天職を見つけて
自分の天職を見つけて30年「さをり織り」をしている
これは「天職である」とはっきり言えるくらい「血」と「肉」になっている
あたしのさをり織りはこうだ
なんにも考えない「ただ無心に織る」織る・織る・織る
初めに何を作ろうかなんてまずは考えない
その時・その時の自分で織る、今此処の自分で織る
それを後から見てああそうなんだね、そうだったんだね
と思う
それを洗って干して「布」がしてほしいカタチにする
ほとんど自動筆記
的な_____
例えばこれは布を「織りではないのだけれど」
さをり織りをし続けていると
もうさをりの織物でなくても「物は作れる」それもあえて「さをり」という
織りでなければ「さをり」
織りなら「さをり織り」という感じ
布切れを見ても湧いてくると言うか___
降りてくる
という感覚に
「近い」ふと「降りてきて」・・「手」が勝手に動く・・・まるで「自動筆記」的に「動く」
編み物も「さをり」
あたしは全く編み物ができない・・・のにできた
ある日突然「編めた」
これも「さをり」さをり編み
こうして「降りてくる系」の織物をしていると
大切なことが一つある「自分をストローにすること」
天から降りてきたものを「布に」写すため
自分がこの方法で「物」創るために必要なのは
メンタルケア
日々「自分を掃除する」
言いたいことはいい
したいことはして
休みたいときには休み
人を恨んだり・憎んだり・なにかに悲しみ続けたりはしない
してもすぐ忘れて「一杯の珈琲を飲む」
疲れたら「川に行く」なんか考えては居ない「体が自然に動く」
喜びがこの織物の「糧」
あたしが天職だというのはそこ
あたしは「自分の喜びの布を織る」それで物創る
それを見た人が「喜んでくれたらいい」喜びの波動があちこちに流れて行くといいそれがまた「あたしの喜びになる」
糧になる
物作りは天職だわ
表現は喜びだわ
この「さをり織り」に出会ってあたしは幸せだ
今「コロナで」あちこちのギャラリーが閉まったり潰れたり
で「発表の場がないあたし」
どうか「企画して」とかいうてたら「してくれるところが少しでてきて」
ありがたく
感謝
物創りしてても「物作り」ではないのよ「物創り」そこんとこ大事^^
発表するとこないと・・・って
つまんないし「アゲアゲ」にならんし・・・って思ってたんだけど
いつでも「作品展」していただけたり「送っておいで」と言われる時に「はーい」って言えるように日々作っていくわ
でもね最近思う
好きだね「何も」どこにも発表の場がなくてもあたし好きだわ「さをり」
まだまだ「自分が創り出すものに飽きていない」
今度は何が降りて来るんかいなー^^って自分にワクワクする
変だけど
自分が機織りしてる時「おもろいやん」あはは~^^って笑ってる
幸せやなー^^あたし
で
今は「淡々と日々物作りしつつ・この面白いことをどんどん伝えて行きたいので、廃校で教えてる」
宮砥工藝舎でさをり織り教えてる
これがこれまた「最高に楽しい」
で此処「竹田」が好き
いつでも「今自分が住んでるところが好き」
あたしって最高に幸せなんやなー^^
子供がいて
旦那「相方」がいて
もう家族って「グループ」やな!共同生活者的な。。おんなじ教室の生徒みたいなもんや
子供も彼も同級生やわ^^
友人がいて
隣人がいて
向こうに光になった人たちがいて
今日もあたしは一本のストローになろう
きれいにそのストローを掃除しようと思う
すぐ詰まるからね