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トネリコの鍵──野のものを食べるということ

8年前に初めてヨークシャーで暮らし始めた。イギリス暮らしはそこそこ長かったけれどそのほとんどを南部で過ごした私は、ヨークシャーの景色に呆気にとられた。


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とにかくだだっぴろい。

いや、だだっぴろいだけだったら昔住んでたサセックスのダウンズも相当なものだったし、南部にだってどこまでも広々とした野原はいくらでもある。オックスフォードのポート・メドウだって、ふらっと歩くのには最適なだだっぴろさだし、ケンブリッジの街中からグランチェスターの果樹園ティールームまでの道のりだって相当長閑なものだ。

でも、ヨークシャーの田舎のそれだけではない。何ていえばいいのだろう、だだっ広い上に、荒涼としている。

イギリス、と聞いて多くの日本人が思い浮かべる風景は古い村の石畳であったり、ロンドンやオックスフォードに並ぶ古い建物であったり、石造りの教会だったり、豪華絢爛な宮殿やマナーハウスであったり──とにかくこれではない。

ここに「ぽん」と子供2人と一緒に送り込まれて、私は、困惑した。ちょっと──というか、かなり困惑した。

基本的に大人になってからの時間のほとんどをこの国で生きてきた。

けれど、私はこの国の自然については驚くほど知らなかったのだ。


知らないと危険

たとえば、道路脇のこんな草むら。

ネトル


今だったら真っ先にネトル(刺草)がないかどうかを確認する。子供が刺されたら痛がって散歩どころではなくなるからだ。一見紫蘇の葉のように見えるけれどかなり凶悪な草だ。

のどかな田舎道にだって車は通るから「はーい避けますよ」となる前に、ネトルのない場所のめぼしをつけておく。子供の安全を守るための基礎の基礎だ。

イギリスの母親だったら誰もが知っている、そういうことを、私は知らなかった。

ネトルは「スティンギングネトル」とも呼ばれ、「刺す」と言うけれど、実際にはアレルギー反応を起こさせる草だ。

上の子がまだ小さい時に、追いかけっこをしてネトルの茂みに倒れ込んでしまったことがあった。目に見えるところは全て水筒の水でゆすいだけれど、よほど痛かったのだろう。ベソをかいていた。

家に帰って服を脱がせたら、ジャージのズボンの中まで赤く腫れていた。普段辛抱強い上の子が、涙を流したわけだ。私の対処は全然足りていなかったのだ。

こんな田舎に、知らない植物に囲まれて暮らしている以上、野のものを知らなくてはならない、と決心したのはその頃だったと思う。そして「食べられるものと毒のあるものから覚えていこう」と考えたのは、必然だ。日本の草花だってみてすぐわかるものはごくごく限られているのに、何かの縛りを設けなくてはどこから手をつけて良いのかわからないではないか。

ちなみに、こんなに痛い目に合わせてくれたネトルは、お茶にもなるし、スープにもなる。春の新芽は天ぷらにも良いと言われる。食べられる野草の代表格だ。


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2012年。始めてヨークシャーに住み始めた頃、私はここで「すごい風景だなあ」とただただ息をのんだ。のどかに草を食む羊がかわいらしく、目を細めた。

今の私は足元の穴をみて、ノウサギがここにたくさん住んでいることにすぐに気づく。ヘザー(ヒース)に紛れてビルベリーの芽がで始めていることに気づき、すでに実がなり始めている他所のムーアとの違いにびっくりする。一ヶ月後にきたらそろそろ収穫できるかもしれない。何が引き金かはわからないけれど、この茂みのあちらこちらに野鳥が巣を作っていることがわかる。

世界の情報量は、知識量と比例する。

自然のことを知っている人にとっては、私がこの場所から受け止めているのは、とても少量の情報だろう。けれど、のんびりのんびり、知識量が増えてきていることは嬉しい。

野のものを食べることは、危険と隣り合わせだ。だから調べる。確認する。写真を撮る。そして少しずつ、少しずつ、食べられるものが増えてくる。

「トネリコの鍵」は、そんな「ヨークシャーの野原を食べる」エッセイの集まりだ。お付き合いいただけたら、とても嬉しい。



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