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時とは

ラジオ体操の曲が鳴り止むと、空間が欲しくなる。そんな思い出に空間オーディオは必要だった。カーテンコールのような季節に、恋人たちが踊っている。それは、労働から自由に放たれることを意味していた。

君は、誰だと?
暗い舞踏会の中で、明るみ出た消えない笑顔がパノラマを焚くように、一種の憐憫の写像であった。その一瞬は、光の方に吸い込まれていき、光が気持ちよく、頭の中に入った。

ジョンレノンの曲に、オー・マイ・ラブという曲があった。僕は、ゆっくりとしたテンポで歩き出した。その中で、消えゆく光の道と共に、弱さを知った。そして消えゆく自分の形に、愛され、愛した瞬間は、偽りに近い闇が落とすギリギリの感覚であった。稲妻が走り、天からグッと咲きながら、一直線に落ちていく。あの人の面影を追憶するような景色が頭からふっと離れず、サッとした朝食からメロディが流れていた。

その頃の僕は、生きることに誠実で、長いカーブや夢景色、斑点模様が突き刺さるように音と共に暮らしていた。与えるということが、与えられることであった。桟橋をゆらゆらとはしゃぐ美人になりたくはないか?といった瞬間に、ざっと苺農園が虹のように広がって、川を流れていく小舟はひたすらにペダルを漕ぐ、何かの尊い命の方に流れた。

乙女は、琴線を引いた。
あなたは、乙女心がわからないの?
僕は、ゆっくりと頷いた。
ーーわかりません
その顔は、きっと笑顔で頷いていたのではなかろうかと少しだけ振り返った。そして、
ーー寂しさは、きっと力になります
とまるで天の声のような陽気な笑顔に、霞む瞳を翳したように思われた。
その空白は微塵にも無く、まるで乙女がそのまま言葉で歌っているようにも思えてならなかった。

あの頃の僕らは、まだ影踏みをしていた自分であったから、濁った風景を見たことがなく、その影から急に空を見下ろすと、風の滴る陽の日が彩るように、赤く染まって射した。

その頃、大切なものは、乙女心よとゆっくりと愛を潜めたヒロインがうねるような銀杏の並木道を進んでおり、時間とはこんなに滑らかに流れるものね、とっても素敵よと、恋のオブラートを解いて、ほどき切るみたいに唇を閉じた状態で、まっすぐとした眼差しで、見つめていた。

僕は、堂々とその乙女のところに出くわしたのか、楽園に近い雰囲気で指揮棒をかざして、もっと綺麗な歌が出来ると、ほろめかした。随分とその距離は遠かったように思われる。時を超えて進んでいく、荒波とも言えぬ、叙情がジグザグと伸びていた。指揮棒は、ふわりと夢を作って、真っ白い世界を潜り抜ける乙女の臨界で境界線がなくなるように消えた。

その世界が、現在に存在するような形で

do do do do do do do!

と一人歩きしていた。恋とは珍しいもので、無限の知識がガタリと崩れ去る時に、彼女に突き刺さるものなのかもしれない。そこに秘めた愛の歌を聴いたものは、誰もおらず、レコード盤だけが時を奏でて、星空を記憶していた。きっと、君もそうなれるよと諭すように、優しく勢いをましていた。
僕は、いつかそんな大人になれたらと、幕を閉じるように、語り手をやめた。

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