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人生を変える30日チャレンジ28



 前日はまたまた、
3:30にまだ起きていた。

初日のチャレンジ、
「いつもより1時間早く起きる」


が全然継続しない。

 そして、昨夜も、
友人に「出してみなよ」と
言われた履歴書の他の必要書類を
書くのか、
わざわざ履歴書も書いたけどやめるか悩んでいた。


 涙があふれてくる。



 ぼとぼとと、大きな温かい塊が
顎へ向かって流れ出す。

恋をすると、恋人ができると
ずいぶん弱くなって泣き虫になるが、

大学院を修了して以降、
仕事を辞めて以降は、様々な悩みで
1人の時間は、泣いてばかりが多い。

いろいろなことに
耐えられなくなってきた。

弱く…なったなぁ…。



頭の中に錬成した、親愛なる、
世話好きの友人に泣きついて
頭の中の友人が頭を撫でてくれる。


ずっとその友人に甘えてきた。
でもその友人には
昨年お子さんが産まれた。


そのずっと前に結婚をしていた。

友人にずっと甘えていて、
コロナ前は定期的に会っていて
あまり甘え過ぎるとさすがにこの私も
相手のご家庭を考えて反省する。



でも、お子さんが産まれた、
という環境変化は私にもかなりの
行動の変化を起こした。



お子さんができたと知ってから
私からは誘わないと決めた。

たまに、ごくたまに私から
連絡することはあるけど、
基本的に相手から連絡が来ない限り
それが相談でも愚痴でも、
私からは連絡しなくなった。


相手の環境と、いつまでも
この友人に甘えてはいけない、
この友人から自立する、
という27歳の目標を立ててから
ずいぶん意識も行動もかわった。




多分、自立するために、そして
その友人のように行動できるように
なるために、

頭の中でその友人を錬成する、

という技を意識して身につけたことが
とても大きい。




はじめは難しかったけれど、
妄想大得意??の私は、
数週間から数ヶ月の間に


頭の中の友人に、叱咤激励されたり
甘えたいだけベタベタに甘えたり、
泣きたい時、涙が出る時は
頭の中の友人が声をかけたり
頭を撫でたりしてくれて
それに加えて、その友人がしてくれた
「息を吐け」のアドバイスで
パニックになっても一人で
落ち着けるようになってきた。



妄想と鋏は、使いよう。



 
その友人は、学生だった時から、
なんだかんだ厳しいことや辛辣な言葉を突きつけてくるけれど、

一方で、家族より面倒見がいい。



3年間定職に就けずにいる私に、
定期的にあったり電話をしてくれたり
求人出てるよ、と教えてくれたり
ついには、履歴書書きに家にこいよ、
とまで言ってくれた。



コロナ前は、私が落ち込んでいたら
すぐにあって元気が出るまで一緒にいてくれたし、

失恋したらすぐにあってずっと隣に
いてくれた。


 その友人が履歴書を書くところまで
一緒にやってくれたのに、そこから
丸2週間経っても私はそれ以上のことを
何も用意しなかった。





 昨日もnoteに書いたが、

応募しようと思うだけで呼吸が荒くなり、酸欠になり、苦しくなる。

 
正直、とてつもなく、 怖い。




怖い




 結局、書いた履歴書は半月以上、
そのままだった。


 もう破り捨てる勢いで忘れるか、
きちんと提出し、応募するか、

 決断しなければならない。


 これも以前に書いたことだが、
私は決断するのにも、そして
それを相手に伝えるのはさらに、
時間がかかる。


決めて、選ばない方を断つ。

それが決断。


 その、断つのに、断るのに、
選択肢から除外することに、
消すことに、勇気が出ない。


勇気のない者は責任を持てない。


以前に、言われた言葉だ。


 その通りだと思う。


 松浦弥太郎だって言っていた。



 しかし決断をするべき
タイミングが来たようだ。


チャレンジ28日目
「すぐに決断する」



 その日私が目覚めたのは11:30近く。

そこから1.5時間以上、
iPhoneを触っていた。

やっと、朝ともお昼ともつかないご飯を食べる。


夜寝る前から、目覚めた時から
ずっと頭の隅に

履歴書、どうするかなぁ……

とある。

昨日、同僚にその話をして、

もう履歴書書いてからずいぶんと時間が経ってしまってさ……

というと、大丈夫だよ出したら。

私も、数週間前に書き終わっていた履歴書出したけど問題なかったし。

と言われた。




あとは、私の決断だけ、


ということだ。

親愛なる友人と一緒に
履歴書を作成したのは
3週間前ほど。

それをやっと出力したのは一昨日。



当座必要な書類は、
履歴書と教員免許状の写しと
課題作文のみ。

のみ、。




最初の頃はこの、面接後の結果で
辛くなっていた。

そのうち、面接終わりだけで
もう無理だ……という気持ちになり、

面接前から、苦しくなり、

そして面接の予定の連絡だけで呼吸が上手く出来なくなるようになり、

面接前の準備をするのに、
とてつもないエネルギーが必要になり

そのエネルギーも出せなくなり、

ついには、応募することすら
エネルギーが足りなくなった。


世話を焼いてくれる友人たちは、
それでもなんとか働き口が見つかるようアドバイスをくれたり、手伝ってくれたりする。


履歴書を共につくってくれた友人は、
大学院生のときも、私の話を、
愚痴をずっと聞いてくれていたし、
課題や修論も手伝ってくれた。



彼なしには私は大学院生活を全うできなかったし、修論も書き終わらなかったし、課題も提出できなかった。



修士を修了して私が、仕事を辞めてからも、ちょくちょくあっては話を聞いてくれたりご飯も奢ってくれたりした。


正直、恩返しはいくらしても
し足りないくらいだ。

だから、はやめにきちんと働けるようになることが先ず最初にできる、
恩返しだ。



ー 俺と同じとこで働いてくれてれば
こっちも安心するし、ー

彼はそう言っていた。


私も、誰ひとり知らない場所に、
やったことの無い重責を担いながら
社会人経験のないままの27歳で
働く勇気はなくしていたから、

確かに、この友人と一緒に働けるなら
他のところより安心だなぁ、

と思っていた。思っていたから
履歴書作成まではやった。


けれど、友人の家から帰宅した私は
結局そこから3週間近く、何もしなかった。


そろそろ、どうするのか
決めなくてはいけないな。


応募するのか、しないのか。

頑張るのか、頑張らないのか。

2択だ。

すべては2択なのだ。




ー 専修免許もってるわけだしさ、ー
ー 大学院卒じゃん ー
ー まだ27歳だからさ、ー
ー もう27歳だぞ ー
ー やりたいこといくらでも出来ると思うよあなたなら ー


いろんな声が頭の中で反響する。




ー お前は完璧を描きすぎるんだよ。みんなそんなに立派にやってないよ。ー


友人の声も反響する。


動悸がして、苦しくなって、
頭に血が上ったのか、ぽーっと
顔が熱くなる。

なりたいものなんにでもなれる、
と思っていた小さい頃。

それなりに自分の希望の選択肢が
広がっていてそこからいくらでも選べると思っていた学生の頃。

実際、大学院進学と新卒という選択肢をどちらも得て、希望通り
院進した22歳春。


大学院生になって病気をして、
進学を諦めても教採に通って
新卒の間に教員としての内定を得た
24歳春。




まだ夢に溢れていた。

すべてではないけれど、
私の目の前にはそれなりの選択肢が
広がっている気がしていた。


新卒すぐに仕事を辞めてきて、
はじめて私は社会に不要だと言われる状況に出会った。

既卒1年目、アルバイトをしながら
転職活動をして、
どこも通らないけれど
それでもまだ、
「24~25歳でしょ、大丈夫だよ」

とか

「心と身体の問題ではあったんですけれど、新卒すぐに辞めてしまって」
と話すと、

そんな選択をする人が珍しいのか

「いいねぇ」

「これから何するの?」

「これからなんでもできるねぇ」

とたくさん言われた。




既卒1年目の終わりになって
まだ働けていない私は焦って
再び転職活動をしたけれど、

人手が足りなくて、
今まで教育を専門にしてきた私にきた
介護職や教育系の仕事も通らなかった。

26歳まで教員という道を考えて
いなかった私は、26歳になってやっと
教員、なりたいかも、と思うようになってきた。


と同時に、今までのアルバイトの経験をいかせるかもしれないほかの職にも目を向けて、応募してみた。



24~26歳の間に、休みながら、
時にダメになりながら、

教員、介護職、教育系社員、
企業の受付業、
友人が働く眼科の補助業務、
デパートの案内カウンター、
教員派遣会社の登録

色々と受けた。


全部、うまくいかなかった。

アルバイトをしながら、
ほかのアルバイトを受けたものも、
いくつかは落ちた。

アルバイトすら受からなくなったのだ

と気づいたのは26歳頃だった。


通らない連絡のたびに、
私は世の中に不要なのだと、
突きつけられた気持ちになる。

お前など何も出来ないのだ、

お前など、不要なのだ、

お前など生きている価値もないのだ

お前など厄介者だ


誰に言われてるわけでもなくとも、
世間という目に見えぬ何かに、
そう突きつけられる。

不採用という言葉をみるたびに、
聞く度に、たまらなくなった。


既卒になってはじめて
どこを受けても不採用、
を突きつけられた。

就活が上手くいかない、
お前はいいよなぁと
ボヤいていた学部生時の元彼は
こんな気持ちだったのだろうか。

内定4つも持ってるなら1つくれよ、
と言った時の気持ちはきっと、
こんなだったのかもしれない。



東京都教員通ったんだ、すごいね、

大学院進学して、教員採用も通ったんだっらすごいじゃない、大丈夫だよ、

と言ってくれた人は心から
こう言ってくれていたのかもしれない。




私にとっては、
内定をとった大学3~4年生も
教採に通ったM2も、
ただの過去の栄光だ。


いや当時は
栄光とすら思っていなかったが
最近になって、アルバイトすら、
非正規すらできない私は
あれも立派に栄光なのだと思うほど。



転職活動になってはじめて、
不採用の連続、受けるのが怖い、
準備するのも腰が重い、
採用情報を見ただけで辛くなる、
耐えられなくて過呼吸になる、
電話面談後に自殺しようとする

という所まで追い込まれるようになった。




進路において、すぐ決断する、は
なかなか今はできない。

いや、進路だけでなく、
今年に入って訓練を始めるまで、
街のキャッチすら断れないくらい
即断即決ができないのだから、
今回のチャレンジは、一朝一夕に
達成されるものではない。


けれど、いつからか、
決断を先延ばしにする癖がついた。







 自分の気持ちに気づくまでは
時間がかかるけれど、

 やるだとかやらないだとか

 言う言わないとか、

 そういったものにはある程度、

きちんと期限内に、
または期限を決めて、

ぽんぽんとこたえを出していたはずだった。
そして、こたえを出してからは
その道へ投球してきたはずだった。


習い事のピアノを止める時も

1年間は続けると決めた高1の英語塾も

同じように1年は続けると決めた
大学2年の時の塾講も、
大学4年の時の塾講も、

大学院進学を決めた時からはじまった
本格的な採用選考活動としての就活も

就活の後、
どの会社の内定を辞退するかも

時々に悩み、時に決断までに長考が
あっても、最後にはスパッと決断し
決断してからの行動ははやかったし、
長考するようなのは、それこそ
どの会社の内定を受諾するか、という
人生の選択が変わるようなものくらいで

大学受験のあと、
どの大学に進学するかだって

4択から決まっていた2択にしてからは
どちらにしようかな、で決めようかなとか

いやいや、でもそんなことで4年間を決めるのは、

とか悩んでいたけど、


どちらにしようかな、を5回やって多かった方、とかいうのを何度もやったりしながらも、


最終的には、
「A大学で魅力的だと思っている点は本当にB大学ではできないのか」という
考えで、B大学に進学してできないことなど何もなかったこと、

A大学は女子大だけど、
B大学は四大で歴史ある学校だったこと

父のアドバイス等含め
3月頭にB大学、と決断をした。


実は就活の内定で、4社中2社まで
絞った時も、最後どちらにするかを
どちらにしようかな、天の神様の言う通りを何回かやっている。


即決できない時は、進路という大事でも神頼みをよくするのだ。

結果的には、
良いところを比較検討したりして
決めるけれど、直感は大事にしていて

直感で違うなと思っていたのに
選んだ選択や、自分の意思に反して
選んだ道や日常はやはり、
後悔しかない。


今までで1番、決断が早かったのは
新卒すぐに辞めてきた時だった。

あの時はもう、今辞めるか1年は
続けるかの2択。

今辞めないのなら、
死んでも倒れても続けることになる。

もう倒れたくない、
もう無理をしたくない、
今の今、とにかく休みが欲しい。
700日以上ぶりにきちんと、
自分のためだけの休む時間が欲しい。

そんな強い気持ちが、
3日目の朝にムクムクと芽生えて、
これからどう辞めると告げようかばかり考えている自分に気づいて

そう気づいたからこそ、
即決したのだった。



採用後すぐ辞めてしまって
大迷惑をかけたことは
今でも胸が痛いがあの日の決断は
大きかった。


正直、今のこの、採用されない状況、
まともな大人になっていない状況を
鑑みれば、就職活動という面では
あの日、正社員を
正規採用という道を、
新卒という特権を放棄してきたことは
後悔している。


しかし、あの仕事をあの時の自分が
続けていれば再び倒れていたり、
今も無理な人間関係を続けていたであろうと考えると、
就職、転職活動以外の面で後悔していることは何一つない。


 以前も書いたかもしれないが、
何かを決断するとき、

 はじめる、決断より

やめる、という決断をしてきた、

という感覚がある。(参照





 ピアノを辞める。

 アルバイトを辞める。

 友達でいるのをやめる。

 人付き合いをやめる。

 内定を辞退する。

 恋人と付き合うのをやめる。

 転職活動をやめる。

 ジムをやめる。

 
 やはり、決断というのは、


決めて、
自分の選ばない道を断つこと


なのだ。




 今の私の持っている選択は
たくさんある。


 教育で生きるのをやめる、

 自分の今の生活をやめる

 自分の考え方をやめる

 傷つくのを恐れるのをやめる

 転職活動をやめる

 教員になるのをやめる

 または教員にならない道をやめる

 親に世話になっているのをやめる

 今の非正規の仕事をやめる

 非正規という働き方をやめる

 いわゆる一般的な“労働”による
対価としての賃金を得る方法をやめる
(肉体労働、知的労働による給与という方法をやめる)


 今の怠惰な生活をやめる


 今受けようとしている選考をやめる

 または、悩んでいるその選考を悩むのをやめて選考を受ける。


 何事も決めなくては進めない。

決めるためには断たなければならない。


必要なのは、
新たな決意ではない。


今の習慣をやめること、


今持っている何かを捨てること


それだけなのだろう。




 迷うときというのは大概、
情報過多、選択肢過多なときだ。


そして、自分自身が不明瞭なときだ。


だから、決断のためには、
自分は何を好み、何を避け、
何を選び、何を選ばないか
誰と付き合い、誰と離れ、
何をし、何をしないのか

どんな言葉を選び、
どんな言葉は使わないか、


そういう、一挙手一投足における
意思的選択の感覚が重要だろう。


選ぶには、訓練が必要だ。


毎日、あらゆることを選択すると、
自分にとっての要不要の感覚が磨かれる。

それは、大きな決断の時に現れる。

今の私は、きっと、その、
日々の要不要を選べていないのだ。


 今の私が、
大切にしなければならないのは


選ぶ訓練一途な継続力
行動すること、逃げないこと、
失敗をおそれないこと、

間違える、失敗する、できない自分を認めること、

受け身にならないこと。




すべては、私が、
どれだけ強い意思をもち、
それを保てるか、

失敗する自分を想像し、把握し、認められるかにかかっている気がした。


それでもやはり、履歴書より先に
進むためのエネルギーは、
たまらなかった。


 最も大事な勇気が、欠けている。




 結局、友人が出せよ、と
一緒に準備してくれた履歴書は
3週間経っても私の手元にある。


 傷つく勇気がないのだ。


 もう、傷つくのが怖かった。

 要らないといわれるのが、
自分の不出来が露呈するのが、

 自分の能力のなさを突きつけられるのが

 人に会うのが、面接するのが

 いつでも辞められるというアルバイトの特権を失うのが、


 気楽な働き方をやめる決意が

 自立する覚悟が足りなかった。


 このままで良いわけがない。


 そう思うほど、再び過呼吸で
酸欠になって眩暈がした。


#人生を変える30日チャレンジ

#すぐに決断する


今日、最も素早く決断したのは、
「ごはんだよ」
「お茶飲む?」
の母の言葉に瞬時に
ダイニングルームへ向かったことだけだった。


決断力をもたなければならない。

そのための覚悟が足りない。



ー 戦いにおいて足手まといなのは力の無いものではない。覚悟のないものだ。 ー(BREACH 朽木ルキア)
 


#覚悟

#決断力

#勇気

#転職活動


 あまり体力もなく、
冬眠体質のある私はこの日
(冬眠体質てなに?)
夕方から夜19:30頃まで2時間弱
爆睡していた。強い意思も寒気から
来る眠さには勝てない。

#人生を変える30日チャレンジ


#すぐに決断する

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