ボケる前に色々聴いておきたかったこと
あたしは
親が認知症だっかから
これが嘘か
本当かはよくわからん
のだけど
ボケてから色々聞いた
自分が知っていた母とは違ったけれど
それは妄想かもしれんけれど
此処「竹田」につれて来てから毎日が楽しかった
デイサービスが大好きで
それに行ってその日にあったことを「ひとしきり話すおかん」
なんかさあたしはさ
高木と子供をおいてさ
大阪の家に帰ってあげてたら良かったんではないかと
本気で思った
向こうは先が短くてさ
こちらは子供も大きいし高木も自分のことは自分でできるし
判断して
あげてたらと
後悔するねん
死んでもうてからもあたしは実はずっと後悔してるねん
おかんは、大きな家でお手伝いさんも居た所で育ったのだけれど
なんせ・・・おじいちゃんには秘書も女…・お妾さんも居てる
でおばあちゃん、母のお母さんは病弱
なので5人兄弟をおかんは一人で見てたみたいや
おかん入れて6人やな
お金もそんなに入れへんときもあって
たいへんやったみたいやけど
おかんは実は小学校にも行かんかった
兄弟みなあかん・・
おかんが
小さいときにはお手伝いおらんかったんかな??
あたしが小さいときには
いつも
お手伝いさんがいてはった
でさ
学校にたまに行くやん
たまやで
そこに在る花壇の真っ赤なチュリープが
何か憎たらしくて抜いた
言うてたから
相当世間や、自分やおじいちゃんやに腹が立ってやんやな
でね
だからあたしが学校のときはあたしが文字を書いてた
おかんはもしかして「かけなかったのかもな」いつも
あたしが書いてた
子供時代苦労したんやわ
お金の苦労ではなく
兄弟を面倒見てて自分はお母さん代わりしてたんよね
とにかく学校にいけてないのに
おかんは随分年をとって「50歳くらいやないかな??」
見事何かヘルパーの資格取ってさ
あの人は頭がいいのと「負けず嫌い」な人
そこはア・タ・シにてないな
あたしは「負けてなんぼの人」
相当勉強したんやであの人
再婚相手のお父ちゃんが癌になり「闘病生活」医者代金やわ
すごい人やわ
最後は
仕事柄が認められて
院長先生のお宅専用ヘルパーやった抜擢やな
信用されとったし
仕事できたから
院長先生の
お父さんの面倒見てたわ
おかんの兄弟だけれど
あたしが小学校高学年のときは
おじいさんがとうとう
お妾さんのところに住むことになって
大きなお家を手放して
なんと中学と高校のおばちゃんが
いきなり
我が家に来た!!
3年住んでた
思い出すわ
狭い我が家にあたし弟おかんおとんそれに二人追加
これがミックスジュウスやな
再婚相手もおとんはほんまにいい人でおとん事態も7人兄弟の長男で
ぜんぜん人が増えても平気な人やった
みんなの面倒見てた
おばさん二人は未だにおかんおとんに世話になって社会に出してもらったことを感謝してた
おとんが亡くなり
おかんが一人暮らしするようになり
おかんが弟が亡くなって
ボケてしもて
こちらに来てから
何回か「弟」自分の弟の話するんよな
元気かな
いううんよな
実は
死んでもた
でもこれはおばさんたちとはなしたんよ
言わんでおこう
おかんは実の息子が亡くなって
ボケたから
自分の弟まで亡くなったとわかったら可愛そすぎやと
おかんが亡くなり
その後「石にお参りして」
おかんの石にも「告白」しといた
向こうで「あら」とかなんとかいうてるかもな
嘘ついてごめんな
おかん
今日も聴いてくれてありがとう
こういう親に育てられました
ぱたんこ屋
おかんの子供で
良かったわ
おかん
ありがとう
「おかんあたしのことスキ??」
向こうに行ったら聞こうっと