#21 最後の不妊治療記録。1年前のこと。そしてこれから。
先月、着床の確認がとれてから1か月以上が経ちました。
この間、約2週間おきに病院で胎嚢確認や心拍確認がありました。
病院へ行くたびに今日成長がとまっていたらどうしよう…という不安な気持ちは絶えませんでしたが、なんとか順調に育ってくれており、先日無事、不妊治療の病院を卒業することができました。
奇しくもその日はちょうど1年前、体外受精に進むのかどうか、そして将来への不安から、結婚してはじめての結婚記念日に訪れていた旅先で、夫と大ゲンカをした日と同じ日でした。
同じ時期に結婚した友達は、もう妊娠している子がほとんどでした。
1年前、結婚したときは、自分たちにも来年の今ごろにはもう子どもができているのだとばかり思っていました。それなのに。結婚記念日ってこんな悲しいものだっけ。
どうして自分たちはせっかくの記念日に、こんなことで喧嘩しなければいけないのか。
未来への希望が急に断たれたような深い悲しみと絶望感。
あの時の気持ちは、一生忘れられないだろうと思います。
夫と喧嘩し、お互い無言で自宅へと帰る新幹線の中で、1年後はいったいどうなっているんだろうと思いました。出口の見えない長いトンネルに迷い込んでしまったような気がしました。
不妊治療は基本的にタイミング法→人工授精→体外受精へと、ある程度時間をかけながらステップアップしていくことが多いように思います。
でも、たまたま受けた検査でいきなり体外受精(顕微授精)をしなければ授かれない、と告げられたとき、当時の私にはそれを受け入れるだけの心の余裕がなく、体外受精に進む決心がすぐにはつきませんでした。
一方、同じ状況でも夫は体外受精という治療に対する抵抗感がそこまで無く(女性でその部分には抵抗のない方もいるので、これは本当に個人の価値観によると思います)、そういう意味で治療に対する気持ちの温度差を感じることもあり、しばらく葛藤が続きました。
何度も夫婦で将来について話合い、病院の先生や助産師さん(私の住む県では助産師さんに無料で不妊相談できる制度がありました)、気持ちが落ち込んだ時には不妊専門の臨床心理士の方にも相談し、少しずつ体外受精について理解を深めていき、2か月近くかかってようやく私は治療に進むという決断をすることができました。
私にとって、体外受精に進むのはたくさんの勇気が必要でした。
でも、あの時きちんと夫に自分の不安な気持ちを打ち明けて、夫も正直に自分の気持ちを伝えてくれて、大変だったけどたくさん衝突もして本音でとことん向き合った結果、最終的に納得した上で体外受精に挑む、という決断をして本当に良かったと思います。
その間、無理に望まない治療に進ませようとするのではなく、私の思いを毎晩のように聞き、体外受精に進まない選択をするのなら、それでもいいと、あくまで私の気持ちを尊重しつづけてくれた夫には、本当に感謝しています。
この1年間、夫の手術から始まり、治療の前段階での数々の検査、毎日の自己注射、採卵からの腹膜炎(激痛)での入院、チョコレート嚢胞の手術、そして移植。
仕事面でも新しい仕事への転職など、目まぐるしいほど色んなことがありました。
これからも、無事出産するまでたくさんのことがあると思います。
でも、移植した日にお腹に戻ってきてくれたたまごは、今では小さな小さな人の形になり、確実に少しずつ成長してくれている。
採卵してたまごが採れるのも、受精するのも、受精して胚盤胞まで成長するのも、お腹に戻したたまごが着床するのも、着床して成長するのも、無事元気に生まれるのも、その全てが奇跡の連続です。
その奇跡と生きていくたくましい力を信じて、元気な子を産もうと思います。
今回の投稿を機に、この不妊治療日記は終わりにする予定です。
これまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
不妊治療中、周りにはなかなか治療している友達がいなかったこともあり、いつも色んな方のブログを読むことが私の心の支えになっていました。
つたない文章ですが、この日記が今不妊で悩んでいる方、体外受精に進むかどうかで悩んでいる方、不妊治療中の方、少しでも多くの方の励みになればと思います。