手帳は、やっぱりNOLTY-2
新しい手帳を買った。
2016年から毎年同じくNOLTYエクリB6。
2019年だけは、どうしても装丁の文字が嫌だったかでNOLTYじゃないのにしたんだけれどそれ以外これでNOLTY8年目、
手帳は昔から使っていて、手帳の形をしたようなものは小中学生から、手帳という手帳は高1からずっと使っているから、私はやっぱり紙派。
2019年に、NOLTYがどうしても気に食わないデザインで買うのを辞めたときは、月間だけあって後はメモ欄の手帳を買ったけれど、細かくメモすることができなくて携帯のアプリ、Time Treeを導入した。
けれど、携帯で一度にその日の予定量を、
月間ページのまま視覚化できないからか、
それとも紙と違って予定を幾つでも入れられるからなのか、
予定だらけにしてしまって、やることだらけにしてしまって、追われてしまって、余裕がなくなって、結局2020年からは紙に戻っている。
VCと塾を並行していたのも、夜神くんと付き合っていたのも英検をまだ勉強しよう!ってやっていたのも2019年だったから、いっぱいいっぱいだったのに、
一目で自分で予定が見えないというのは、
大変なことだし、手帳を埋めたがるわたしの特性として、幾つでも書けてしまうというのもよくなかったのかもしれない。
そんなこんなで、2019年を除き、NOLTY8年目、
手帳歴で言えばきちんと"手帳"として使い始めた高1から、手帳歴この2024手帳で16年目。
買ってすぐ、最後のページに名前と住所と電話番号、それから月間ページに家族と友人たちと推しの誕生日、12月に既に決まっている予定
それから、2019年手帳くらいから毎年メモ欄に書き残している2018年以降の英検等英語試験の結果一覧(2019年から3回受けてもう英検に3回落ちています。でも、英検1級を一緒に勉強しはじめて最初の試験でスルッと合格してその後、英語トレーナーを経て外資企業に転職した友人曰く、やっぱりわたしは、確かに「英検のために勉強」してなかったからダメなんだよね、
それで、英検を受けるために勉強して受けてこなかったから、今度は、ちゃんと勉強するまで受けないぞと決めたらあれからもう3年受けていませんし、勉強もしていません)
受けない間に、ずいぶん費用が高くなってしまった。TOEICも、勉強して受けてみないと…
そのあと、2020年のコロナ禍をきっかけに、
観たいみたいと長年言い続けていたアニメや映画などをみはじめたので2020年頃に観たいアニメ映画リストを作成して、観たものはチェックしている。これも2021年手帳から引き継いで4回目。たくさんありすぎてまだ書き途中。
塾で働いていた時に、中学受験の時の併願の仕方とかを聞かれて、年が経つともうどこの学校受けたかは中学受験なら覚えていても、何入試で、とか大学受験になると忘れちゃうかもと思って、それと、学生時代のインターンのことも一応メモで残している。
だから、NOLTYのメモ欄の最後のページは、中学入試受験日程と大学入試の受験日程とその入試方式、それから、その隣のページに2014年/2015年のインターン先と日程のメモを残している。
2016年頃から
しいたけ占いを手帳に書いておいて、
信じるというよりは、「こうなれるように」みたいな感じで文字に残しておいたこともあったけれど、そんなの書くより自分のやりたいことややるべきことは自分でわかるんじゃない?と思って2020年頃にやめた。
目標標語を書くようになったのは2009年の手帳使用開始からずっと、毎年書いていて、四字熟語から選ぶ時もあれば、何かの標語から取ったときもあるし、学部生になってからは、ドラマや映画、アニメの台詞からとっている気がする。
2022年はテニプリのリョーマ様のセリフ
にした。
28歳になって、仕事では、非正規ながらアフタースクールに献身して、中心になって動かすことが増えすぎて寝ても覚めても仕事のことばかり考える生活になって他のことが何もできなくなって、そういう生活だっだから、これにした。
2023年今年は、22年末から、ずっと観たかった念願のスラムダンクをやっとみはじめて、それで、好きな台詞が色々あったから悩んだのだけれど、
ちょうど仕事で、チームに貢献することを考えなければならないと思った時期もあり、社会にとってもわたしは何ができているのか、と考えていた時期でもあって安西先生の名台詞
にした。
この台詞は、大学でバスケの監督をしていてホワイトヘアーデビルと呼ばれていた鬼コーチ時代の安西先生が、期待の一年生であった谷沢を厳しく指導していた時のセリフ。
他にも色々良いものがあったんだけれど、
体たらくな生活を続けているわたしは、才能ある安田にすら慣れていないわけで、でも、それでも、チームのために貢献することが大切だと思っていた時期だから選んだ台詞。
とは言え3月末でチーム下ろされたんだけれど。
目標は、達成するかどうかもとても大切なのだけれど、こういうタイプの標語的なものは、決めて書いておくことで心のどこかで、もしくは忘れていても、手帳を開いた時に
「そうだそうだ、今年はこういうふうになるんだった」と思い出してそういうマインドを取り戻そうとできるから書いている。
NOLTYを使い始めた2015年12月の時点では22歳だったわたしも、ついに30歳になってしまった。
忙しいと全然何も記録しなくて、それも年々、そんなに文字を残さなくても生きていけるようになってきたんだけれど、手帳というのはその日その日をどう過ごしてきたのか、あの時どんな状況でどんな気持ちで、どんなふうに生きていたのかを、残してくれる。
筆跡を感じられる紙の手帳だとなおさら。データにすれば何十年分も保存できるというのはわかっていても、やっぱり紙がいい。あの、厚みがいい。
1年間使ったら、薄かったはずの手帳が、バサバサになったりいろんなものを挟んだりして膨らみすぎてしまったり、何回も捲るから紙が薄くなったり、ボロボロになったり、ちょっと色が変わったり、手帳のカバーも最初はキラキラして張りがある感じなのに使うごとに膨らんできたり、行ったお店のなにかとかレシートとか、どこかでもらったシールとかを入れっぱなしにしたりしていって、12月から手帳を使い始めて半月くらい経ったらもうガバガバになってしまうくらい使い込む、
そういう生きるを繰り返して、ここまできた。
今年は、28〜29歳の春から
2023年8月末に死ぬんだ、と思っていた。
このままの30歳になってしまうのなら、
生きていない方がみんなに迷惑をかけなくていいって思っていたし、
前にも言ったように、わたしの頭の中に
「30で俺は死ぬよ」という言葉があったからかもしれない。
それを今年に入ってから、とりあえず12月年末までは生きよう、にかえた。
それでもついこの間まで年末には、本当に勇気を出して命を絶った方が周りにも迷惑をかけなくて社会のお荷物にならなくていいんじゃないかと思っていた。
そう思っていたのに、
この間2024年のNOLTYを見つけて買ってしまった。
手帳を買ったから、とりあえず来年の12月まで生きようと思った。
手帳ごときでと思うかもしれないけれど
私にとって手帳は、
生きてきた証が残るもので、
そしてこれからの生きる予定ができるもので
そんな、たいした大袈裟な予定でなくても、
そういうちょっとした楽しみな予定の一顆になんとか生きている、生き続けている。
手帳を買った次の日、君に届け展を観に行った。
(なぜか何巻かないけれど)唯一全巻揃えた漫画。
わたしの青春が詰まっていた。(女子校だったから爽子ちゃんみたいな青春経験してないけどね)
展覧会には実写のポスターも貼ってあって
三浦春馬さんを見たら、泣きそうになった。
また、いつか、大きくなった爽子と風早を、
大人になった多部未華子さんと三浦春馬さんで
見られる日が来ると、思っていた。
新しい手帳には、11月末のNissyのライブビューイングの予定から付け足して、EXITのライブ、病院の通院予約がすでに予定として入っている。
2023手帳から書き足し始めたPlan Listのいつかやりたいことには、2024年にも同く
博士論文で書きたいこと
卒論の読み直し書き直し
修論の書き直し
と死ぬまでにやりたいことを書いておいた。
私は来年も、とりあえず生きることにした。
ところで、生きることにしたということは
やはり自立のために働かなければならない。仕事を探さなければならない。本当は、今の仕事をしながら転職活動をするはずがお金が足りないので別のアルバイト(アルバイトって学生かな、パートっていうのかな30歳だと)を並行する予定だったのにできないままだし、もし転職できなかったら来年度まで今のところで働こうと思っていたけれど、今の上司の下ではとても働いていられない。
まだまだ、決めなくてはならないことがたくさんある。