ひなたの道を歩いていこう。
雨に降られて、壊れかけのビニル傘から覗いた空はモヤモヤとしていた。屋内に入ると、さっきまでは感じなかった倦怠感と眠気に襲われる。自分が想定しているよりずっと、他人に見えているよりはずっとずっと、疲れていた。
さっきから何度計算しても、全くお金が足りない。10月の頭のクレジットの支払いまではギリギリ足りるけれど、10月の生活費は怪しいと思っていた。だけれども、通院費が想像以上にかかったり、出勤が減ったりで収支が合わない。29歳にもなってお家にお金を入れるどころか、親にお金を借りるのかと言われた気がするけれど、前々から母に、お金を借りるかもしれないと言っていたそれが目の前にきたようだ。
家にお金を入れたほうがいいだろうなというのもそろそろ貯蓄がしたいのもわかっている。けれど、今の月平均5万円の給与で通院費、交通費、交際費、必要経費と引いていくとほとんど残らないのも事実で、必要なものとどうしても今でなければならなくて欲しいものだけで考えてもいつも給与の8〜9割は逼迫していた(とはいえ手取りの10%は交通費だから)。
今年のクレジットの支払いの目標上限は、39万円に設定していた。昨年より10万円程度減らそうというつもりで。だが、その39万円の設定は10月頭のクレジット支払いで超えてしまい、今のペースでいくと今年の総支払い金額は63万円を超えるだろう。(想定の1.6倍)
給与の方はというと、90万円は稼ぐというのを目標にしていたが今のペースだと最高でも70万程度で終わるだろう。
クレジット金額が、給与の9割を占めている。
全てをクレジット払いにしているならまだしも、そうでなくてこれなのだから由々しきことだ。この差額7万円のうち、6万円ほどは交通費。残り1万円が現金払い。我が家には19歳以降、お年玉という制度はなく、もらうといえば祖父母がお誕生日祝いに毎年1万円をくれることである。(いうて30前後の孫たちにお誕生日祝をくれるのだから素晴らしく、とても恵まれたことである。)つ、ま、り…
手元に残っているお金がない…!
これが29歳の生活だろうか。最近、こうした経済的状況において、自分の年齢と自身の実生活がかけ離れていることをよく思い知らされる。
近年は高校生でも金融の勉強をよくしていて、投資の仕方も勉強していて、今のティーンから20代前半の多くの人たちが投資をしたり、身体が働けなくてもコロナで仕事を減らされても、生きていく術を勝ち取っている。それなのに三十路近くの女がこのザマだ。
神経内科の診察費と薬代はこれまで親に払ってもらっていた。しかし、3ヶ月前ほどの通院から薬代以外自分で持つことになった。(もちろんその他の、歯医者さん、皮膚科、眼科や耳鼻科、婦人科は当然その前から自分で支払っていたのだが)
神経内科にはおよそ3ヶ月に一度通院していて
神奈川に通っていた時は1回の往復交通費が502円、受診料が安い時で400円ほど高い時は6000円ほど(検査内容などによる)だいたいいつもの平均は3000円くらい。薬代は月4000円。1年に62000円くらい。
自立支援制度を利用しているからなんとかこれで済んでいるがその自立支援制度も、自立できないばかりに父の扶養に入って暮らしていたら自立支援の支給額は、最低額なのだ。年に2万円分しか補助していただけない。(補助していただけるだけありがたいのだけれど)
交通費を除いて74000円ほどかかっているが2万円は支給していただけていて負担1割で済んでいるが自立支援制度がなかったらどれだけお金がかかるのかと思うし、自立支援制度があったところでも、結局支払えていない。
しかし、そろそろ父の扶養から出なければならないし、家からも出なければならないんだということもわかっているし、その道が、私の意志に反して既に始まっているのだということを、
今まで医療費も薬代を自分で払ったら母からお金をもらっていたのを、「いつまで払ってもらえると思ってるの?自分で払いなさいよ知らないわよ」と言われたことで気づいた。
結局今月はとりあえず薬代以外で1600円ほど自分で支払った。たぶんそのうち薬代も自分で払っていくことになるだろう。それを踏まえると、今の給与では到底無理があるのだ。
医療費・薬代
交通費
交際費
洋服代
下着代
多少の食費
(今は自分が外で食べる時だけだがそのうち家に入れることになるだろう)
趣味のお金
冠婚葬祭費
携帯料金
まだ実家にいて、親に支払っていないから他にかからないだけでどれだけかかるだろうか。携帯の代金も今払うと厳しいからと母に肩代わりしてもらって後々払いますとしてある。
アラサーなんだしこういうのはちゃんと自立するのが当たり前のことなのもよくわかるけれど、
やはりこうして生活していくためには、
それなりに稼がなければならなくて、生きていくために必要なお金を最低限で計算したら、
実家暮らしで、今のように生活費を入れなくても12万円ほど、生活費を納めるなら16万円ほどは必要なのだとわかる。
手取りで16万円は、額面でおよそ月20万円の稼ぎが必要だ。上記のお金には化粧品にかかる費用や美容費(基礎化粧品や美容院等)を入れていないからそれらを含めるともう少し必要になるだろう。それは果たして正社員だったり、フルタイムのアルバイターというものではなかろうか。
そういうことを考えていった時、
"いつが今の仕事のやめ時なのか"を考え始めたころに、そんなに今の仕事を長くやっていられる経済的余裕はないのだと思った。
今の仕事では月平均3〜5万円だからだ。
29歳
30歳を目安に実家を出ろと両親に言われている
となると、残り11ヶ月を切った30歳までの自立目標の第一歩すら踏み出せていないのは、恐るべきことなのだと思う。
それはそうなのだとわかっていてなお、
そもそもなぜ今の働き方をしているのかに考えが戻っていく。もちろん2018年新卒の、あの追い詰められた心のまま新卒3日目に辞めてきてしまったあの時より、その後ベッドに引きこもっていたあの時より、ずっとずっと体力もついたし、心も身体も健康になった。だけれども、やっぱり周りの友人達のように働けるわけじゃない。
「普通は」と親に言われるたびに、苦しい気持ちが自分を覆い尽くして、ぐったりとしてしまうのは、誠に心身の疲弊である。
どうして、疲弊しすぎて、過労になって、倒れて、持病をもって、身体がダメになって働けなくなって、それなのにその疲弊の原因となるその医療費や薬代を自分で払い続けていくねばならないんだろうと思う。
これまで両親がそれを肩代わりしてくれたし、
保険医療制度がよくできている日本という国にいて、自立支援制度が適用されたからなんとか負担が軽くなっている部分はあるけれど、それでも子どもとは違って働けなくても無償にはならない。
既卒になる前、院生の、その過労になってからも、
"働かないと最低限のお金すらないから"
仕方なくなんとか倒れない程度に、無理しない程度に働いているのであって、休んでいいのなら本当はもう少し休めたら、どんなに身体が楽だろうかと思う。
若いうちに、若いのに、若いんだからと
言われ続けてきたけれど、
10代の時も、20代前半も、20代後半のこれまでも、楽しいことだって幸せなことだってたくさんあるけれど、その何倍も苦しいことが多かった。
健康を失うということは、
お金を失い、本当は得られるはずの生活を失い、こころを失い、楽しいと思える余裕や気持ちを失ってしまうことなのだと、過労以降初めて体感した。
あの、過労の原因になった人間関係に、
わたしの人生をこれほどまでに失う価値があったのかと考えれば言わずもがなであるのに、
ただ断れなかったその一点だけで、わたしは
これから死ぬまで、この十字架を背負わねばならないのだと思った。
その苦しみをできうる限り排除したいと思ったから、自分を変える以外に縁を切ったのだ。
他人も過去も変えられないから、
自分が変わるしかない、私が強くなるしかないのだと、そう思ったから切ったのだ。
けれど、精神疾患、てんかんというものは、
そのてんかんを起こした起因まで遡って患者の身に、病魔がしがみついてくる。
何度も過去を反芻して、
苦しみを反芻して、
その度に、先輩や友人に、
暗いとか重いとか、みんなも大変だとか
もっと気楽に生きろとかいろんなことを言われた。
でも、私にはやはり、
他人には私のことなどわからない、
と思う。だから、聞き流しつつも
そんなのは理想論だ、と思ったり
あなたには無理なくできるんでしょうけど、
と思ったりする。
そう思いつつも、一方で私はやはり、
彼らがいうような、その自立した道とやらを
歩まなければやはりこれから先生きていけないのが今のこの世の中なのだということもわかっていて、だからやっぱり聞き流しているつもりで耳が痛い。
わたしが過労で倒れて入院して持病になって投薬治療と通院を80歳で死ぬとして56年間続けていくとして、入院費と自立支援を受けるまでのお金を含めて、持病のためだけに必要なお金は概算で今後悪化もせず今のまま薬代も医療費も上がらない設定で355万円。
彼らはそれを、たった一言の謝罪で、
いや正確に言えば一人は謝罪の一言もまともに言わずに終わらせようとしたということだ。
だから私は誠に怒っていたのだった。
そして、これらのうち、これまではそうしたものをわ私が成人しているにもかかわらず両親が支払ってくれていたけれど、
これからは、私がもう負わねばならなくて、
そのお金がこれだけ膨大で、持病以外の医療費、交通費、交際費、食費、これから自立したら支払う全てのお金…と考えていくと
やはり、今のままでは、全く何も無理なのだった。わたしはあまり長く生きたくはないから、
80歳頃には死ぬとして、現在29歳から80歳までにかかる生涯費用を、私の持病にかかるお金を除いて最低限で1億2000万円としよう。これらを踏まえて自立していくことを考えた場合、
やはり、定収入を得られること、経済的に余裕のある状態にすることは必須であったし、早くに実家を出て自立することが、私にとっても必要なことなのだと思った。
幼少の頃から、家の経済的状況には恵まれてきた。お金持ちではなくて、母は専業主婦で、父はサラリーマンで、
父が身を粉にして働くという言葉がぴったりなほど55歳頃まで本当に多忙な人だったことと、母が専業主婦で家計をきちんと守って、欲しいものもたいして買わず、両親共に、子どものために必要なお金は十二分に出してくれた。
やりたいことをお金が理由で止められたことなど一度もなかった。それがいかにすごいことなのか、やっと少し自立に踏み出した今のわたしにはわかるようになってきた。
親とは色々とあって、暴力や理解し合えないことや価値観の押し付けや、本当に色々あったけれど、経済的環境に関しては本当に感謝している。経済的理由で私は選択肢がとても広かった。だから、経済的に裕福であるということは、恵れているということは、それがない状態と比較したら、なによりも恵まれていると思うのだ。仮に幼少の頃のさまざまな選択が親の決定でも(私だって、自分の意思とは無関係に海外暮らしになったわけで自分の意思とは無関係に日本に帰国せねばならなくなったわけで、自分の意思とは無関係に中間子で女一人の兄弟なわけで、自分の意思とは無関係に"女の子"という生き方を刷り込まれてきた。)、良い経済環境にいて良い環境を与えられているのなら、それは幸福なのだ。
29歳の平均年収は404万。
私の年収はおよそその6分の1から、9分の1程度。
ここから、30歳で年収414万円は厳しいだろう。けれど、それでももう少し、
実家にいながら親となるべく距離をとり、
実家暮らしの友人たちと距離をとり、
自分と自分の将来のために、
お金をつくっていこうとおもう。
お金さえあれば幸せになれるわけではないし、
お金がなければ不幸であるわけでもないと思う。
けれど、
お金があれば解決できることは、
お金さえあれば取り除かれる不安は
結構ある。
まずは、今の時給を割らない仕事で
もっと給与を得られる術を考えながら
今や仕事の中でやれることも考えなければならないけれど、
やはりお金を貯めるために、
部屋を整理しモノを減らし、私の背負うモノを軽くしようと思う。
部屋のモノも、いらないモノも、
人間関係も。プライドも、見栄も、
断れない自分も、幼い自分も、
30歳になる前に手放していこう。それはきっと、30歳になるときにすぐ達成できることではなくて時間をかけないと得られないものだから。
父に家を出ろと言われた期限は残り10ヶ月を切った。
今のままでは家を出るどころか食費すら納められない。わたしはもっと現実的にそれを落とし込む必要があって、
そのためには、周りの平均がとか、
周りはどうしているかだけを考えるのではなくて、
私は、どうしていくべきなのか
わたしの人生においては、私の生活においては
今、何が必要なのかを集めたい。
29歳になって1ヶ月たっても、
28歳の1年間のことも29歳のことも書けなかったのは、今の生活ですら生きられていなかったからだった。溺れていて、呼吸なんかできなくて水がどんどん口の中に鼻の中に身体の中に入っていって苦しくて、楽しい誕生月を存分に過ごしても、それでも私の心や身体はそんな感じのままだった。
目の前の時間だけが精一杯で今日の食べるものや寝ることやお風呂に入ることも
よし、と声を発さなければままならなかった。
台風と低気圧と雨続きの9月は非常に辛くて起き上がることができなくて、ふらふらして体調を崩したりもして一日中ベッドにいたり、仕事を休んだり、遅刻していくことも何度もあった。
やっとそれを脱せそうだ。だから今、今こそ、これから先、そのこれから先というのは明日のことも1ヶ月先のことも年末までのことも、3月までのことも、30歳までのことも
少しずつ考えられるといいなと思う。
そしてそれは多分、
ひとりでうーん、うーんと唸りながら静かに考えたら道が開くこともあれば、誰かにとりあえず話したら開くこともあれば、何か動き出してやっと動くこともあれば、何をしても動かないこともあるのだろう。
29歳の私は、昨年までと違ってそれをちゃんと頭で、身体でわかっている。これでも少しは、進んでいるんだと気づいた。
雨続き、低気圧に押されたままの人生も、
自分で調整することと運を待つこととで
いつか、よく晴れた心地よい季節がくる。そのとき、ちゃんと元気に歩みを進められるように、今は無理せず、進もうとせず、じっと堪えて準備を考えるとかなのだと思うことにした。
いつもなら、しかも雨の日なら
帰宅したらぐったりでスーツを着たまま意識を失ってしまって2〜3時間寝てしまったりするのに、今日は、カフェで休憩してから帰ったからなのか体調が良い方だからなのか、帰ってきてからもぼーっと30分ほど座っていたものの想像よりは全く疲れていなかった。
得られる給与も、
目の前の仕事→いただける給与→それをもとにした生活
と考えていたけれど
せっかく非正規雇用なのだから、
もちろん無理しないことを前提にしつつ
今目指している生活→そのために必要な給与→その給与を得るための働き方や労働時間や職場
という考えも実行にうつそうと思う。医療費を自分で払っていかなければならないとなると、これまで想定していたよりずっとずっと稼がなければならなくなった。
少し言語化されたから、
メンター的役割で相談してある大学時代お世話になった先輩や、親愛なる友人にも相談してみよう。
人生の晴れは、自然の天気とは違って自分で整えられる部分がもっとありそうだ。