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常に頭にプランB
ふとインスタを見ていたら、知らない大学3年生の女性で、わたしが就活をしていないのはモデルを目指しているためです、というリールが流れてきた。
なんとなくコメント欄をタップしたらやっぱり、就活してなくて今からモデル目指すはさすがにきついんじゃないかな、というコメントがたくさんあった。その多くは、非難するようなものではなく、わりとまっとうな意見だなと思うものだった。(例えば、モデルを目指していたなら大学行く必要はあったの?とか、これまでモデル経験とか雑誌に載ったとかないの?とか、モデルを本気で目指すなら他の仕事でやはり同じように美や姿勢を求められるところで経験積んだら良いのでは?とか、新卒って結構まだ重要で逃したら戻れないものでもあるよ、とか最初は働きながらやればいいんじゃないのかなど、)
その、コメントのなかに、
「プランBを立てておくことは必要ですよ」
というコメントを見た。
それで6月に、福島の友人に会いに行った時、同じことを言っていたな、と思った。
社会人のご意見として真っ当なものだと思うし、私も他人の人生における相談などをしていれば同じことを思うかもしれないけれど
どうにもまだわたしは、自分自身の人生に、
自身の日常生活に、自身の習慣に、常に頭にプランBを立てて動くことができていない。
これは、わたしの未熟さの一つなんだろうな、とこの女子大生の方へのコメントを見て思った。
プランAが本当にやりたいことや今目の前にあって選びたい道だったとしたら、それがダメだった時、それが何かしらの理由で選べなくなった時などにその、ダメになった地点から移行できるプランBは絶対に必要で、もっといえばプランCくらいまで考えられていると、
むしろそのプランAについてもっと別の見方が最初からできるように思う。
前回の記事
で書いたように、誰しもがいつかは死ぬわけで
その死のタイミングは、自死が成功しない限りは、誰も選ぶことはできない。
そして、私たちは、皆、日々歳を取っていく。
歳をとるのは決して悪いこととは思っていないのだけれど、
死という最終地点があって、タイムリープがない限りは基本的には歳老いていって今日より若い日は2度とこない。(仮に、心や頭や身体が若返っていく何かしらの御病気などがあったとて、だとしても決して、生まれてから日々年老いていっての17歳の子たちと、そうして若返ってきた人の17歳では、きっと同じではない)
だから、やりたいことややるべきことの優先順位をつけていかないと、私たちの人生は、どうでもいいことに毎日毎日構っていられるほど決して長くはない。(どうでもいいことというのは、決して"無駄なこと"という意味での例えばテレビをぼーっと見ている時間とか、ちょっとしたストレス発散にあまり意味のないことをするようなこと、を言っているのではなく、また、一見遠回りに見えるけれど今の自分がやりたい何か、とかではなくて、例えば、自分に害しか与えない人に時間や心を割いてかまってあげたり、嫌だなと思いながら嫌々続けている何かとか)
けれど、人生は、さほど思う通りには進んではくれない。
もちろん、なかには、欲しいものはなんでも手に入れられて、なりたい人間になれていて、やりたい仕事ができて、好きな人とうまく進んだことしかなくて、お友達や家族ともずっと幸せでとか、毎日ハッピーしかないという幸運な方はいると思う。
けれど、ほとんどの人にとっては人生は、そうそううまくいかない。
自分自身が頑張れなくて結果を出せなかったり、正しく努力はしたんだけれど思ったような結果にならなかったり、好きな人に好きになってもらえなかったり、好きな人と付き合っていたはずなのにうまくいかなくなったり、結婚したけれどすれ違ってしまったり、家族が重い病気になったり、自分自身が心や身体を壊したり、
そのうまくいかないことは大なり小なり人それぞれにあって、たぶん、ほとんどの人が何かしらで躓くんだと思う。(と今思っているわたしも、数ヶ月・数年前までは、わたし以外の友人たちはみなきちんと努力して欲しいものを手に入れていて、失敗しなくてすごいなと思っていた)
でも、たぶん、多くの友人たちは、プランAだったものがうまくいかなかった時のプランBを歩んでいたりして、それがうまくいっているのがわたしに見えているだけであったりするし、真っ当な考えを持っている多くの友人たちは、プランBを無意識に立てられるようにきちんと練習して習慣化してきたんだろうなと、やっと思えるようになってきた。
わたしだってこれまで、プランBを全く持ってこなかったわけじゃない。例えば受験。
受験の併願だってプランB。
第一志望に行ければ御の字だけれども、そこに行けなかった時のための併願。
例えば就活。(わたしの場合は、特に第一志望の企業というのはなくて、行って調べて話を聞いたそれぞれの会社でそれぞれに、この会社いいなと思ったところやここの会社ならこういうことをしたいなと思っていたのが別々だったけれど)一社だけを受けることはなかった。
(大学院と、院生時代の就活だけは、一つしか受けていないけど)
そもそも、私にとっての就活は、院に落ちた時の内定先の確保だったからプランBだった。
院生時代の就活だって、元々は、D進したいけれど、まだDを受けるかまでは決めかねるし、そもそも修了できるかもわからないし、父にDを受けるという話をする場合、やはり学部生の時に院に行きたいなら別の道を確保しておけと言われた時のように同じことを言われるだろうと踏んで教採を受けたわけだし。
(と書いていると言い方がなんですが、学部生時代と院生時代も内定したら行くつもりはありました。)
父の、この学部生時代に、「お前が院に絶対行ける保証なんてないから落ちた時の道を決めておけ」というのも、つまりはプランBを決めておけ、ということ。
世の中の、多くの社会人は、おそらく毎日どんなことにもプランBを常に頭に立てられる習慣がついていて、よく仕事のできる人はプランC、プランD、プランEくらいまでは、立てているかもしれない。
そう考えると、今のわたしは、
プランBどころかプランAすら立てられてなくて、プランBを常に頭に置いておくことはなおさらできていないんだろうと感じた。
人生は、長くはないから、
取捨選択が必要で
優先順位を決めておかなくてはならなくて
けれど人生はいつだって自分の希望通りには進まないから、
プランBが必要で
そのプランBを常に頭に何かしら置いているか否かは
物事に対する姿勢とか自信とか、安心感が違うし、
見えているものが違うんだと思う。
これ!と思ったらそれしか見えていない人が見えている世界と
これ!というものがあるけれど、万が一うまくいかなかった時、何かあった時のことを頭に入れている人が見えている世界はきっと違うし、
実のところ、夢にしても、仕事にしても、日々のちょっとしたことにしても
プランA(自身がこれこそが希望しているもの!これこそが今必要で欲しいもの!と思っているような主軸のもの)こそが自身にとっての本当の正解だとおもっていたけれど
プランBを選ぶことになってしまった、そのプランBが、結果から見て振り返ればプランAより良いかもしれない場合だってある。(もちろん、これは、いわゆるロバート・フロストの"The Road Not Taken"で指摘されているように、結果論から見て、「ああ、わたしの選んだ道は正解だった!」と思えてしまうだけなのでもあるけれど。)
むしろ、選ばなかった道に関しては、選ばなかったというのが事実なのであるので
「あちらの道に進んでいたら」なんていうたらればは、ない。
だから、選択肢を複数持つことというのは非常に重要なことなのだと思われる。(経済的・環境的に、選択肢を持つことができないで進路や日常を送るしかなかった子どもたちとそれ以外の子たちの環境格差問題というのは、つまりこういうことが問題だ。)
大人になれば、責任も増えるけれど自由を得られる部分も多くなる。
仕事をしていても、これからの進路を考えるにしても、日々の生活のことでも、成長するにつれてどんな人でも一般的には中高生の時より社会が見えるようになるし、成功や失敗の経験も積んでわかってくることも増えるし、
何かを達成するための道が必ずしも一つでないことや、どんなに努力してもダメになることがあったり、自分一人ではどうにもならないことがあることもわかってくるし、
そういう中で、プランAがダメになった時というのを経験していく。失敗の経験を積みながら、同時にプランBに関しても本来経験していくことになる。
最初は、何も考えていなかったけれどプランAがうまくいかなかったから仕方なくのプランB(例えば中学受験の時くらいの併願校への進学)、
少しは考えるようになった時のプランB
(大学受験の併願とか、就活の時いくつか受けるとか)
社会に出てさまざまな角度からものが見えるようになったり、多くの人と関わるようになったり、コミュニティが広がって自分自身の経験したことのない人生を歩む人々と関わるようになったりして、自発的に考えないとやっていけないから考えるようになったプランB
そして、そういう経験を積んだ結果に最初からプランAと同時並行的に、常に立てて同時に進めていくプランB・及びプランC。
プランAが失敗した時のためだけではなくて
実のところ、同時並行的に進めていると、本当に必要なのはAではなくCだった、と気づく時もあったり、プランBとプランCは実は同時にできるもので、それができるならプランAよりむしろこちらが良いと発見したり、プランAのその先の、プランA'みたいなものが見えてきたり、そういうものなんだと思う。
やりたいことがあるのは大いに結構、
でも、世の中は、やりたいことが必ずしもできる人生ではない。その時に、プランBを常に立てているか否かは、
自分自身の心の余裕にもつながるし、結果的にまわり道をしないことになったりする時も、あるんだろう。
今のわたしにはプランAすらまともにない。
(やるべきこと、責任を全うできていない。)
わたしが、自立するのに、まともに生きるために、足りていないのは、
こういうことを、実践に、習慣に移せることなのだと知った。
女子大生の子、ありがとう。
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