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新たなる予定
間の鋭い読み手の方は、僕が書いている詩が何らかの特別な形態をとっているわけでもなく、独特な散文詩であることを意識して書いているわけでもないだろう。その通り、僕は詩の定義すら調べずに、大体は格好つけて描くものだ程度の意識しか持ち合わせていなかった。しかし、それでも詩に関しては人を穏やかにする作用があるらしく、秋の終わりの銀世界の入り口にも似た、何故か不思議でもう帰っては来れぬ体系の中に存在していたのかも知れない。それは、何らかの情がくれた切符のように、二人が結ばれた淡い桟橋を渡る黄金風景を指していた。そう考えても、自然はいつものように語りかけてくれるだけなのに。
そういう訳で金木犀の香りも遠ぞき、いよいよとシチューやらグラタンが似合う季節がやってきた。もう12月も残すところ僅かで、クリスマスも終わりを告げ、新しい時代へ鳥たちの囀りが聞こえて、ただ静かな水面を眺めているかでもあったようだ。これがバブルの時であったならばと一瞬、暗い影を落としたが、土台、僕がまだ小さな頃だったので、人の貞操などを読み取れるはずも無くゆっくりと、風呂に入り、家族の中で一番ケーキを食べるタイプで見張をしていた。そうして、僕にも、クリスマス後の試練がやってきていたのであった。それは、家族が僕以外全員出かけているらしく、ホームアローンシリーズとグレムリンを見ておいてくれと白紙に書いてあった。
そうしているうちに、そのビデオを見ると、びっくりとして驚いて、顔中が真っ赤になった。ホームアローン、グレムリン、そして置かれてあったのは、ターミネーターと人として生きる分には、これ以上の傑作は人生に置いてなかった。しかし、それらのシリーズには、星付がしてあって、恐らく間違えて貼ってあったと思われた。勇敢さや、brave、愛情、勇気などのロボット愛に溢れたターミネーターにシールが剥がれていたのである。従って、ホームアローンの方が、評価は高く、帰ってきた家族はゆっくりとした表情で、お土産だよ、寂しかったろう。これが、ターミネーター2、これがホームアローン、そしてグレムリンに対応したお土産を買ってきたよと言った。見当はずれだった。勿論、ターミネータの評価は高かったので、これ以上ツッコミどころが無かった。ドリームキャッチャーで良かった。しかし、こともあろうにホームアローンのお土産は、セールス禁止の札であった。この時、感じた家族の対等なるキャッチセールスへの怒り、そして強制的に入らせることへの憤り、そしてホームアローンという孤独のお留守番と戦う私を重ねた贈り物であった。
雪は降る時間を知らない。きっと、どこかのカップルが、定規か何かの物差しで計算して、あと3分後に始まるからねとかこじれた理屈を言って、歌でも口ずさんでいるのだろう。僕は、知らない。決して知らない。ひと昔までの流行りで、成田と羽田空港を乗り間違えたジョニーデップという諺があった。詩でも何でもない。あるいは、時が僕に与えてくれた唯一のお褒めの言葉なのかも知れなかった。粉雪は、どこかのカップルが、今出せと一心同体で合図を送っている。流れるのは、乗り間違えのあった所謂「如才のあった」僕であったのだ!