のため、
天皇が退位する場に立ち会うのは
多くの人にとって初めてで、30歳以下の人にとっては改元も初めてであった。それゆえ、新しい時代、という雰囲気と相まってワクワクした人が多かった気がする。
平成が4月30日で終わると決まってからは、平成最後の、が連呼され、昭和と平成を比較した番組などもやっていたり。 (これについては詳しく書かないが、
昭和生まれ、昭和を生きた人々が
国民の多数派を占めるとしても、
平成も30年も過ぎて、未だ昭和は〜だったのに対し平成は〜とか、
平成生まれが知らないことを、昭和生まれの人が経験したからと、こんなことも知らないの!?などとして平成生まれが知らない昭和の常識みたいな番組が持ち上がったのには、辟易した。)
新元号について、新しい時代に対する意気込みを書くとか、そういうわけではない。
もちろん、平成という時代が
終わるのだということで、
負の何かは平成に置いておこう、
トラウマになっていたような過去は
平成においていこう、程度のことは思ったけれど、私は4/30を、UVERworldの
浮世CROSSINGを聴いた程度で、何も変わらない日常を過ごしていた。
2019年(平成31年)4月1日11:00
新元号が、令和である
となってから、
令和という響きや漢字に対する印象や、令和という言葉の意味について、
人々が、メディアが、多くのことを述べてきたように思うけれど、
令和という新しい日は
2019年5月1日の即位の儀をもって始まるわけで、0時になった瞬間に令和を祝すムードに、特に批判的ではないながら、粛々とした日ではないのかなぁという気持ちはあった。新しい時代で皆が幸せな、ワクワクした気持ちならそれはそれで良いか、とも思うけれど。
平成しか生きたことのない私は
発表された日、平成があと1ヶ月なんだ、
と思う程度で
平成である4月1日の11時は、観たかったプラネタリウムのプログラムを観ている最中というくらい何も考えていなかったと思う。プラネタリウムから出て、お昼ご飯を食べて、本屋さんに行って、それから外に出て、あ、発表されたんだ、「令和」か、万葉集の出典か…と。
もしかしたらその1週間ほど前に、
友人たちと新元号を、
頭文字が何になるか、からワイワイやって、当然、元号には出典となる文献があることは知っているが、ただただ、
鼎泰豊でご飯を食べていたからと「鼎泰1年」とか小籠包を食べていたからと「小籠包元年」とか、タピオカが流行りすぎているから「タピオカ元年で」とかくだらないことで笑って盛り上がっていたから、そこでピークが過ぎたのかもしれない。
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さて、4月1日の、令和という時代の
発表後、それがプラスの意見にしろ
マイナスの意見にしろ、多くの人が
この名前に対して反応していたと思う。令和の令は命令の令だから冷たく感じるとか令和ってなんか響きがかっこいいとか。
BBCでは元号発表後、令和という漢字を英語で説明するため、
“Rei can means "commands" or "order," as well as "auspicious" or "good."”(令というのは命令、や秩序といった意味合いがありまた幸先の良い、良いという意味がある的な意味合い)と書いたそう。
NYT(New York Times)でも似たような説明だったよう。それを見たからなのか、外務省はすぐ、令和という言葉の説明には、beautiful harmonyという趣旨があることを伝えるよう在外公館に指示を出したと、何かで読んだ。
先にも書いたように、「令和」という言葉は、万葉集からの出典とのこと。
万葉集は現存最古の和歌集であるが、
万葉集の和歌は万葉仮名を含め全て漢字で書かれている。政府はおそらく、新しい時代の名前において、「日本の古典からの引用」であることとか、令和という漢字の意味合いだとかを強調していた。がしかし、
令和という漢字の意味を令+和にわけた説明がメディアにも多い気がするけれど、
令和は、「万葉集」巻五「梅花(梅の花)の歌三十二首併せて序の
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫らす」から引用されている。
令和という名前に決まったのが、どういう流れからかはわからないけれども、
新元号考案者の痛烈な皮肉が込められているというのが、研究者たちの話でも言われている。
これほど、題名にも書いたように「コンテクスト」の重要性を説明するのにぴったりな例えを、愚鈍な私は思いついたことがない。
品田先生の緊急寄稿をよむと
令和、は先にも述べたように万葉集におさめられた、大友旅人の詠んだ歌、「初春令月、気淑風和」からと。
この万葉集の中でのこの歌の意味は、品田先生によると、
権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない、といった意味合いだそう。
令和という元号は、もともとこの歌から令と和をとってきたもので、しかしその背景にはこの歌があり、この歌をよみとくと、万葉集におさめられた歌の時代に、大伴旅人がこの歌を詠んだときの時代背景、政治背景、そしてそれに対する気持ちが込められており、権力者への嫌悪と敵愾心が込められていると。
まさに、品田先生もご指摘の通り、間テキスト性の問題が現れる。
言葉、単語は、当然、その単語や言葉だけが掲げられていても、その漢字の意味が良い意味でも、そこにはその言葉の意味合い、発せられた状況、時代、発言した人、がついてまわる。
今回の場合は、まず、令和、ということばが、和歌の中で別々の位置にあり、令和という熟語や言葉があった訳では無いところからこのことが始まると思う。
私は、万葉集や国文学や歴史学等にはあかるくないので、令和という元号についてこれ以上語ることも出来ないし、品田先生の文章を読まなければその意味合いを紐解くなど出来ないのだが、
令和が、この歌から来ている以上、
いくらcommandやorderに命令的意味合いが含まれているために誤解が生じてしまう、政府による権力の印象が強くなることを避けたかったとはいえ、"beautiful harmony"にはならない。もう1つ誰かが言っていたようなことを付け加えれば、仮に令和が、みんなで平和にしよう、というような意味合いがあったとしても、それを、政府機関がいえば、やはり「平和になりなさい」という命令になってしまい、必ず権力の矢印が発生する。
もちろん、言語習得の流れを考えてもわかるように
人は、ある言葉を、ある書籍や絵本やドラマや会話の中で知って、様々な文脈の中で出会ううちに、その言葉を、脱文脈化して認識できるようになる、その言葉が脱文脈化されるようになる。言語習得においても、何度もその言葉を耳にし、目にし、さまざまな状況や話の中で出会ううちに、その言葉、単語の意味やイメージを認識し理解するのだと思う。よって、言葉は、言葉自体に意味がある、のではあるけれど、その言葉を発した人、相手、状況、という情報の中にその言葉の意味合いやニュアンスが介在する。
だから、確かに、令和という言葉自体に良い意味合いをもたせたとしても、
こうした元号の名前においては、ましてや政府が「日本の文献からとった」ことを強調していたような名前においては、どのような文脈や背景で使われた単語であったのか、言葉であるのか、は大切であるように思う。
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どうも話をうまく展開できない、今回もあちらこちらに飛んでしまった気がする。
ただ、この、間テキスト性、コンテクスト、と言葉、というのが修士論文の研究の要の1つでもあった私にとって、
修士課程を修了して1年、周囲の人に自分の研究分野について、文学部、文学研究科の存在の意義について、様々に説明をしてきたけれど、
新しい時代の名前にまつわる話ほど、
例示にわかりやすい説明は出来ていなかったかもしれない。
元号の名前や、制定にまつわる事情、国文学や歴史学については詳しくなく、
またこの間テキスト性の例示として元号を挙げた説明が、どうだったかは、分からない。
だけれども、久しくnoteに記載する程に頭の中の整理ができず、
また自身の研究分野について書いていくとしながらもなかなか筆を(スマホだから指を?)執れなかったところに、またどのように生きるべきか、どんな人間でいるべきか、などをかんがえていた折、
このような機会ができ、何も変わらない日常を過ごしつつ、
時代とは、元号とは、を考えつつ、その言葉の文学的背景から自身の専門分野の肝となる部分をようやく書く機会ができた令和という新しい時代の幕開けに、
結局、UVERworldさんの浮世CROSSINGの歌詞の
"ありのままが素敵だと言ってくれたことが嬉しくて嬉しくて"
"向かう場所が浮世離れでも今はもう迷うことは無い"
"「内面の弱さも外見もこの世に一つしかない君の個性だろう」"
"「自分なんかに出来ない」なんて そんなこと思いたくない"
"何度だって振り返って生きていけばいいだろう、変わってくことだけが大切じゃないよきっと"
"自分ひとりがたたかってると思ってたんだよそれぞれなにか抱えてこの平成と向き合ってんだ"
という歌詞を噛み締めて平成最後の日を終え、
ある"インフルエンサー"さんの、インスタライブを見ていて視聴者の方々がカウンダウンしているのをみて、あ、日付変わるのね、変わったのね、へー、と思い、
またその夜中から明け方までこの令和の元となる詠まれた歌について考えていたら朝を迎えていた。
#令和 #新元号 #間テキスト性 #文学という学問の意義 #コンテクスト #UVERworld #思いつき以上思考未満
〈参考文献〉
品田悦一.「緊急寄稿 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」.
https://pbs.twimg.com/media/D3X0O1ZUwAAk7_D.jpg(2019.5.1)
(プロフィールにも記載している通り、引用や掲載をする際は、無断ではなく、コメント欄でいいのでことわりをお願いします。無断転載厳禁)
注:本記事は、執筆者である私の考え等を述べているものであり、これこそが正しいなどというものではありません。トップの写真は、フリー素材の梅の花の写真です。