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2018.9.29 京のかたな講演会レポ&感想

2018年9月29日(土)13:30〜15:00
渡邉妙子先生(佐野美術館館長)記念講演会

運よくクジに当たったので、講演会を拝聴して参りました!
日本刀に曲線ができるまでの流れから始まり、山城の刀の地鉄の色や刃文、沸と匂や山城鍛治の系譜と刀剣評価、拵・刀装具についてまで、1時間半の講演とは思えないほど幅広く触れて下さりました。
特に印象的だったのは、「刀剣は刀身のみならず刀装具や鐔を含めた総合芸術」という言葉です。

以下、要点のまとめと感想です。

*三日月宗近は京都文化の典型的な曲線で、たゆたう線のとどまりから一気にさあっと流れるのが特徴。
これは京の特徴で、これほどに美しい曲線は他にない。鎬から身幅の狭くなるすがたの優しさ。

*刀の線をよく見てみると、その刀がつくられた時代を特徴的にあらわした曲線をしている。線の比較で時代が分かる。
例えば三日月宗近の反りは平安時代の屋根の勾配と似ているし、これは他の刀にも言える。
仮名文字が生まれたことも大きく、曲線には人の品性やこまかな感情があらわれるのではないか。

*この仮名文字の発生と日本刀の曲線についてもそうだし、渡邉先生は三日月宗近のたゆたう線のとどまりから一気にさぁっと流すのは墨を溜めてから一気に書き上げる書道の筆の動きとも同じと仰られていて、とても綺麗な表現だなあと思いました。

*粟田口の刀は直刃と「はだ青し(最も良質で美しい刀の評価)」で評価が高い。それだけで勝負をしている。
粟田口のこの様式はシンプルではあるが、その単純なかたちの中に言いようのない品性がある。

*「はだ青し」の評価は『銘尽』に載る数ある刀工の中でも粟田口の国友・久国・国吉、来派の了戒、古備前の助重のみ。
室町になるとこれが「青く澄む」と表現されるようになり、吉光だらけになる。

*刀身が青く見えるというのは本当で、当時と同じ状況である和ろうそくの火のひかりのもとで見ると「はだ青し」を実感する。

*粟田口は武士よりは京の公家や貴族のために鍛刀していた。
京都の刀はとにかく鉄(鋼)が上質である。粟田口や来派ほど上質な鉄(鋼)を使えたのは、あとは正宗くらいなもの。

*三条の頃はまだ技術が発達しておらず、鋼に不純物が混じることがあった。けれど、この不純物が混じっているからこそ炭素量が不均一なところに焼きが入り、あの神秘的な三日月宗近の打ちのけが出来るとも言う。
精錬技術の未熟さゆえの日本刀の焼きの神秘。鎌倉中期以降になるともう出来なくなる。

*山城に匂はない。というか匂があるのは備前のみ。備前だからこそ匂がある。
京の人々は霞がかったような美しさより、はっきりきらきら輝く美しさを好んだ。

*三条派が現在の日本刀および山城鍛治の物語のはじまりで、粟田口と来派が京の刀の気品を象徴する二派。京都の刀の特徴は直刃と上質な鋼。

*足利義政の所持していた刀装具の布袋さんを例に、日常生活のなかの心の拠りどころを刀や刀装具の美しさや可笑しさのなかに、かつての人々は求めていたのではないかというお話。

大まかに、こんな感じかな。

あとは余談なのですが、三日月と信濃くんを比較してお話してくださったときに先生が信濃くんは茎のかたちといい寸分の狂いもなく、非常に大事にされていて研がれていない、京のはんなりしたお嬢さんのようなイメージと仰っていてにこにこしました。秘蔵っ子だからね!


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