手遅れでも
面接で聞かれた。
「どうしてあなたは養護教諭に?」
面接官から目を逸らし、右上の空中を見ながら私は、一瞬固まった。
けれど、面接のために用意した言葉を並べたてた。
語ったこと全てが嘘ではない。
ただ、私がぼんやりと生きてきて、気がついたらぼんやりと働いていたと言えば、そうなのかもしれない。
ぼんやりと生きてきて、ぼんやりと、色んな選択をしてきた自分。
もう、来年で30歳。
私はまだ結婚もしていなければ、恋愛もなかなかうまくいっていなくて、仕事に没頭しているかと言われれば、すんなり頷けない。
「色々考えたり、不安になるお年頃だよねぇ」
独身同士の友達と散々喋った後に辿り着く。そして話はループし、この言葉へと戻ってくる。
私は、何もかも中途半端だった。でもそれってきっと、ぼんやりとなんとなく生きてきたからだ。
私が過去を振り返って、1番後悔がないのは、今現在、この仕事ができていること。
ぼんやりと生きてきたのは確かだけれど、毎日を私なりに一生懸命生きてきたんだ。
そこを自分が認めなければ、今の私を誰が褒めてくれるのだろう。
目の前の子どもたちに、向き合ってきたではないか。
色々失敗もあるし、いまだに悩むこともある。
だけど、悩んでいるではないか。ちゃんと。
自分に足りないことも分かっている。
その足りないところを補えば、今の嫌な自分を大好きな自分へと塗り替えることができることも、分かっている。
やるかやらないかは自分次第なんだ。
「あなたは、教育公務員。子どもに向き合う立場。とても重要な仕事。特殊な仕事。理解してる?」
ある人に言われた言葉。
職場の人ではなく、面接官でもない、過去に高校教師として働いていた年配の方から。
私は全然自覚が足りないんだ。
でもね、でもね、でもね、
頑張ってるの。自分なりにね、たくさん頑張ってるの。
足りないところを言ってくれたのは、ありがたかった。あなたに言われなかったら、私は気が付けなかった。
だからこの出会いには感謝しています。
でもね、でもね、、、
頑張ってるんだ。
でもね、
分かってる。
でもね、って言っちゃう自分が大人気ない、未熟な、子供な、自己中な人間で、教員に相応しくないことも。
何度も言うけれど、今の仕事だけは間違っていない。この職業を選んだことは、正解だった。
何度も辞めたいと思ったけれど、多分私は続けていくのだろう。
30代目前で、壁にぶち当たっている今。ここを乗り越えるのは自分以外の何者でもない。
私自身の、問題だ。
私は私の味方。くよくよするな、私。