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美人の条件


(前置きが長いです。
ざっと目を通したい人は
ずーっと下にスクロールして、ブスの25箇条から読んでください。)


最初にはじめたSNSは、

Twitterだった。


大学に入学して1ヶ月。
スマホを持った時。

弟がTwitterのアプリを
入れてくれて登録してくれた。


大学2年になる時に、
知り合いも増えてきて
Facebookをはじめた。


その頃にはTwitterにだいぶ
使い慣れていた。


大学1~2年の時は家も荒れていて、
かなり精神的にきつかった。


それはどんどんTwitterに現れた。


大学2年になる頃には、
それで友人関係も悪化するほどに
私は、マイナスに陥っていて、
友人達がみているのとは別に
仲の良い一部の友人だけがみる
鍵垢(鍵アカウント)をつくった。


Twitter、Facebook。


そして、大学院を修了したあとに、
行った場所などの写真整理のために
Instagramもはじめた。


最初は写真整理だけだったのに、
SNSの中毒性の恐ろしいこと。


誰にも悩みを言えなくて、
友人たちに、せめてTwitterで
書いておいてくれたら
気遣えるから、といわれた
その言葉に甘えて数年に亘り
Twitterで愚痴をこぼすことに
すっかり慣れきっていた私は、
場所を変えていろんな所に
少しずつ吐き出すようになっていた。

一昨年はインスタのストーリーズなら
24hで他人には見えなくなるし
とおもってそうして、なるべく
親しい友達だけのところに
していた。


しかし、ほぼダダ漏れ状態だった。



けれど、26歳のある日、
仲のいい友人にはっきりと言われた。


ー 愚痴とかさ、吐くなとは思わないけど、SNS、特にインスタってみんな、楽しいことを挙げてる場所じゃん?
そこに、マイナスなことを書くと、
お前の印象はいつもマイナスなことを書く奴になるし、そういう言葉って、
見たくないだろ、やめとけよ! ー


その友人とはSNSでは一切繋がっていないのだけれど、その一言はかなり刺さった。


私は、まずTwitterのアカウントを3つから2つにし、FBのアプリをアンインストールした。


これで、まず入ってくる情報や感情が
随分減った。

それから、noteをはじめて、
思ったことや書きたいこと、頭に浮かんだことはnoteに記事にすることにした。


これで随分、一人の時間を割けるようになったし、自分の感情や考えを
言語化できるようになったし、

感情的に突発的に言葉を
解き放つのではなく、

ずいぶんと、推敲するようになった。


次に、インスタのストーリーにマイナスなことを書くのを意識的にやめた。


まだまだ、ストーリーをあげる頻度は多い気もするし、言葉数も随分多いけれど、かなり減ったし、


それこそ、Twitterのように
息するように
使ってしまっていたのをやめた。


そうすると、自然とマイナスな言葉を
勢いで投稿しないようになってきた。



インスタのストーリーが減ってきた
段階で、自分にとってマイナスの気をもってくる、言葉を持ってくる友人関係や人間関係をやめた。




私はどうも、マイナスな言葉を
見たり聞いたりすると、
それをどこかに吐き出さないと
自分の中に溜まって溜まって爆発させてしまうようで、
それがインスタのストーリーに
毎日のようにこぼしていた言葉や
Twitterに並べていた言葉として出ていたらしい。


負の言葉を持ってくる人を、
いつも愚痴や言い訳ばかりの人を、
言葉遣いが常に悪い人を、
意識的に遠ざけた結果、


わたしの中には、ほとんど
負の感情や言葉が生まれなくなった。


なんだ、今じゃなくてもっともっと
何年も前からそうすべきだった…



そういう人たちを遠ざけてから
2ヶ月くらいすると、Twitterの使用頻度が減り、インスタも使用頻度は高いものの、言葉数が減った。


何か思うことや主張したいことが
あるのなら、noteに書いて、
なるべく言葉を冷静に
書くようになった。


マイナスなことを常に言い続ける人や
言い訳ばかりの人、
世間知らずな人たちを遠ざけてみた結果、
私がいかにちっぽけで世間知らずで
お子ちゃまだったのかに気づき始めた。


自分の心が解き放たれ、
身体の力が抜けていくのがわかった。

それと同時に、過去の私と同じようなことを続けている人を見る度に、


嫌な気持ちがしたし、
過去の自分のそうした習性を考えるたび、なんと心の醜いことだろう、


なんて、ブスなんだろうと、
思うようになった。

ぁあ、この人は素敵だ、
と思う人はこういうことをしない。



宝塚には、「ブスの25箇条」が
存在するという。




「ブスの25箇条」という言葉のもつ
刃の鋭さにドキッとしてしまう。


これら25箇条は、
見た目だとか背の高さだとか
そういう先天的な、または
身体的なものではない。


つまり、心のブスとでもいえば
良いだろうか。


こんな心の持ち主を、ブスという、
そうならないために心に刻みなさい、


といったところかしら。



ブスの25箇条

1.笑顔がない

2.お礼を言わない

3.美味しいと言わない

4.精気がない

5.自信がない

6.愚痴をこぼす

7.希望や信念がない

8.いつも周囲が悪いと思っている

9.自分がブスであることを知らない

10.声が小さくイジけている

11.なんでもないことに傷つく

12.他人に嫉妬する

13.目が輝いてない

14.いつも口がへの字の形をしている

15.責任転嫁がうまい

16.他人をうらやむ

17.悲観的に物事を考える

18.問題意識を持っていない

19.他人に尽くさない

20.他人を信じない

21.人生においても
仕事においても意欲がない

22.謙虚さがなく傲慢である

23.他人のアドバイスや忠告を
受け入れない

24.自分が最も正しいと信じ込んでいる

25.存在自体が周囲を暗くする




「自分がブスであることを知らない」は少々、辛口であるが、

まあ、これはきっと

「そういう意識を持って
美しくなろうとする努力を、
美を保つ努力を怠るな」

という、人の前に立ち、夢を与える
職のプロとしての意識にきっと必要なんだろう。


そして、内面的な意味でいうなれば、
「自分が、このように愚痴をいったり、人のことばかり言ったりするような人間だと自覚していない人」のことを言っているのだろう。


ブスであるという自覚を持たなければ
綺麗になろうという努力はできない、と。




この25箇条は、本当にあるのか
私は知らないけれど、


宝塚という世界の中で
スターであるために必要な
要素だとしても、


私たち一般人が
「素敵な人」であるための
目標になるものだってある。


「ブスの25箇条」なんて書いて
それを心に刻もうとしても
心が疲弊するし、

何より人間というのは

「○○しない」のその
「しない」という言葉にはあまり
反応しないらしい。


だから目標を立てる時には
「しない」ことを書いても、
その「○○しない」の「○○」だけが
頭に残るとも聞いた事があるので


ここは、ひとつ、

「ブスの25箇条」を
反対に読みかえて


「美人の25箇条」として
心に刻んでおこう。


正直、こんなの理想的なところもあるし、毎日心に刻むのはちょっと苦しい。


だって、落ち込む日だってあるし、
いつだって愚痴をこぼさないでいる、
とかもなかなか難しいと思うから。

でも、とりあえず、記しておこう。



美人の25箇条

1. いつでも笑顔でいる

2.ささいなことでも
感謝の気持ちを伝える

3.美味しいなどを言葉で伝える

4.目が輝いている

5.精気に満ち溢れている

6.いつも口角があがっている

7.自信を持っている

8.希望で満ち溢れている

9.常に自己成長

10.はっきりと大きな声で話す

11.周りの意見に耳を傾ける

12.愚痴をこぼさない

13.他人の幸せを喜べる

14.責任転嫁をしない

15.自分に厳しい

16.他人に嫉妬しない

17.他人に尽くす

18.他人を信じる

19.謙虚さをもっている

20.人のアドバイスや忠告を受け入れる

21.なんでもないことを気にしない

22.楽観的に物事を考える

23.問題意識を持っている

24.存在自体が周囲を明るくする

25.人生においても
仕事においても意欲的


例えば、

9.常に自己成長

だとか、

18.他人を信じる

というのはなかなか急にできることでは無いし、また、一様にしていいとも言えない気もする。


けれどこれは、
きっと実際の行動というより
意識の問題、

心持ちの問題なのだろう。


「ブスの25箇条」 の対比として、
「美人の25箇条」とされているけれど、


20代後半になれば、これがある程度、
「大人としての25箇条」であることもわかる。


宝塚に入る人達というのは、
入学時に、14〜18歳らしいので、

まだ、子どもである。



その、子どもたちが、
これを心に留めているとは、
なんとオトナなんだと思う。


正直、こんなこと、オトナになったってなかなか難しいもんだ。


オトナだって、いつでも笑顔、
いつも口角をあげる、常に自己成長、
愚痴をこぼさない、他人の幸せを喜ぶ、責任転嫁をしないら楽観的に物事を考える、どれをとっても難しい。


それを、たった14歳頃から
意識するのだから、
やはりプロ意識が高くなるものだろう。




私は、この言い換えた
「美人の25箇条」を、
24~25歳の時にノートに書いたが、


果たしてあれから3年ほど経って、
いつもどれだけ出来ているだろうと
思わされる。


さらに、書いた時には
こんなん難しいやん、なんて気持ちも
あったのだが、
27歳になってから

素敵だなあ、と思う人は
だいたいこの美人の規定をこなしているし、


なんだかあの人は、子どもっぽいなぁ、離れたいなぁと思う人は


宝塚のブスの25箇条に入っている。


そんな気がしてきた。


だから、オトナであることのように
思えるのだろう。


と同時に、
例えば

「常に笑顔でいる」や
「いつも口角があがっている」、
「はっきりと大きな声で話す」
なんかは、人前に立つ時の
精神の自己コントロールの問題
なのだとわかるし、


「ささいなことでも感謝の気持ちを伝える」
「美味しいなどを言葉で伝える」
というのは、周りの環境を
当たり前と思わずに「ありがたい」と
思えているのか、という意識の問題だと突きつけられる。



「なんでもないことは気にしない」
「楽観的に物事を考える」
「存在自体が周囲を明るくする」
「他人に尽くす」というのも、


確かにこういう人は、
性別、年齢問わずどんな人にも
愛されるし、それこそ、その人が
いるだけでパッと周りが明るくなり
華やぐ。

そういう心持ちが、
生きていくためには必要なのだ。


落ち込む日だって、苦しい気持ちの日だってあって、それを隠すことが大事だなんて私は思わない。


苦しいのなら苦しいと、
わんわん泣けばいいし、
落ち込むような日はとことん
落ち込んだ方が心の安定に結果的に繋がることもある。


でも、そういう行動だって、
自分でコントロールできるものなんだ、って27歳になってわかった。


当たり構わず、周囲に
マイナスの気を持ち込む人は
やはり一緒に居ようと思わなくなる。


一緒にいれば、ただ堕ちるだけだともわかる。


そして、私がそうなっていた数年間、
周りの人は、私のその言葉を空気を
見るのがどんなに嫌だったろうと。


私にどれほどマイナスな印象を
抱いていたのだろう。



感情を押し殺す必要はないけれど、
軸や価値観を曲げることと
感情を殺すことは異なるし、

周囲の環境の恵まれたことに気づけている人と、
無いものばかり見つける人はやはり違う。


そんな風に考えていたら、
これってやっぱり素敵な人でいるために必要な要素に繋がってくるんだろうな、と思えた。



考え方も言葉もポジティブ

笑顔が多い

いつも素直(裏表なく)で嘘をつかない

ストレートに愛情表現出来る

当たり前のことを当たり前にしっかり出来る

精神的に安定している

安心を与えられる

人を立てることができる

人に流されない/自分軸で動ける

損得勘定で行動しない

家族や友人など人に想いをもてる

自分の好き嫌いを分かっている

自分を客観視して受け入れている

自分の存在に価値を感じている

幸せの感情で自己を満たせる

私らしさを分かっている

私も良い、あなたも良い、ができる

隣で幸せそうにしている

いちいち人と比べて落ち込まない

素直に甘えられる/頼り上手

気持ちを押し付けない

親愛なる友人はこういう人だから
私もこういう人でありたい、
そう思う。



なんだか、たくさん書いてしまったけど、これらのために大事なことって、

結局のところ、
自分で、自分を満たせるかどうか


なんじゃないかなって、とても思う。



石原さとみさんは、とある番組で
SNSをやめた理由についてこう言っていた、


ー たぶん、疲れたんだと思う、
頑張ることに。
誰かにこう思われたいとかその先を
考えるよりも、自分が自分のためにしたいことをする。
それは完全なる究極の自己満足だから、(心が)豊かになって満たされているんだってのが、すごく分かった ー


と。


Twitter、そろそろ
やめていいんじゃないかな、
なんておもえてきて、
私は、とりあえず、心のお守りに
ひとつ(ほら、ちょっと呟きたいとか、
どうでもいいことなんどけど残しておきたい写真とかあるじゃない?そういうため。)だけアカウントを残したけれど、

消す日も遠くないかもしれない。



友達関係だって、なんかこの人嫌だなって思った人と、友達になったから
付き合い続けなきゃって、小さい頃からずっと思ってたの。


でも、それを25歳くらいから
手放せるようになったら、
私どんどん変わって、
今まで、「なんかあなた嫌な人になってきている」って言ってくれたその人たちがいう、

その私の嫌な部分が、
私自身にもすごく見えて、

ぁあ、わたし、なんてブスだったんだろう


ってとっても思うもの。



嫌な自分にならないためには、
自分だけの時間、
誰とも繋がらない時間、
をつくるのがいいし、

嫌なことやマイナスなことを言う人、
自己成長しようとしない人、
自立していない人と距離をおいて
自分も自立できるよう努力することだって、すごく思えるようになってきた。




宝塚の美人でいるための25箇条は
大人であるための25箇条だって。


わかってきたもの。

#snsの付き合い方

#宝塚ブスの25箇条

#美人の条件

#オトナであること



災害や疫病で、人と直接繋がることの大切さが強く唱えられるようになったけれど、まずは、自分で自分を満たすことからよね。


誰のせいでもないことを、
とやかく色々言う人ってのは、
自分で自分をきっと満たせていないんだろうから。


誰がなんと言おうと、
私が私で私に、幸せを与えられているのなら、私は、満たされるはずなの。多分。

そして、そのためには、
「オトナであること」が
とても大切なの。

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