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ロックダウンのヨークシャーから

イギリス全土が封鎖されてちょうど一週間がたちました。この二週間ぐらいで、あまりにもめまぐるしく状況が変わり、今まで何かを書けるような状態ではありませんでした。

でも、ふと、こういう状態でどのように心身状態が変化するのかは書き留めておいた方が良い、と思い立ったので書いておきます。


恵まれた環境でもつらいこと。

イギリスのロックダウンはフランスやイタリアのものよりもずっとゆるい形で始まりました。必需品の買い出しは許されていますし、許可証がなくても、毎日一回の戸外での運動(散歩やジョギング、サイクリングなど)は許可されています。

幸い私の家は森まで歩いて数分。広々とした自然に囲まれた中ののどかな小さな街です。田舎の常で居住空間も東京とは段違いです。

こういうことで幸運だとか不運だとかいうのは不謹慎ですが、ロックダウンを経験しなければならないのであれば、おそらく恵まれている方に入るでしょう。それでも、ロックダウンは辛いです。準備が足りなかったらもっと辛かったと思います。とにかく自分の体と心に何がおきたのか、だけでも書き留めておこうと思ったのはそのためです。

自分の調子がおかしいと気づいたのは、先週の金曜日。3月27日のことでした。3月の中旬ごろからイギリスもどんどん外出自粛要請が出ていたりしたことを考えると、比較的遅いのではないかと思います。それまで、不安に感じるというよりは懸念材料を確認している、という感覚でしたし、ストレスを感じているという自覚もありませんでした。

その日、私は初めてお茶会をオンラインで開いたのです。

普段だったら週一回会っている友人たちにメッセージを送り、みんなでお茶やコーヒーを手にしてネットに接続。

「おーひさしぶりー」

と笑った途端に、突然泣きそうになったのでした。


普段の仕事はほとんど家でするものですし、どちらかといえば、外に出て行くよりは一人で本を読んでいる方が好きな人間なので、外出禁止令がここまできついとは思っていなかった。いや、きついと気づいてさえいなかったことに気づいたのはこのときです。


ストレスの兆候

考えてみれば兆候はあったのでした。

日本で2月頭にコロナウィルスが騒ぎになった頃、仕事に集中できないな、と思うことが増えました。実際にはコンピュータを立ち上げるとまるで強制されているかのようにゲームを立ち上げたくなる、という症状でそれは現れました。相当古いゲームで、なぜ、その頃やたらそれがやりたかったのか自分でもわかりませんし、なぜか今は全くそんなことはないので、あれはやはり何かのバランスを取ろうとする心の動きだったのでしょう。

息苦しいような感覚が増え、どこかで変な風邪を拾ったかしら、と心配したりもしました。そのうち食欲が減り、紅茶や缶詰を数多く買うようになりました。

イギリスで、コロナ関係の買い占めやパニック購入が起きるよりずっと前のことです。たしかにブレグジットで流通が混乱する可能性があるから買っておいた方がいいかもしれないな、と思ってはいたのです。その頃、夫に笑われながらトイレットペーパーや、風邪薬、少し余分に買っておいたのが、役に立つことになるとはその時点では考えてはいませんでした。その時点では私はただただ日本のことが心配でした。家族も友人もいる場所ですし、酷いことはおきないでほしい、と。

同時に、その頃はコロナは極東の病気と認識されていたこともあり、イギリス社会で生活していく私はどこか緊張していたようにも思います。見た目ですぐにそれとわかるマイノリティは、常にどこかに「お前たちは」と指をさされる不安を感じているものですが、今回の疫病はそれの最たるものでした。人種や世代、階級と言った人々を隔てる枠組みを否が応でも目にせざるを得ませんでした。

実際のウィルスの情報も、不確実なことが多く、なかなか全貌がつかめません。だいたいある程度の年齢になった人間は常に体の不調をどこかに抱えているものです。ちょっとした不調のたびに「これはもしかして……?」と頭の片隅で考えることが増えました。


そうこうしているうちに、記憶力がとてつもなく低下していることに気づきました。料理をしている最中に水を何ccボウルに入れたのかわからなくなって困惑したり、メールを書いている最中に来た宅配便に応対しているうちに一体何をその前していたのかわからなくなったり。

誰にでもあるはずです。仕事が忙しすぎて、洗濯機を回したことを忘れるようなことは。あるいは、卵を割って、なぜか中身を三角コーナーに入れ、殻をボウルに入れてしまうようなことは。

ただ、それが、ものすごい頻度で起きる。さほど仕事が忙しいわけでもないのに。むしろ、コロナが流行り始めてから本業の仕事は減ってきているのに。

もちろん、読みたい本も読まなくてはならない本も、締め切りがあるわけでもない書きたいものもたくさんある。けれどなかなかそれが手に付かない。

この歳になると自分の脳みその弱点もわかってきているはずなのですが、なにせ、年齢的にも変化のある時期ですし、それが年齢によるものなのか他の要因によるものなのか、わからないな、とそういう意味で、不安にもなりました。


なぜかわからないけれどやたら疲れて夜9時ぐらいに眠たくなることも増えました。仕事が終わっても気持ちの切り替えが難しく、アルコール消費量が増え、これは今でも少し困っています。

先週の金曜日、初めて自分が相当のストレスを受けていることに気づいたとき、突然、「あ、そうか」と色々なことが腑に落ちたのでした。2月あたりからのワーキングメモリの低下はストレス反応だと考えた方がいい。昔から仕事がとても忙しい時におきていた「日常生活への意識がすっぽり飛ぶ感じ」を、今、ほとんど仕事がなくなって、「日常生活」しかないのに経験しているのだ、と。

夜中の3時ごろに目が醒めることが増えたり、食欲が全く出なかったり、胃腸の不調がでたり、といった変化が出るくらいには、私はどうやらストレスを受けているらしい。


そう認識した途端、不思議なことですが、色々なことが楽になりました。文章は全く書ける気がしなかったのですが、とりあえず、今はこれを書けています。普通の生活をしている振りはしなくてもよいのだ。私たちはかなり異常な環境下にいて、私たちが不安に思ったりストレスを感じるのは別におかしなことではないのだ。

ロックダウンがなされたことで、外で感染する可能性が低くなったことも無関係ではないでしょう。単純な引きこもりとは違うのです。日常生活をしている間に私が、夫が、子供が、感染してしまうのではないか、あるいはすでに感染していて誰かを危険に晒しているのではないか、という通奏低音のような恐怖は、ロックダウン後1週間たった今、かなり軽減されてきました。


ロックダウンのあと

ロックダウン直後は流通が混乱しましたが、今現在、様々な物流は回復してきています。あれだけ手に入りにくかったハンドソープも、ハンドジェルも棚に並び始めています。

そんな中で、「あー、買っておけばよかった!」と思うものが、ロックダウン以前に用意していたものとは非常に違ったのは面白いことでした。

例えば我が家で今、ものすごい勢いで減っているのは入浴剤です。気分転換にできることが限られているので、お風呂の色や匂いが変わるということがちょっとしたイベントになっています。なくなったらきっと引き出しの隅にあるアロマオイルが活躍するんだろうなとぼんやり思っています。日本からのお土産で小さな袋のものをいくつかいただいたのですが、子供がびーびー泣いている時、気分を上げるためにありがたく開けさせていただきました。

ハンドクリームは驚くほどのスピードで消えました。みんながいつもよりかなりの頻度で手を洗っているので、当然のことながらカサカサします。普段それほど使うことはなかったのですが、今は大活躍です。

なぜか肌荒れがすごく、基礎化粧品を変えた方がいいのかしら、と思わないでもないですが、現在化粧品を買いにドラッグストアに行く覚悟は私にはありません。目薬も必要になりました。家族みんながスクリーンを見ている上に、イギリスも花粉症の季節にさしかかってきています。

日本から買ってきて大切に取っておいた「もんじゃ焼きのもと」は速攻で消えました。たこ焼き器をIH用にアップデートしておかなかったことが悔やまれます。食事はあえて粗食とお祭りご飯のメリハリをつけています。お祭りご飯は、週に3日ほど。外食もできなければ、テイクアウトをするわけでもないので、その3回の食事はやはりかなり大切です。特に外に出られず、友達と遊べず寂しい思いをしている子供達には。

簡単に想像がつくと思いますが、タブレット、PC、ゲーム機はフル活動しています。物書き同士の結婚なので、やたら年代物のスペックの低いコンピュータがたくさんあることだけはありがたかったと思います。高度なことはできませんが、友人との話し合いや子供の授業、買い物、ありとあらゆることがオンラインで行われます。その程度だったら十分まかなえます。早い時点で夫が自宅勤務のためにネット環境を整えたこと、年末のプリンタインクやプリント用紙の新規補充の後に外出自粛要請が出たことも幸いしました。

縄跳びとフラフープは大活躍しています。日本の家ではどちらもひょっとしたら場所を取りすぎるのかもしれません。

裏庭に出る理由はいくらでも欲しいのでプランターとコンポストをもっと買っておかなかったことが悔やまれます。

耳栓、ノイズキャンセルのヘッドフォンは用意しておけばよかった、と思います。配達をお願いすることもできないわけではありませんが、今逼迫している物流に何を頼むかは自分なりに考えたいところです。


ロックダウンが宣言されると

外出禁止が宣言されると、とたんに食品の宅配がパンクしました。今までは普通に買い物をしていた人たちが一気に宅配にシフトしようとしたのです。それはパンクして当然です。

従来の馴染みの供給源がパンクするのであれば、他の供給源を探すしかありません。店は開いていますが、できるだけ人ごみに出たくはありません。現在最も危険な行動は買い物と通院です。ロックダウンが宣言される数日前、なんとなく嫌な予感がして、近所の農場に牛乳と卵を配達してくれるよう、お願いしました。私が契約した数日後には、英国は封鎖され、農場はすでにそれ以上の顧客を受け入れられなくなりました。新規の顧客は断られたと聞いています。危険群に入る姑は、優先的に買い物ができるよう設定され、比較的簡単にオンラインでの買い物ができる代わりに、1日一回の散歩も禁止されています。

幸いうちの街は小さい街ながら組織力があり、多くのレストランがすぐに宅配に切り替えました。我が家は色々考えた上で利用していませんが、容器外部にさえ気をつけておけば、特に熱い料理のテイクアウトは危険性は低いとされています。ハイストリートの店が閉まると、宅配をする店のリストが1週間たたずに作られました。本屋や、雑貨屋、肉屋やパン屋が、配達を始めてくれました。花屋は花ではなく果物と野菜の配達を始めました。今まではレストランに食材を下ろしていた企業が、一般家庭への配達を始めてくれ、その情報がフェイスブックを中心に拡散しました。

子供達が虹の絵を描いて窓に貼るという運動が広がりました。医療従事者に全員で拍手をするというイベントが起きました。オンラインでの合唱団がいくつか立ち上がっています。

不安だからです。そして、退屈で、その上、信じられないくらい寂しいからです。

家に閉じこもることを求められている私たちが不安だと言っても始まらない。もっと大変なのは直接病気と戦っている人たち──患者さんと医療従事者、そして医療従事者を支える人たちなのだから、私たちは元気に淡々と日々を過ごして行かなくてはならない。

そう感じていたのが最初の1週間だとすると、2週間目の今はちょうど自分がどれほど不安で疲れていて、どれほどストレスを感じていたのかをようやく周囲の人たちが認識し始め、口にし始めたところです。こういう待つだけの境遇の中では何かやっておいた方が精神衛生上いいことを私たちは知っています。第一次大戦の戦争神経症は、そういえば、塹壕の中で待つだけの兵士の間で有意に多かったのではなかったでしたっけ。


昨日、子供の薬を取りに外出しました。

全ての店が閉まり、人がほとんどいない、空っぽの街を見たときに、突然体がぞわっとしました。こんな状態の街を見たことがありません。小さな街ですけれど、この時間帯だったら普通なら賑わっているのです。日常生活が仮死状態にあるような、不思議で、恐ろしい光景でした。

恐ろしいことが起きたとき、私たちの本能的な反応は友人のそばにいくこと、肩を抱き合うこと、一緒に笑ったり泣いたりすることです。なのに、それができないのです。そして、医療従事者でない、物流関係者でもない多くの私たちのような人間が、少しでも健康で家の中にこもっていないと、ロックダウンは成功しません。

どうやら、今週は私も友人たちも「自分はどうやらダメージをうけているらしい」というところから始めた方がいいのかもしれない、と今私は思っています。異常事態が起こっていて、不安になったり泣きたくなったりするのは仕方のない、自然なことなのだ、というところから。


ちょうど、今日は友人たちから「なんだかとても気分が落ち込んでいる」というSOSのテキストがはいり、数回のZoomのお茶会を開いたところです。何かをすぐにできるわけでもないけれど、うんうん、とお互いに話を聞いて、なんとか日常を先に進めていきます。ネット上の如何しようも無いくだらない冗談をシェアしながら、よたよたと、私たちは今お互いをサポートしています。少しでも早く、この異常事態が収束することを祈りつつ。



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