悲しみの中の舞踏会
遠くの方で、力強い物音が響いていた。
まるで、僕が駆け抜けたあの頃にひしめき合う舞台のように。小さな踊り子が、少しぼやけた視線の中を行き交う。そんな夢をみているような錯覚が僕の視線に相を合わす。
ボソン場を行き交う、二人はやがて過去のものになり、砕けていった。
泡白い霧雨の中を走る姿は、どこかの英雄の姿をしており、その水飛沫を起こす馬は、もの凄い勢いでかけていった。
2024年8月10日
次々と起こる命の源の中で、感じ得たことは男女の対立であった。最後の武士と呼ばれた文壇の寵児は滅び、もう皆は幸せを求めて走り出していた。フォン・ノイマンの鎖は、輝きを増して遺伝子として時空を支配した。
かもいう、僕は意外とその頃のことを回想していた。もう物語は終わったはずなのに。城の衛兵は、テラスに吹く風、王女の姿を一度観たいと願い、
そうはいったものの、雨風に打たれて滅んでいく我が身を犠牲にして、100日待ちますと言った。扉は開かない。どんなに心の念力を働かせようとも動かない。そうしているうちに、90日が過ぎた。あと、10日でテラスに咲く草木や花々を、そして王女を観れるという紙一重の幻想を抱いていた。衛兵は、黙って99日待った。100日が過ぎようとする頃、明るさを照らした城の方で、ゆっくりと王女が出てくるのを待った。ドアが開こうとする頃、不思議な予感がした。汗と涙の結晶が何だか固まったような、そんな旋律が流れ出して、畏怖の念を感じて、王女が扉を開けようとした頃、兵士は帰ってしまった。その時、彼はどんな感情を抱いていたのか、王女は帰っていく衛兵の後ろ姿を見たのだろうか。
1999年Xmas EVE
僕は、大学受験という戦争に勝った。
若きウェルテルの悩みのように、落ち込んだ時期もあった。夢を見ていたような白昼夢が襲ってきて、3年間、何をしていたのかもわからない。その代わり、不安定な自分にも数学をやる才能だけは培っていた。それは、誰も教えてくれないことから学んだ、恋のやり取りのように、危険を省みず、ただ数学の本を解いていた気がする。そういう体験をした人は同感してくれるだろうが、白昼夢の中にいるので、誰もアクセスは出来ないのではなかろうか。神楽坂に向かう途中で、使命のようなものを感じていた。当時、珍しい推薦入試であった。面会の時、左から満田、渡辺、石井…と教授の先生が並んでいた。1999年の物理学推薦入試の中だった。僕は、震え上がり生真面目に「失礼致します!」と挨拶をして、教授の方をみて、途中で体のバランスを崩した。問題は、そこでは無かった。面接の中で最後だったので、教授も疲れて、早く自分の研究がしたいと言った感じだった。質問は、石井力先生から始まる。まず、話の前にどれくらい緊張しているかを解く問題だった。
僕は軽く自己紹介をして「福岡から来ました!」と言った。すると、石井先生は、「私は、大分から来ました」と仰られた。そうしている間に、体のバランスをまた崩したのに、すかさず1問目の出題が出た。満田先生の出番であった。
「電車に乗っていて雨が降っている。その時、急ブレーキをかけた電車が止まる時、人は前と後ろのどちらに倒れるか」という事を尋ねられ、簡潔に雨の知識について聞かれた。
僕は、すぐに答えを言った。そうして、大それたことに
「田舎から来たので、自然が多く雰囲気を生で感じ取れるタイプなのです!」と述べた。つまり、ファインマン博士のような言い方をしてしまった。先生たちは、どっと笑い、食べ物には困っていないかとカップラーメンなどの話をした。推薦入学の心を知った僕は、ひと世代下の生徒たちに、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を勧めたことになった。それは、主人公のハンスが神学校に通い、仏教徒に転嫁した瞬間に労働についてわかるというものだった。
2000年4月1日
小富士の納豆屋でアルバイトした過去も終わり、桜の舞う遊歩道を僕は歩いていた。まるで、神様が与えた時の綱渡りではあったが、あの時の赤い自転車は、東京に持って行き、神楽坂をブルーの自転車で駆け抜けた。
この日、何をしたのか。怪しい芸人にあったのか、その人が信用できる人だったのかは、誰も知らない。そして、俺はこれから映画を撮るんだ。とびっきり悪い奴をなと言った後で、どこかに消えてしまった。国語の先生か何かだろう。この日のことは、しんとしていて誰も知らない。
まるで、夏の暑さを物語る時、生活が昔よりも便利になっているという事を、機械を通して知ったあなたのように。