最後の出勤日。


「本当に突然で
申し訳ないのだけれど、
契約更新なしで6月末まで
ということで…」



コロナの期間、
自宅待機でほぼ休職状態で
6月に入ってやっと
出勤した初日に、
そう伝えられた。



正直、5月の中旬くらいに
危なそうだなぁとなんとなく感じていて
仕事を紹介してくれた友人にも
なんとなくそんな話を聞いていたから

「やっぱりそうか」

という気持ちが1番最初に来て、


だから、6月末まで、
と言われた時も、

「えー!!!そんな…そんな!!」

と言ったように取り乱すことは
なかった。


 仕事を紹介してくれた友人から、
どうも危なそうだと聞いたあとから
非正規雇用のわたしは
おそらく切られるだろうな、と
認識していて、


ちょうど、5月頭から
そろそろ別の仕事を増やすことや
転職活動の再開をしなくてはと思って
いたから、動き出しておこう、と
考えていた。


だから、友人にそう告げられた時には、
困惑したけれど、
他の友人に仕事がないかと
いう話を少しだけしていて、
別の仕事のあてを
紹介してもらったりしていた。

コロナによる7週間の
自宅待機期間を経て
6月に久しぶりに出勤し、
その初日に、冒頭の言葉を、

今月末までの契約で終わりで、
と上司から言われたのだった。



 わたしにとってのラッキーは、

1. 先に友人から危ないかも…
と言われていたおかげで
ガッツリショック状態…
とはならなかったこと。


2. 友人の言葉などもあって
他のアルバイト探しておこう…と
いうことだけは考えていたから
話は進んでいなかったけれど
なんとなくこれ面接受けてみよう、
と考えた後に、この契約更新なし、
の話をされたこと、


3. そして、
コロナの影響でこうなったの
だけれども、
コロナで休職状態だった
2ヶ月の間に、ゆっくり休みきって、
そのおかげでアルバイトの面接や
ちょっと先のこと考えておこうくらいの
本当に少しだけれど当座のことは
考えよう、
でも、塾に戻ったら
また同じこと繰り返して
働きすぎるから今回は
相談相手を変えよう…
程度の頭を回せる余裕が
できたこと。



 コロナで出勤停止になり、
実質的には2ヶ月間の休職期間を経て、やっと6月頭に出社した時、

 わたしはとてもとても嬉しかった。

職場に来るのを楽しみにしていた。


 やっと、アルバイトが復活する!
やっと職場に行ける!!

 そう思った。 そしてそこへ、
今月末まで、という話を正式にされた。

6月末までの契約、
と聞いた時には、

 急に仕事なくなってしまう、
という焦りや、え、どうしよう…
という困惑も、もちろんあったけれど、

 どちらかというと、

「え、あと何回出社できるのだろう」

「あと何回ここに来られるのだろう」

という寂しさが大きかった。

 アルバイトだから、
毎日出社したわけでも
フルタイムで働いたわけでもない。


多分、この会社に
フルタイムでほぼ週5で
出社していたのは

一昨年の10月から
昨年の1月までの
4ヶ月間だけ。

(別の仕事と掛け持ちしていて、
この仕事と別の仕事合わせて
週5以上でほぼフルタイム状態で
働いていたのは、
2019年の11月から2020年の
3月中旬まであったけれど。)



 だけれども、
わたしはこの職場が
とても好きだった。


 もちろん、
わたしの心身に無理ない仕事、
自分の時間が取れる場所、
だったからこそではあるけれど
働き方も好きだった。


 ここで働いたことで、
今まで知らなかった、
これから他のところで働く時も
大切にしたい、
私の中の働く基準のようなものも
知ることができた。


 乗り換えは最低1回、
できればなし。
乗り換えが遠いところはダメ。
できれば、
最寄駅から20分〜30分以内の駅。


 一気にあれこれ指示されるのは苦手。

 自分のペースがある程度保てる職場。

 そして何よりシフト制で
ある程度、時間も曜日も決まっている
けれど縛られない。

 自分のペースがあって、
緊迫した状態で勤務し続けることがなく
周りの人に恵まれた。

 ここで出会う方々は本当に皆様、
優しい方々だった。

 私が人見知りしなかったら、
きっともっとたくさんのお話が
できたと思う。

 

 この仕事は全て叶っていた。


非正規雇用だったからこそ
雇ってもらえた職場であり、
友人の紹介だからこそ
雇ってもらえた職場で、
非正規だからこそできた働き方
だった。

非正規雇用、
つまり代替可能な人材であり、
経済状態や社会の状況が悪くなれば
切られる仕事だった。

そして、6月ついに、
毎月更新していた
契約は突如として終わった。

でも、それだからこそ、
そうした契約と雇用だからこそ、
叶えられた働き方だった。



 人生に躓いて、
働けなくなってしまった私が、
リハビリ的にはじめた仕事だった。

この仕事からは、働き方だけではなく
学んだこともたくさんある。


 本当にたくさんあるから
挙げるのは難しいけれど、たとえば

 仕事を間違いなく遂行するために、
朝一番に来た時、
仕事をお願いされた時に、
ポストイットに、順番に分けて
全て書いてあらかじめ貼っておく。


 そうやって仕事前に、
メモして書いて整理していいんだ、
ときちんと仕事の仕方を学んだ。
(私は母から二十数年にわたり、
メモは取らずに全部覚えなさいと、
メモ取ることをなぜかとても
非難されていた。)

 また、恥ずかしながら、
現代に生きているというに、
Wordもエクセルも、
まともに使えなければ、
そういった機械系は滅法弱いのだが
(なにせ、大学に入って
情報の授業を履修し、その先生に、
パソコンつけるところから教えてくださいと頼んで、私専属に、
TAがつくくらいもともとできない)

Googleカレンダーも、
(最も簡単な入力だけで
済むよう設定してもらったけれど)
エクセルシートも、
slackもこの仕事で初めてつかった。

 この仕事に関わった方に、
gmailアドレス持ってないの!?
簡単につくれるよ、と教えてもらって
gmaiのアドレスもゲットした。

 ここで働いている間に、
そうした機能に少しだけ慣れて
ファイルやドキュメント、ドライブも
弟に教えてもらって
少し使えるようになった。

 その他にもたくさんある。

 今まで
出会ったことのない職種の方々に
たくさん出会い、
今まで知らなかった企業の名前を
知った。

いろんな生き方を知った。


ここで働いている間に勉強して
働きはじめてすぐ英検準1級も
取得した。
(英検1級はこの6月に、
3回目の挑戦をしたところだ。)

 ここで働いている間に、
(別の場所で)出会った人と
付き合い、別れ。
また別の、好きな人にも振られて
数年の恋に決着もついた。

 ここで働いたら、
ダメダメだと思っていた
私の経歴を「面白い」と
いう多くの人に出会った。

 人間関係で苦しんでいるとき、
ベラベラ話す私の愚痴を
聞いてくれる人がいた。

ここで働いている間に、
人付き合いの仕方を大きく変えられた。


 新しい働き方も、

 いろんな生き方も。


 
 新しい場所、新しい環境、
新しいことが苦手な私だけれど、
決まった仕事を、繰り返すことは、
慣れてしまえば無理がなくて
心地いいということ。

 この仕事を始めた時は、
人に会うのも話すのも、
すれ違うのも億劫だった。
2時間何もせずに座っているだけでも
身体がキツかった。
少しずつ勉強したり、
人と話したりできるようになって、

長く働けるようになり、
様々な企業の名前を知り、
また、転職活動をしたり、
他のアルバイトを
掛け持ちできるようになった。


頭の中に爆発するごとく
噴き出していた様々なこと、
気になること、興味あることも
たくさん勉強する時間ができた。

ここで働くことで、
全く断れなかった人間関係を
距離を遠ざけたり、
少し上手に付き合えるようになった。


 ここで働くうちに、働きながら
無理なく継続できる転職活動、
アルバイトの選考活動の仕方も
覚えた。

 2018年度の頭の自分には
信じられないほど体力がついた。


 ー私は、この職場が好きだな、ー


今月末までです、と言われた日、

職場を見渡しながら思った。


家に帰ってきてから

「もっとこの職場でつくれる、
人間関係を構築しておくんだった。
もっと、この職場だからこそ
得られる情報を得て勉強するんだった」


後悔した。


 後悔したけれど、今回の私は、もし
同じような状況に陥った場合、
今までの私だったら
できなかったであろうことを
いくつかしはじめた。
すぐに手をつけられた。


 ①以前から関心のあった、
プログラミング的思考、について
本を1冊買って1週間もかからずに
読み切った

 ②次の当座の収入源を探し始めて、
6月末までになりました、
と言われてから5日後には面接を受け
その1週間後には次の勤務先を確定した。
 この仕事がなくなる、と知ってから
2週間以内に次の勤務先を決めたのだ。
(アルバイトしながら、次の職場を
決めるなんて今までできたことがない)


③ひどく心が落ち込んでいた時期に、
言われたので、かなりパニックには
なっていたのだが、
友人3人にそれぞれ別の話に分けて
相談をした。
 今までだったらまず、
友人に相談する、
ということができなかったし、
できたとしても誰か1人になっていた。
それに仮に何人かに言えても、
冷静に問題を分けて、
相談ができなかった。

 それを今回、こんな状況ながら、
友人の中からこの人が適任だろう、
という3人を選出し、
その3人それぞれにその3人それぞれが
良い案を持っていそうだということに
わけて相談ができた。

 

少しここで、

③の話を少ししようと思う。

友人に相談できたおかげで、

1人は次の当座の
収入先を紹介してくれることになり、


1人は今、心が疲弊して
どうすればいいかわからない、
正直勉強もしなきゃいけないし、
資格も取らなきゃいけないし
でも何も動けない…

と言ったら、

 「失敗するのが
怖くなっているんじゃない?
失敗を恐れて何も
踏み出せなくなってるんだよ。
だから、今年残り半年で、
どれだけ失敗できるのか、
 人にこんなことをして、
こんなに失敗しちゃったよ〜と
話せる話題をつくるくらい
たくさん失敗してみることを、
目標にしたらどうかな?」

と言ってくれた。


 そこで私は、失敗してでも、
挑戦したいことリストを、
ざっとすぐに3つ書くことができた。


 そして、その後に、
さらにまた別の友人
(相談した友人3人目)から


 「英語勉強しなきゃって思って、
英語を使う仕事するなら
英語の試験通らなきゃとか、
そのためには英語勉強しなきゃ。
英検1級受かったら
そういう仕事を考えよう、
とかそう思ってちょっと
固執してるところあるんじゃない?
でも、就職のことだけ考えれば
TOEICの方が使えるし、英検1級って
やっぱり難しいし、英検1級
持ってなくても仕事には就けるよ。
英語を使う仕事につけば、
いやでも勉強する環境になるしさ。
今の君は、英語を使わなくても、
英検持っていなくても、結局
なんだかんだやっていける生活に
なってるから、こそ、英検を
計画立てて勉強できなくなって
いるんじゃないかな」

と言われた。



 この友人3人のアドバイスによって、
私は行き詰まっていたことを、
別の視点から考えられるようになった。

 正直、この3人に話すまでは
かなり落ち込んで、
L1(日常言語)である日本語すら
まともに読めなくなる、
言葉が出なくなるほどに
なっていた。



 でも今回、まず私は、
相談する相手の3人を、
本当に適任の人を選出できた。

 これが、私自身がした、
最も正しい選択。


 こんな程度の、
適任者に、それぞれ内容をわけて
具体的に相談事項を伝えて
アドバイスをもらう、


 そんなことだって26年生きてきて
やっとできるようになったのは
この仕事をしながら、

 不要な人間関係を切り、遠ざけ、
必要な人を知り、相談の仕方を知り、
そして自分に余裕を持てる時間、
私だけの、自分時間を、この仕事を
通してつくれたからだと思う。

 そして、その3人の助言なども
受けて最初の1人に相談した日から、
たった13日で次の職場が決まる
ところまで行ったのだ。


 今もまだ解決していないこと、
まだ、始められていないこと、
決まっていないこと、
進めていないこと、
これから挑戦することは、
たくさんあるけれど、
6月は、本当にいろんなことが起こってあっという間に過ぎてしまった。

 そして、
あっという間に
最後の出勤日になった。

最後の勤務の日、
お昼前に用事が終わって
勤務先が近かったから
そのまま勤務先のビルまで向かった。


 お昼過ぎについて、
ご飯を食べてから、
いま勉強している
フロイトの本を開いた。

そしてまとめている間に
あっという間に、
最後の出勤の時間を迎えた。



寂しい


できれば今日の、出勤時間が
永遠に来なければいいのに…

そう思った。


 大学生になってからさまざまな
アルバイトをしたが、
学内のアルバイト以外で
仕事を辞めるときにこんな気持ちに
なったものは他にない。

 もっというと長期で定期的に働いた
アルバイトは、塾とこの仕事だけで、


 定期的なシフトが入っている仕事で
2年も続いたアルバイトは、
この仕事が初めてだった。

大変なこともたまにあったけれど、
楽しかった。


 2年間お世話になった上司から、
出勤した際に、

「2年間ありがとうございました。
本当、私が入れない日とかに、
たくさん入ってもらって、
助かりました。
次も、非正規?まだ若いから、ね。
正規雇用でも、もうここで頑張ったから
きっと働けるようになってるから
健闘を祈ります」


 そう言われた。

 ああ、本当に最後なんだな、
と実感した。


 DEAN&DELUCAの、
美味しいチョコレートを下さった。

 

本当は、他の、
お世話になった多くの方々に
挨拶にでもいきたい
ところだったけれど
別会社の方に、
わざわざアルバイトの私が
辞めるからと言って
お時間をいただいて挨拶しに行くのも
と思い、また、コロナもあるので
わざわざ挨拶に行くのは遠慮した。

そう、こんな、しんみりと、
しっとりと、ああ最後だ、
という気持ちに浸っているのは
最後の出勤である私、だけ。


 いつも通り、
今までの勤務と同じように
仕事をして、仕事を終えて、
今までと同じように退勤しよう。

そう決めた。


仕事をしながら、

寂しいな、
もう少しここで働きたかったな、

そう思って、退勤する時に、

一言ずつ、お世話になった
企業ごとに、
みなさまへ、とメモだけを残した。


 
 書き終わって時計を見ると、

 定時がきて、あっという間に
退勤の時間になってしまった。

 いつも通り閉め作業をして、
いつもは持ち帰っていたカードキーを
ロッカーに置いて、

 出口を出た。

ドアが閉まったとき

 ガチャン、 とロックの音がして

ぁあ、もうここには戻らないんだな、


そう実感した。


 あらゆる思い出が、
頭の中を駆け巡った。


思い返して、

 大学院生のとき、
研究室を去るとき、
机のまわりを全てきれいにして、
「ありがとう」と声をかけた、

修了式の後、大学を後にするとき、
門を出て、真ん中に立って
深く礼をして、
「6年間ありがとうございました」
と言った、

それを思い出して、
エスカレーターで既に
下に降りていた私は、
職場まで戻り、


もう、
開けることのできないドアの向こうに
2年間働いた職場を見て

深々とお辞儀をした。

 ー本当にありがとうございました。ー

小声で囁いた。


 寂しさと清々しさを引きずりながら
エスカレーターに乗り

 きっと今度ここを訪れるときは、
素敵な報告をしたい、

 そう誓った。


 本当に、
ここで働くことができてよかった。

新しい場所、新しい環境が
苦手な私だが、

7月から新しい仕事がはじまる。


 この2年間で、もっと学びたいこと、
得たいものはたくさんあった。


 人見知りをして
あまり声をかけられず、
2年間もいたのにほとんど
縁をつくることができなかった。

 それが悔やまれる。けれども、

2018年、6月の私ではない。


 この2年間は、今後の人生でも、
替えがたい経験、として残る。

だから、また、今度、
ここで出会った人に
職場の方に、どこかで出会ったとき、
胸を張って笑顔で、

「あの2年間のおかげで、」
と言えるように、
新しい道へ進みたいと思う。


 そして、きっと今からでも遅くない。
ここで出会った方の数名に、

 ご挨拶できなかったので…と
つけて今更ながら、SNS等を使って
挨拶をしてみようと思う。


 最後の出勤日は、
チョコレートをいただいたこと、
カードキーを置いて帰ったこと、
一言メモを残したこと以外
すべていつも通り終わった。

これからまた新しい挑戦が始まるんだ。

 

#最後の出勤

#退職

#最高の仕事

#新しい挑戦

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