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あつかしから壽までのミュ三条太刀の変遷

プライベッターに載せていたものの再掲です。

*すべて個人の感想です!!!
*あつ巴里時の役者さんの病気についても触れています!
*壽のネタバレがあります!

壽の三条太刀を見て、ああ、この2振り、つはものの頃からまたさらに関係性が変化しているな~としみじみと感じたので、自分用にこれまでの変遷をまとめてみました。

*前提として、私はミュ本丸の三条太刀に関してだけは、顕現するまで本当に一つの剣に宿る表と裏の銘として在ったのかもしれない(=顕現時に二振りに分かたれた)と思っている節があります!


◎阿津賀志山異聞

 加州と石切丸のケンカの時の、抜け道のやり取りに表れるように、この時点ではツーカーのように見えている三日月と小狐丸。
 けれど、「うたかたの子守唄」で小狐丸は夜の闇を「か黒き闇」と捉えているんですよね。
 それに対して、この後の三百年の子守唄で、ある意味で三日月と少し似た、自分が全てを背負ってしまえばいいという思考を抱く石切丸は「目映き闇」「久遠の疼き(を癒やしているのだろうか)」と捉えている。

 この曲、途中で三日月の舞がはさまれることから、さまざまな意は含まれども、この時点での三日月宗近という存在のそれぞれの見え方も示しているんじゃないかな??と個人的に思っていて、ここでの「闇」の問答が、やがて、つはものの髭切の「月の見えないところは、本当に闇なのかな?」につながるんじゃないかなと。

 この時点で、三日月宗近は刀剣男士であれる時間が有限であることを知り、自分のやりたいこと(返歌名残月の「消えゆく定め知ればこそ~(花=人の命は儚いが、だからこそせめてもの光を灯したい)」)が定まっている。
 対して小狐丸は、冒頭の大前提を仮として言うのならば、もしかすると三日月宗近と小狐丸という刀は、異なる存在であるということすら認識していなかったかもしれません。

◎つはものどもがゆめのあと

 冒頭、小狐丸の歌う「小鍛冶」は一人舞。相槌は打たれない。
 御剣を打つための相槌は息と心がぴったりと揃っていなければならなくて、これはこの時点での三条太刀が少しズレはじめているとも、舞は嘘をつかないとする三日月が、小狐丸を自分のしていることに巻き込まないよう・知られないようにと、供をしないからだとも捉えられる。
 実際、小狐丸は偶然あの場に居合わせなかったら、三日月を疑うことすらあの時点ではしていなかったと思うので、三日月のそれは、ずっと続けられるかどうかは別として功を奏していたわけです。

 実際、この時の小狐丸の心情の混乱ってすさまじかったと思うんですよ。
 言葉を交わさなくたって理解し合える、通じ合っていると思っていた片割れが、自分の知らないところで自分の知らないことをして、あまつさえ主に疑われている(かもしれない)。
 これも前提に即した場合なんですけど、だから、小狐丸は組み分けで三日月と離れることに猛反発するし、片割れとして、彼が間違っているのなら自分が斬らなければならないと覚悟を決める。

 三日月の行動を知らなかった小狐丸って、良くも悪くも満たされて十全な存在だったのだと思うんですよ。
 謡曲のなかの存在で(同名の刀はあるとはいえ)非実在・実存であっても、源氏主従ほど歴史上の人物に関わりがあるわけでもない。尽くすべき主がいて、果たすべき役割があって、理解し合える片割れもいる。
 逸話や伝説や来歴ゆえに苦しむ刀たちが多いなかで、本当に一振りだけ神さまみたく浮いているところのあるような刀だった。
 その小狐丸が、自分の意志で半身のような三日月宗近を斬る覚悟を決めた。本当の意味で、「ただの物ではない。おのれの意志で戦う」存在としての刀剣男士になったのが、つはものの物語でもあるのではないかと思っています。

 そうして、髭切の解き明かしを経て、小狐丸は最終的に「あなたのやり方は正しいとは思わない。ですが、間違っているとも、思わないことにします」と答えを出す。
 この小狐丸の答えは、個人的に三日月の望むものだったんじゃないかなと思っています。
 mirageで「何を目指せば未来は変わるのか」分からないと歌うように、あるいは鶴丸が「これが正しいかなんて分からないけど」と歌うように、誰もが、三日月だって分からないことばかりのなかで足掻いている。(三日月の試行錯誤は、頼朝を操ったつはものより信康を動かした葵咲のほうがスムーズな辺りにも表れているなと思っているのですが。)
 自分の行動が正しいとも、自分の全てを受け入れてほしいとも思っていなくて。だから、小狐丸の答えはきっと三日月の心に響いたと思っています。

 そして、冒頭の前提を踏まえると、ここで初めて小狐丸は「私は私のやり方、あなたはあなたのやり方」と、2振りが違う個であることを認識しはじめたのかもしれない。
 これ、同じ部隊に源氏がいることでより際立っていて。2つの個として互いを認識することは源氏兄弟の方が上手なんですよ。
 だから互いの思考が異なっても衝突しない。髭切は膝丸の言葉をバッサリ斬るし、乱舞祭2018では兄者の意志を聞かず自分でさっさと東軍につくことを決める膝丸の、さっぱりしたところがある。
 三条太刀は兄弟ではない、裏表の銘だったから。2つで1つじゃなくて1つに宿った2つだったからこそ、あんなに複雑に絡み合ってしまったのだろうなと思います。

 (ところで私はニコイチ者なのですが、BE IN SIGHTはあまりにニコイチの曲として天才だし、つはものの三者三様のニコイチすべて「君だけに還ろう どんな旅も」が解なんだと思って泣いた。)

◎阿津賀志山異聞巴里
 (*役者さんの病気のことも含めてミュの三条太刀の経緯として含めています。ご注意ください。)

 当初のあつ巴里の物語がどうであったにしろ、結果的にミュ本丸においてはあのあつ巴里が軌跡として刻み込まれた。奇しくも、つはもの後の最初の出陣で、ミュの三日月宗近は初めてそばに小狐丸がいない時間を味わったわけです。
 つはもの時の打ち合いでも、三日月は本気で小狐丸を壊すつもりはなかったと私は思っているので、(小狐丸は三日月のために本気で斬ろうとしていた)、小狐丸が損なわれるなんて思いもよらなかったんじゃないかなって。

 代打の狐の方がとても、ものすごく、本当に素晴らしかったことは勿論として、でもあれはあの三日月宗近の裏の銘のあの小狐丸ではどうしてもなかった。
 つはものと反転して、宗近の声に応える狐の相槌はなく、初めての三条太刀のデュエット曲だったはずの「Timeline」も、黄色い光があるばかりで、そこに小狐丸はいない。
 あつぱりのTimeline、歌詞の状況にあまりにも重なりすぎ具合もそうなのだけど、初めて小狐丸を失う経験をしてしまった三日月の、その心細さのようなものが滲み出る表情や声が目に焼きついて印象に残っていて。このことは、三日月側にもまた変化をもたらしたのかもしれないなと。

◎乱舞祭2018

 小狐丸復帰の乱舞祭。もう二振りで歌った「Timeline」が三条太刀の全て、というのは言わずもがな。同時に、個人的にこの乱舞祭がつはもの後の三条太刀の関係性の大きな転換点だったと思っています。

 この乱舞祭2018で、巴形が勝敗を決められなかった時、小狐丸と三日月は「待ちましょう。ね?」「そうだな」と会話した。私はこれを、三条太刀が初めて対話を試みた瞬間だったのかもしれないなと思っています。
 たぶん、今までだったら視線を交わして頷きあうだけに止まっていた、あるいは「三日月宗近殿」と呼びかけるに終わっていた場面じゃないかと思うんですよね。でも、そのささやかなやり取りを小狐丸は言葉にした。

 あつかしでは無言の三日月の意思を汲み、つはものでは表裏のはずのその三日月が語らないゆえに悩んだ小狐丸が、それなら自分から言葉にしていけばいいと結論づけた瞬間だったのかもしれないと。

 乱舞祭2018のTimelineは博物館のケースの中にいる三日月宗近と、その外にいる小狐丸を想起させる演出になっていて、同じ場所にいるのに二振りはなかなか目が合わない、すれ違う。ああ。個と個になったんだなあと私は受け取っていました。

◎あつ巴里シングル発売「Timeline」の2番歌詞判明

 あれ当時2番聞いた審神者みんな三日月宗近……って気持ちになったと思うんですけど、あんな、つはもののことを歌っているようにしか聞こえない歌詞で三日月宗近、「気付かれたくない気付いてみてほしい」って歌うんですよね……。

 つはものの三日月、小狐丸に対して茶化してみたり「曇りがない」と言ってみたり「羨ましい」と言ってみたり、普段の泰然が嘘のように言動がブレていて、ああ三日月にとっても小狐丸を切り離すことはものすごく苦しいことなのだなと思っていたのですが、そこに来てこの歌詞だったので、はい。

 余談ですが、私は源氏と三条太刀について、螺旋と直線のようだと感じているのですが、初演双騎のクロニクルと年表を意味するTimelineが個人的にまさしくそのイメージぴったりなタイトルだなと思っています。
 表裏一体と二振一具。似ているようで決定的に異なる2つの魂のかたち。

◎乱舞狂乱歌合
(これに関して、特にオムニバス形式のところは監修があるとはいえ、各作家さん方のミュ男士を使った作品で、どこまで伊藤栄之進さんが情報を開示したか分からないので、基本はミュ本丸の関係性を考える上で入れないのですが、「小狐幻影抄」に関しては伊藤さんの助手の白川ユキさん作であることを踏まえて入れました。)

 三日月宗近がいないところで、葵咲本紀で三日月と相反する思考をもつと判明した明石国行に「信じるもよし。信じないもよし。全ては自分次第です」と告げる小狐丸は、つはものラストで出した答えの延長線上にいる。
 かつて信じられなかった自分がいるからこそ、明石にあの言葉を投げかけられる。明らかに心が成長していて、自分の意志で三日月とのこと、周りのことを考えつづけた上での、現時点の答えなのだろうなと。
 「私はそれをもう一つの己であると信じ、受け入れた」は、きっと同時に、三日月宗近という表の銘にもかかっている。
 三日月の行動を正誤ではかっていた小狐丸が、この時点で正誤は問わずおのれが信じるか否かを軸として思考しているの、本当に小狐丸の成長がめざましいんですよ歌合。

 小狐丸、歌合の最後のところとかを見ても、明石のことかなり気遣っている。心をかけているように見られるんですよね。もはや小狐丸は神さまではなくて、油揚げをたくさん食べたいなんて欲も抱くし、悩みも惑いも苦しみもある。刀剣男士として、刀剣男士の心を汲めるようになってきているんじゃないかな。
 だから、もしもいつか三日月と明石が正面切って対立することになったとしても、選択の自由を説いた小狐丸が明石を責めたりすることはまずないと思っています。そもそもミュはさまざまな「優しさ」の物語なので。

◎壽 乱舞音曲祭

 もう、明らかに、あつかしの時ともつはものの時とも違う三条太刀なんですよ…ただ対だからではなく、言葉を交わし、相手を知ろうとして、その上で成り立つ関係性が構築されている……。

 あつかしで「か黒き闇」と歌った小狐丸が「名残月」を歌い、三日月宗近はそれに「返歌」する。
 蓮の花をたずさえる三日月を見て、小狐丸は「いつの時代も美しいですね」と思いを汲むように言葉をかけ、三日月もそれに応える。
 二振りの心と息がそろい、ここにきてようやく三条太刀による小鍛冶「向かう槌音」が完成する。

 乱舞祭2018で「三日月殿」と対話を試みた小狐丸に返すように、壽では三日月が「小狐丸殿」と話しかけ、それに対して小狐丸は穏やかに「三日月宗近殿。このようなところでどうしたのですか?」と尋ねる。こんな些細なやり取りに、三条太刀の歩んできた道のりが詰まっているような気がしました。

 ともに舞い、返歌する三日月は彼の言葉であらわすのなら「偽りがない」。
 今、ここに来てふたたび、はじめのように、けれどはじめと明確に変化して、二振りは同じ場所に立っているんだなって、冒頭と終わりを任せられた三条太刀に思いを馳せて胸がいっぱいになりましたね……。

 これは勝手な憶測だけれど、大体の曲でいつでも三日月が目に入る位置や背中を守るようなポジションにいてくれている小狐丸、もう三日月にとって巻き込んではいけない綺麗なままでいてほしい存在ではなくて、ちゃんと肩をあずけられる存在になっているのかもしれないなって。
 それは今後のミュの物語で明かされない限り分からないけれど、私は壽を最初に見たとき、小狐丸が三日月のとなりにいてくれて本当によかった。いてくれてありがとうってものすごく強く思ったので、きっと、ぶつかり合うこともあるやもしれないけれど、三条太刀はもう大丈夫なんだろうなって。対話し合える関係になった。


 たぶん、三条太刀が兄弟だったらもっとずっと関係性は楽で、でも、彼らは表裏の銘だったから。
 分かり合えないということすら最初は分からなかった。互いに違うということを理解し合えている源氏兄弟のような関係にはなれなかった。だから衝突もするし、あんなにもあなたを理解したい理解しようと足掻く。
 あなたのことが分からない。でもあなたのことを知りたい。理解したい。ひとりで何かをさせたくはない。
 これら全ての想いが詰まったのが、壽で「しくしくくれくれ」を一振りで歌う三日月のもとに現れる小狐丸なのかもしれないなって。

 その道すじを、ミュでず~~~~~~っっと見させてもらえている幸福を噛み締めてる。ありがとうミュージカル刀剣乱舞。
 乱舞祭2018で、小狐丸が対話を試みようとした。その結晶がきっとこの壽で。
 小狐丸の積み重ねたものが、ここにきてこう実っているの、もう今剣くんが言う通り時間がかかるけど実るものじゃん……って三条のあいさつも含めてうわ~~~となった次第です。


 ずっと、ミュの三条太刀の関係性の変遷について個人的に感じていたことを文字で整理したかったのでちょっとスッキリしました。これから先も末永く彼らの道すじを見させてほしい。三条太刀双騎もまってます!!!!!

元ツイート(https://twitter.com/_pastral/status/1351098979963068422)

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