1992年「いのちの祭り」
思い出させてくれた「サリー」さんありがとう
もう随分前
まだ子供が産まれていない頃
三重町の「ようこりん」と龍太郎さん
私と高木でいのちの祭りに行く
私たちは初めて
彼たちは知り合いたくさん
もう最高だった
たわけ屋という焼酎や
やって陽子りんは「糠漬け」私はなんかプラプラしてた
最後に台風が来て全ては崩壊「祝福」片付けなくてもよかったからね
焚き火焚き火
その後は
阿蘇で2回
天草で1回
行く阿蘇は
お店を出したな「コミニュケーション」が好きな私は
お洋服を販売してた
楽しかったなー^^
そうこうしてるうちに
ゴールゼンウイーク「工房展」なので私はオープン
竹田で仕事
子供と
高木は
松井ろくろう君の「虹の岬」祭りに行く
子供は
多分
中学生くらいで
マッコリで
浜でぶっ倒れてた
そうですわ
あはは
これは知人のうわさー^^
あり得る高木は
コミニュケーションが苦手なので
子どもを放置
子供は
自由
祭りで友人ができてたからね^^
それにしてもあの
1992年のいのちの祭り
に
龍太郎さん
ようこりん
との出会いは最高やったな
今日
いのちの祭り
に初めて行った日を
思い出していた
1992年
http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae98-Pon.html