自己紹介④
それまでずっと無視し続けてきた身体感覚を探求していくことがとても面白くて、飢えを満たすようにパントマイムの稽古に明け暮れていた1年間。稽古がない日は舞踏のWSやコンタクトインプロビセーションというダンスのWS、それから言葉を使う芝居をやってみれば表現としてのパントマイムについての理解が深まるだろうかと思ってオーディションを受けて芝居のWS公演に出演させていただいたりもしました。
出産のためこの期間は1年ほどで終わりましたが、それでも身体が面白くてなんとか時間を作っては細々とパントマイムの稽古に通い続けていました。
転居でパントマイムの稽古に通えなくなってからは兼ねてから興味があった古武術を学んでみたくて、甲野善紀先生の稽古会に参加したり、名古屋の山口潤先生の講座に通ったりしていました。
先生方に技をかけていただくときの力の通り方や質感、それから技の動きは見えているのに身体が反応できない感じ(神経系を上手く利用しているのではないかと考えています)、それに技が通る時は頑張っている感覚がある時ではなく手答えがない時だということなど、自分と他者の関係性を含んだ身体感覚に興味を持ちはじめました。
またまた昔の稽古録。
『2013年10月19日
武術においての勝敗を決めるのは「崩し」が決まったときなのだそうです。身体の位置や状態、気持ちが崩れるとその時点で負け。どこまで崩したら決着が着くかというのは、転がせば勝ち、ふっ飛ばせば勝ち、首の骨を折れば勝ち、と文化的背景によって異なるけれど、とにかく崩せば勝ちです。
「今を生きる人の集い」というイベントで伺った中島 章夫さんという動作術研究家の方の「崩しの原理」についての説明がとても面白くて「人を押してみたときに、もたれかかるようにして押すと動かない。それは自分がもたれかかった分だけ相手ももたれかかってくるから。もたれかかることをやめて自分の中のまっすぐをキープして押せば相手は崩れやすくなる」というものでした。
やってみて、「おや?」と思いました。前日聴いていた被害者意識の話、あの話の中の「甘え」という言葉はある側面で私には受け入れがたかったのだけれど(被害者意識を持たざるを得ないような悲惨な事ってあるように思うので)「もたれかかる」という動きに置き換えて考えると非常にすんなりと受け入れられます。
相手が敵対的でない場合には「もたれあう」事でバランスが取れて持ちつ持たれつになるものが、相手に(無意識的にせよ)悪意があってこちらを崩しにかかってくるようなときって、往々にしてこちらがもたれかかってしまう(何かを相手に期待してしまう)事でダメージ拡大というか、自分の立ち居地を脅かされるというか、そういう現象が起こっているような気がします。自分の立ち位置をまずきちんとキープして、まっすぐ立ってれば意外とダメージ受けないもんなのかも?
もたれないという新しい他者との関係性の持ち方もアリだなぁと思いました。気持ちの上での話だと物凄くわかりづらいのだけれど、実際動いてみると自分のまっすぐをキープするためには相手に敵意を抱く必要などさらさらないし(むしろ抱いてるときはまっすぐはキープできない)意図的に相手を無視する必要もない。自分の立ち位置とまっすぐにだけ意識を向けていれば良い。
精神論だとどうしたらいいんだか途方にくれちゃうけれど、こうやって動きにして身体の事にしちゃうと操作法がイメージできて、イメージできれば心もついてくる。被害者意識を持ちにくくする方法について、まさか崩しから繋がるとは思わなかったけど面白かった!』