ごま焼酎紅乙女をロックで
20歳になるその日までは、
絶対に一滴もお酒は飲まない。
強く強く大学生になった時に
決めていた。
法的にはいけないけれど、
密かに飲むような人が世の中にはいる
というが、
私は変なところが頑固で、
絶対にハタチになるまで、
何をされてもお酒は飲まない、と
高校生から思っていたのだ。
だから、大学に入学して、
他大学も含めてあらゆる部活や
サークルの新歓(新入生歓迎会)に
行ったけれど、18歳だった私は
ついぞ、一滴も飲まずに
新歓を乗り切った。
この新歓期間で、
お酒を一口だけ飲んだように
見せかける飲んだふりの演技が、
かなり上手になった。
まず最初は先輩目の前に
「私はお酒は飲みません」から。
今はこんなことすれば、
アルハラ?で一発アウトといったところだろうけど当時はまだ“アルハラ”なんて
言葉は、少なくとも私は知らなかったし、飲まない新入生は私以外見なかったし、先輩も「ちょっとだけ、」
「乾杯の最初の一杯だけでいいから」
なんてある。
私の大学の部活やサークルでは
一度もあったことはないが、
大学1年の時、友人に
一緒に行ってよーと言われて
別大学のインカレテニサーの
新歓に一度だけ行った時、
きっぱり「私は飲みません」と
言えば、やはりニダン
(大学2年の男性)の先輩から、
「ちょっとだけでいいから〜」と
グラスを口に当てられ、
グッとおでこを後ろに持って行かれた。
(こうすると、人間は上を向く形になり、苦しいため酸素を吸うように口をあける、つまりグラスの中のお酒が喉を通ることになる)
それでも私は喉を通る前に、
むせたフリをして、用意していた
大量のティッシュに吐き出した。
きっぱり「お酒は飲みません」なんてことは言えるのに、そこから強くはいけなくて、
咄嗟に
「ごめんなはい、やっはりわたひ
すこしおさけまわってるみはいでふ」
なんて甘ったるい声でわざと言って、
すっとお手洗いに立つのだった。
喉に入りかけたお酒はしっかり
戻したし、そこから先は
お手洗いから戻ると、
先ほどの先輩はどこかに女の子を
見つけて帰ったようで、
私はそれからも
「もう酔っはみはいでふ、」
で酔ったフリして
最後まで飲まないを突き通した。
当時はそういう技を出さないと、
断れなかった。
あの飲み会の最後のあの光景は
8年経っても、カオスだった、と
記憶している。
別大学のサークルとはいえ、
「世間的に頭いいで通ってる大学の
サークル実態は、その大学の男性たちと、インカレでくる女子大の子達、
新歓はもちろん新入生を入れるためでもあるけど、酒と性欲にまみれた儀式」なんてそんなとこまで言葉は回らなかったけど
そういう感覚で、私は引いた。
うわぁ、、、という気持ちになって
友人に誘われたその一度きりで
私はインカレサークルにいくのも
やめたし、自分の大学のサークルや
部活にも1年次は結局入らなかった。
特段そのインカレサークルの新歓は
今考えても異様だった。
まだ、男性を知らない私。
中高女子校育ちで、男友達は、
小学校の同級生、それもほとんど会わない。大学に入ってからも、
9割女子の学科で部活やサークルも
まだ入っていないから男友達がいない。
そんな私の目の前に広がる光景。
大宴会場みたいな広さの向こう側で
イチャつきはじめる男女、
二人、二人、二人、と
男性の先輩と帰って行く新入生。
一女の口に瓶を入れて
グッと飲ませるニ男先輩たち。
私の新歓の数年後に、
そうした中で某有名私立大学の新歓で
大問題が起こってニュースになり、
各大学、また部活・サークルは
多分、おそらく私たちがイチジョだった時のような新歓はやめただろう。
でも私の時代はまだあった。
頑固な私は、結局20歳になる
最後の日まできっちり未成年を守って
大学2年の誕生日。20歳を迎え、
初めて白ワインを口にした。
(ちなみに、25〜26のとき、
友人にちょっとだけといわれて
シーシャを本当に少しだけ吸ったことがあるがそれ以外に喫煙もない。
シーシャは特別なんとも思わなかったけど、吸いたいとも思わなかったし、吸っていて特段心地よくもなかったし、わたしにはあの光景は、入院患者のように見えてしまった。)
そう、それでハタチになって、
初めてお酒を口にした。
記憶が正しければ、最初のお酒は
白ワインだったはずだ。
白ワインを皮切りに、
ビール、酎ハイ、赤ワインと
色々なお酒を飲むようになった。
(カシオレだのカルーアミルクだのは甘くて飲めないので頼まない。)
お酒、美味しいやーん!
と20年目の、
“初めて”で、気づいてしまった私は
当時好きだった人に誘われては、
よくサシ飲みもするようになった。
お酒と一緒に男性と同じ量、
つまみも食べるからぶくぶく太った。
あれから7年。
ビールは好き。特にスタウト。
それからギネス。ギネスが1番好き。
スタウト以外の黒ビールも好きだけど、エールビールもまぁ好き。
缶ビールや瓶ビールなら、
プレモル、一番搾り、ギネス、
それから産地ごとのビールも好き。
梅酒は20代前半までは好きだった。
(今は、注文してから、こんなに量
いらないや、と後悔したりすることもある。甘すぎる)
ワインは赤よりは白が好き。
すっきりしているから。
でも、白ワインよりは
シャンパンが好きかも。
私の家は、母がお酒に弱いし、
兄もお酒を飲まない人だったし、
父がよく家にいるようになる、
私が23〜24歳になる頃までは、
ほとんど家でお酒は出なかったし、
今も父がいない日はお酒は飲めない。
(そうだな、これは1番の、
父のテレワークありがとう理由かも)
「よく甘いお酒飲めるよねえ」
なんて言ってくる自称酒豪友人
(実際お酒には強い)もいたけれど、
牛乳由来じゃないか、
やたら甘すぎる美味しくないお酒でなければ、私は味だけでいえば
基本なんでも飲める。
(好き嫌いはないんですけど、
牛乳単体の味が苦手)
父がいても、普段お酒は
少し口にする程度しか飲まなかったし、二十代前半は、母に
「女の子がそんなにお酒を
飲むものじゃありません」
なんて言われていたし、
24歳以降は、過労で倒れて服薬しているので、お酒をガンガン飲む、ことも
ほとんどなくなって、家で父がいる時に半分弱ずつ、
友人とさし飲みしたときに
ビールやモスコミュール程度のお酒を数杯と、飲んでも強めのお酒を何口か。
(それだって、ジンをロックで、とかそんなことは絶対にしない。
HUBにいくと、「天国への階段」だとかを友人がもってきたりしたけど、
お酒を飲むことが習慣から外れてからはすぐに酔うので、少し飲んだら
持ってきた友人に返す。)
(あ、これは昨年春より前の、
コロナ前の話です。あれから、
お酒を飲みにいく、ってないなぁ)
HUBでは「タランチュラ」
(アルコール度数27%)だけならまだしも、そこに「天国への階段」(34%)と
「ダイナマイトキッド」(53.8%)
なんて飲んでしまえば、
まさにそのまま天国行き、いや
地獄行きか、
立ち上がってすぐにお酒が
一気にまわるから。
あれから私は、
ダイナマイトキッドと天国への階段は
絶対のまないぞ!ときめた。
だって、天国への階段なんて、
ほぼ消毒液の味で美味しくもなかったし。
そんなこんなで26歳のとき。
まだ彼氏になる前の人と
一緒にデートした時、
いつも通り1杯目にプレモルを飲んで
2杯目に、スタウトを注文してみたのだ。
それがスタウトとの出会いだった。
そのあと、キティ、モスコミュールも
飲んだけれど、
あの日、私はスタウトが好きだと
気づいた。
その後、私の誕生日デートで私は
ダブリンのギネスとスタウトを
飲んだ。 私がギネスとスタウトに
ノックアウトされ、私これ、
めっちゃ好きやーん!
なんて、気分上々↑↑したのは、
その時だったと思う。
26歳秋に、ごま焼酎紅乙女に
出会うまで、焼酎は芋がすき、と
思っていた。
他に焼酎は飲まないけれど、
芋だけはあのこっくりとした味が好きで焼酎はやはり芋焼酎だな、なんて。
梅酒をロックでしか飲まないから
焼酎も初めて口にした時から
ロックで、とつい口がいってしまって
ほとんどロックでしか飲まない。
生ビールが好き
白ワインも好き
生ビールよりは黒ビールが好き。
さらに言えばスタウトやギネスが好き。
焼酎は芋でロック。
あとは梅酒。これもロックで。
私の定番はだいたいこの辺りだった。もちろん他のお酒も飲むけれど、
このどれかは必ず入る、そんな感じ。
そうしてハタチになってからの
6年間を生きてきた。
さらに言えば私が焼酎を飲むようになったのは24〜25歳頃からだから、焼酎に関してはそうして1〜2年を生きていた。
そして、26歳の秋。
どこのお店だったか
全く覚えていないのだけれど、
池袋のお店で
見つけてしまったのだ。
ごま焼酎 紅乙女 を
私はいつもお酒を頼む時と同じようにそれを、ロックで頼んだ。
芋のような独特な味わいはなく、
すっと鼻に香ばしいごまの香りが
突き抜けていった。
もともと煎った香りが好きだし、
なんともいえぬその香りとコクと味わいは、あの日の衝撃だった。
なんで私は今までごま焼酎という
存在を知らずに生きていたのだろう。
まさにそう思った。
その後、付き合いはじめた
彼の家に泊まりにいったときに
プチルミエール(白ワイン)とか
赤霧島(芋焼酎)とかも飲んだし
赤霧島はやはり好きだったけれど
結局
ごま焼酎 紅乙女が、
美味しかった!!!
というその時の記憶だけが衝撃は
とてつもなかった。
味はあまり覚えていないのに、
とにかくあのお酒が美味しかった!
とずっと記憶にあった。
あの日から、お酒の売り場に行くと
探してみるが見つからなくて、
思い出が遠くなるたび、
思い出の中のごま焼酎の甘美さは
一層増した。
人間、思い出というものを
やはり甘く、良く記憶するらしい。
彼と別れてしまってからは、
その甘美さがさらに増して、
私の頭では幻のお酒のような
扱いになっていた。
高い日本酒やワインだって、
頂いたりしたけれど、
どんなお酒も、甘美な記憶の
紅乙女にかなわなかった。
彼と付き合ってから飲んだお酒ではなく、彼と付き合う前に、
まだ知り合い程度の時に一緒に飲んだお酒なのに、なぜか、脳裏には、常に
ごま焼酎 紅乙女
の文字があった。
甘ったるい思い出シャンプーも、
結構探したけれど、ごま焼酎は、
私にお酒を買う習慣がないために
探す、ことすらしていなかった。
彼と別れてから半年。
母の日と父の日のプレゼントを
探していた私は、結局、
父にはお酒だなぁ、
そうなるとお酒を飲まない母は、
お酒1本買ってこれで、
父の日と母の日なんて、そんなのは
違うなぁ、
だから、両親ともにで、
大きな何かを1つと
と思いつつ、
一応お酒も眺めていた。
父に何をあげればいいのか
いつもわからないから
結局お酒になる。
やっぱり、父にはお酒、
母には別のもの、かなあ。
そんなことを考えて、
父に何のお酒をプレゼントするか、と
赤霧島(芋焼酎)や㐂六(芋焼酎)あたりでみていた。
父宛にと考えていたのに、
この時点で芋焼酎ばかり選んでしまうのは、よく考えずともすでに
自分の好みを取り入れすぎだ。
どっちにしようかなぁ、
なんて眺めていた私の目に、
ふと赤いパッケージが飛び込んできた。
紅乙女 の文字が揺れる。
あんなにも、心が探し求めていた
“伝説のお酒”「ごま焼酎 紅乙女」を、
近くのスーパーで、なんの気無しに、
見つけてしまった。
手にとると、ここで買わないと、
彼との思い出のお酒の名前を、
忘れてしまう気がして、
父の日、にかこつけて、
結局、私は自分の思い出の味を
刻みつけたくて、もう一度味わいたくて、思い出したくて、それを買った。
帰ってきて、父の日に渡し、
一緒に飲んだ。
焼酎をたいして好まない父に、
父の日とかこつけて自分が飲みたいから買ったなんて、ひどい娘だから、
なぜ紅乙女だったのかは、
「私がごま焼酎好きだからそれ選んじゃった〜」 で済ませた。
本当は、彼とのデートの時の、
あの時の味を味わえば何かを思い出せると、あの日の自分を味わえると、
心のどこかで思っていたのかもしれない。
ちなみに、彼との思い出は、
日本酒では
「九頭龍」
白ワインは「プチルミエール」。
きっと、ごま焼酎でなくても、
何もかも思い出と結びつけたろう。
その中でも、普段あまり見かけない
ごま焼酎だったから、渇望していたのだと思う。
父と飲んだ、
ロックの、ごま焼酎 紅乙女は
飲んでも
「こんな味だったっけなー」
という感想だった。
飲んだら思い出すと思っていたのに
全然あの時の味、を思い出さない。
嫌いではなく、好きか嫌いかで言えば好きだが、渇望していたほど好みの味だったかと言われると、特段そういうわけでもない。
その、ごま焼酎を私は手に入れるまでぴったり半年間、想い続けていた。
そこに彼との甘美な記憶を付随させて。
それでもやはり、
家でこっくり飲める時の
芋焼酎やごま焼酎、日本酒やワイン、
ビールは格別美味しい。
彼との思い出だったから、
ごま焼酎紅乙女
を求め続けたのだろう。
私はこれで紅乙女の思い出を
上書きしてしまった。
思い出の味を求めて、
今度は、九頭龍や
プチルミエール、キティ、
ダブリンのギネス、
KIRINのスタウト、Asahiの黒ビール
赤霧島、なんかも渡り歩こうかしら。
ここに書いておかないと、
思い出のお酒の名前、
忘れちゃうからね。
でも、今度は1人で
思い出片手に抱え込んで
飲みたいの。
(そんなこと家では絶対
できないけれど)
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