而立す。
「子曰、吾十有五而志于学。
三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不喩矩。」
そう、孔子は言っていた。
『論語』にも漢詩にも孔子にも、
もちろん孟子にも、詳しくないけど、
『韓非子』はいつか読んでみたくて、それから元彼が大学院での研究分野が恵施の「論理学」だって確か言ってたから、いつか恵施もよんでみたい。
孔子が、晩年になって自らの歩みをふりかえって述べた文だそう。
十五歳で学問を志し、
三十歳で学問の基礎が確立してひとり立ちし、
四十で心が乱れたり悩んだりしなくなってまどわなくなり、
五十にして天から与えられた使命(ウェーバー的にいえばベルーフか)を知り、
六十にもなると品性の修養が進んで聞くことを主観を交えずに即座に理解出来るようになり、七十になると、心の欲する方へ進んでも道理にかなわないことがなくなった。
私は今年28歳になる。もうすぐ
而立の歳。
確かに大学院博士課程まできちんと勉学に励み、研究に励み、
正規修了年限で進んできた場合、
大学院博士課程の正規年限を終えるのが27歳の春。つまり今年だったはず。
私はといえば、学部生を卒業する春の意気込みはどこへやら、結局、大学院修士課程の2年間も、研究に没入できず、博士課程に進学どころかまともに働くことすら出来ないまま、既卒満3年、明日で4年目に入る。
27歳になったばかりの春には、
まだ27という数字も28も現実味がなくて、今だって28歳も29歳も現実味がないのに、なぜか30歳はとてつもなく近く感じるようになった。
恵施の研究をしていたという元彼と付き合っていた26歳のとき、彼は30歳だった。あの時の私には想像のつかなかったことが少しだけわかるようになった。
26歳だった一昨年の私は、まだ
他人と自分の線引きがあやふやで、
仕事だって自立することだって、
働き方や生き方や、自分らしくいることだってなんなのか分からなくてもがいていた。
様々なことでいちいちクヨクヨしたし、通りすがりの街の人にブスと言われたら彼の前で涙をボロボロこぼした。
でも、それが26歳の私だったのだ、と今はちゃんとわかる。
そして27歳になってから、26と27では何もかもが変わった。
私は強くなったし考え方も変わったし周りの環境も、友人たちの考え方も、結婚状況や子持ち状況もかわった。
一緒に過ごす人や一緒に居る相手もかえたし、恋したら一生懸命過ぎて頑張り過ぎていた自分にも気づいた。
自分の機嫌はなるべく自分でとるようになったし、身体をご自愛するようになったし、太りやすくなったし。
少し前の25~26までは、なんとなく
ぼや〜っと30のことを考えながらも、目の前の人生を生きていたのに、27歳になってからやたら30歳という言葉に反応するようになった。
立派にアラサーになったのだと感じる。
でも、アラサーという言葉より、
而立という言葉の方が、
クリティカルヒットする。
重く、のしかかってくる。
大学院修士課程にいた時、
博士課程に進学したら27歳くらいで
単位とってそこから博士論文完成させて学位をとれるのはいつだろう、とぼや〜と考えたことがある。
敬愛する大学・大学院の指導教授は確か、24歳で海外の大学院の修士課程修了、博士課程にそこから5年行って30歳で博士論文を優秀論文賞を受賞して日本に帰国し、大学でのポストを獲得したと言っていた。
敬愛する修士課程時代の先輩方は、
私と同じ27歳の時、D3の先輩と、
働いてから大学院にきて私のひとつ上のM2だった。
あのころの先輩方は、今の私とは
比べ物にならないくらい優秀で、
自立していて、頭が良くて、
知識豊富で、研究熱心で、指導教授にも一目置かれるような優秀さを兼ね備えていた。博学で、優しくて、努力家の方々だ、と少ししか先輩方を理解していない私にもそう見えていた。
大学院に進学して以降、年齢を重ねるたびに、大学院のI先輩が博士1年だった歳、とか大学院のT先輩が修士2年だった歳、といったことを思っていた。
そして、その、先輩方の背中に比べて自分はなんと幼いのだろうという認識を持っていたし、
出来ない自分、落ちこぼれの部類だったこれまでの自分と、優秀な先輩や同期を比較したところで落ち込むだけだと分かっていても、優秀になりたくて、先輩方の背中を追いたくて、いつも何も出来ない自分、幼い自分、を感じるたびにただ努力もせずに落ち込んでいた。
負けず嫌いもあったと思うが、中高時代から、自分がなにか上を目指すのなら先輩という存在は、超えるべき存在だと思っていた。
大学院は、同期も後輩も先輩もみんな頭が良くて、私だけが、特筆して不器用で、英米文学専攻なのに最底辺に英語が出来なくて、何も出来なかった。
大学院を修了して2年後に付き合った彼は、4歳上で、付き合った時29歳、誕生日がきて30歳になる彼だった。
あの頃だって今だって私は
正規就業できていなくてアルバイトのままだけれど、今ならもう少し、正社員で働いて30歳という年齢の彼の立場や考えを想像できる気がするし、今なら勝手に、「私はただのアルバイトだから」とか遠慮しないできちんともっと心を開けるかもしれない。
27歳になってから、ようやく、
ぁあ、私友人関係でも恋人にでも、
私自身が、自己開示したり頼ったり甘えたり、してこなかったのだなぁ、とわかる。
いつも話に出す大学院時代の畏友は、同期で年齢もひとつしか違わないのに、とても大人に見えているし、実際私が幼いことと彼がきちんと年相応に自立していて余計に大人に見える。
27歳なので、周りの同級生に
結婚した人がとてつもなく増えたし、子持ちも増えた。みんなみんな、気づけばきちんと、大人、になっていた。
でも、私だって私なりのペースで、
それはとてもとても遅いけれど、少しずつ変わり始めた。
おだを上げていた少し前までの私は
女三人よれば姦しいあの無駄な集まりに何も無いのに行くのはやめたし、嫌だなと思う人となきちんと距離をとるようになったし、距離をとってみたら
それまでの自分がいかに醜いほど未熟だったかも知った。
両親が結婚したのが27歳。
いつも気にかけてくれる親愛なる友人にお子さんが生まれたのが27歳。
尊敬する先輩が大学院修士課程で優秀な論文を書いていたのが27歳。
働けていない私には、想像ができないけれど、新卒を23になる年とすれば
27歳3月の同級生たちは、新卒から5年目の、少し上の地位に、まとめ役の地位にいて、第一線で活躍している。
働きながら資格を得てさらに高みを目指したり、働きながら勉強して転職したり、結婚したり子どもを産んだり、みんな、それぞれのライフプランを立てて進んでいる。きちんと、自立しながら。
修士課程に進む時ぼやぁっと描いていた博士課程の道。私には、無理だなぁとか、もっと勉強しないととか言ってそこへ奉公し、邁進する覚悟を決めず、ただ時間を過ごしてしまった。
英語だってそうだ。同じくらいの英語レベル(私の方が下ではあったけれど)だったであろう友人2人が、全く同じ時期に英検1級を受けると知ってそれ繋がりで友人になった2人は、2019年の頭、一発で英検1級を取得し、一人はその後転職して英語のトレーナーに、そしてそこから外資系大手の会社にうつり、さらに投資や株の勉強もしてそちらの収入源も確保しつつ、かねてよりお付き合いしている大切にしていそうだった彼女と結婚もした。
いつもよくしてくれる大学院時代の友人も、大学院修了からこの3年で、
結婚し、就職し、転職し、子どもが生まれた。
資格をとってプロの職についたり、
勉強して職場でさらに責務のある役についたり、みんなきちんと職責を担いながら、進んでいて、私だけが、覚悟が無いまま、実家暮らし、アルバイトで過ごしている気がした。
而立(三十歳)が近づくにつれ、論語を思い出すけれど、あれはやはり、きちんと勉学に励み、努力をし続けた結果、三十にして学識や道徳観が確立して自信もついてくるわけでその年齢になったら自然とそうなるわけじゃないのだ、ということを友人たちが結婚してゆくなかで感じた。
26歳の時に、27歳になったらこうであるべき、30歳までにこうしておくべきなんてことを色々調べて書くだけ書いていたけれど、
そんなものを書いておくのをやめた27歳になってから、私は、人の「こうあるのが良い」を集めてそれを指標にしようとする流され方をやめた。
そしたら自然と今の自分は何をしていたら心地良いのか、何がストレスになるのか、何が楽しいのか、どうして行くべきだと自分は思っているか、何をしたいのか、そのために何が必要なのか、今はどういうフェーズなのか、といったことを自問自答するようになった。
今、2020の手帳にら2019年当時書き込んだ「30歳までにやること/やめること」を覗いてみた。
25個くらいあるうち、そういうことをやめたことで逆に
8個くらいは達成していた。
それに、24の時の私、25歳の私、26歳のあの、彼といた時の私とも全然異なる私に今なっていると思える。
25歳になった時から、なんとなくぼやぁっとあった30歳という目標。
26歳の時に立てたWish List100、
どれも達成にはまだ遠いけれど、
27歳になってからその前日までとは
全く異なるくらいに肩の力が抜けてきたり、周りの人がどうとか気にして人間関係を続けるのをやめてみたり、キャッチすら断れなかった私がはっきりと断れるようになってきたり、ジムに通ってみたりマッサージに行ったりしてご自愛してみたり、
ついに、セルライトケアとセルフ脱毛まではじめた。
26歳の時、見知らぬ通りすがりの人に「ブス」と叫ばれて、彼氏の前で涙をボロボロ流した私は、今でも児童たちに、「おばさん」だの、「うるせー」だの言われてそれが溜まれば、やはり疲れる時もあるけれど、受け流しつつ、児童たちには叱る指導としてきちんと話せるようになった。
嫌なことを嫌と言えなかった私が
児童のために時間を割いてきちんと
叱るようになった。もちろん、
たくさん褒めるよう意識しているが。
人に対して負の感情を伝えたり、
嫌なことを嫌と言ったり、
ダメなことを叱ったりするのが苦手だった私は
今、職場で児童たちに、それなりに
お話しができるようになってきたし、
2つ以上のことが降ってくるとパニックになりがちだった私が、
職場で最も冷静でいられるように、とか何かをしながら次に必要なことを考えたり、でも、児童ときちんと向き合い話を聞くように意識したり、様々なことを受け止められるようになってきた。
今でも私は正規社員としての経験がない。それにプロの塾講師として教壇にたったことも無い。だから、あの時付き合っていた彼の大変さを分かるとは言えないけれど、毎日、児童生徒たちと向き合っていたら、授業を考えていたら、昼から夜に仕事をしていたらどれほど大変かは26歳の時より想像できるようになったし、
一方で、26歳当時、彼は正社員だけど私はアルバイトだから、と勝手に自分を格下にして、彼の方が忙しい、彼の方が大変だから愚痴は言っちゃダメだとか、忙しそうだから甘えちゃダメだとか、我慢しなきゃとか無駄に勝手に自分で決めつけて苦しくなって結局、上手くいかなくなったのも、「ああ、わたし余裕がなかったんだなぁ」と思える。
そしてもちろん彼も私に配慮がなかった。お互い悪い。
26歳の時はぼやぁとしていたはずの、まだもう少し先だと思っていたはずの30歳という言葉が、少し近く感じるし、まだ子どものいる同級生は少数派だったのに、結婚した人が急激に増えて子どものいる人も増えて、私自身も、結婚した人とそうでない人、子どものいる人とそうでない人の違いを感じるようになってきた。
22歳で大学院に進学した時から、
もっと学問に専念してきちんと勉強を積んで27歳を迎えていれば、6年後である今、まさに而立を目前にしていたのかもしれない。
あの頃、27歳で大学院博士課程3年目を終える頃だとなんとなく想像していた。もっと頭良くなっているとおもったし、もっとできる人になっていると思ったし、もっと研究に邁進していると思っていた。けれど、この5年間、私は結局、自分の専門や英語にどれも手をつけなかった。
こうなりたいと思いながら、どこかでそれは遠いものだと決めつけて努力を怠った。
けれど、何も得なかったわけではない。人より成長が遅いかもしれないけれど、健康がとても重要であることを過労になって知ったし、観たいだとかいいながら時間を割いて来なかったアニメや映画を観たり、自分を変えることで人間関係がかわったり、考え方が変わってきたし、無職アルバイトのふらふらを活かして色んな仕事をしながら自分のできないことを少しずつできるようになってきたし、健康を大切にするようになってきたし、ご自愛を自分でできるようになったし、前よりずっと自分のことを好きになったし、noteもはじめたし、SNSの使い方も考えるようになったし、マイナスなことをあまり言わなくなったし、下着にさらに気を遣うようになったし、ジムをやめてしまったけど筋トレが大事だと知ったし、褒められることも増えてきたし、
年齢相応の落ち着きはまだ無いかもしれないけれど、ずいぶんと口数が減ってずいぶんと冷静でいられるようになったし、短命な恋愛だったけれど学ぶことも多くて大事な恋もしたし、
それでも私はまだ27歳で、而立まで猶予がある。
27歳を過ぎてから、やたら30歳までに、を考えはじめるようになったのは、私にとってそれだけ30歳という年齢が、ふわふわしつつも現実的な未来になったということだと思う。
最も重要な経済的自立はまだまだ遠いけれど、そのことだってちゃんと向き合おうと思えるようになってきた。
20代なんてずっと続くような気がしていたのに、あと2年5ヶ月もすれば私は30になる。
2年5か月前、25歳になってちょっとしたくらいの時見えていた世界とはまるで違う今を生きている。
私は、周りの人より成長が遅いみたいだけれど、私なりにきちんと過去の自分を越えてきた。まだまだ高校生だった時の自分には顔向けできないけれど
きっと2年5ヶ月後までに、もっと変われると信じている。
26歳の時に付き合っていた彼は、
付き合っている時に29歳から30歳になった。あの時の彼の考えていたことは今も分からないし、背負うものや将来のことも話せなかった。
それはもちろん彼にも原因はあるけれど、私は私でいっぱいいっぱい過ぎたんだなぁと思える。
あの頃よりずっと、私は
自分の身の回りをきちんと剪定するようになった。好きなことをする時間をつくるし、嫌だなと思ったら断れるようになってきたし、やってみたいことに挑戦してみたり、一人の時間もきちんと確保するし、嫌だなと思う人とは無理に付き合わないし、仕事にきちんと向き合うようになってきた。
27歳になってから突然そうできるようになってきた。きっと彼だってどこかのタイミングで前よりぐんと生きやすくなった時があるんだろうけど、少しは、私がそういうフェーズにいるんだ、そういう少しまだ危ういフェーズなんだって想像してくれてもよかったじゃないか、と思うけど、その程度にしか私の存在はなかったのだろうなって今は思う。それでもまだ、彼の方を忘れられないわけだけれど。
コロナを契機に、好んでもないのになんとなくカフェに入り浸るのもやめたし、友達とカフェでグダグダ中身もないことを話す時間も消えたし、そもそも、26歳くらいまで仲良くしていた友人たちと一人を除いて一切距離をとった。一人はね、親愛なる友人だから。
あの頃の私よりずっと
余裕のある私だと思う。
せっかくだから、28歳になるまでに、30歳になるまでに学問の基礎を徹底させるために、もっといろんな知識を体得するために、きちんと自分のための時間をつくろう。
頭が良くなりたい、というのは
多分、そういう、年齢を重ねたなりのきちんとしたジリツを手に入れたいという想いがどこかにあるからだろう。
30歳まで時間があると言えばあるし、ないと言えばないからね。
ベルーフを追い求める道は
やはり必要だし、
今の目の前の仕事に向き合うことで
ベルーフにしてゆくことも大切だと今の私は思う。
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