ああ忘れじの「中華定食」
僕が武蔵境にあるルーテル神学大学(現・ルーテル学院大学)の社会福祉学部に入ったのはもう36年も前になる。最初は寮に入らず、片道2時間かけて通学していた。入学して新入生の飲み会、全学修養会、聖歌隊の練習、学内ライブ…などなど、18歳の日々をそれなりに謳歌していたと思う。
それは夏休み前の土曜日だった。授業を終えて帰ろうと駅までの道を歩いている時に、あの先輩とたまたま出くわした。
「あ、Yさん。ちわっす」その人は神学科の(2回目の)4年生だった。Yさんのことは知っていた。同じ聖歌隊だったし、ちょっとブルージーなハードロックギターがカッコよかった。Yさんとタローさんとセイジさんの3ピースバンドのライブは衝撃的だった。
「おお、えっと…カネコ…だっけ?」そんな風に言われた気がする。そりゃ大先輩と1年坊主だ。名前を憶えて貰えただけでも光栄だ。
そこから武蔵境の駅までどうやって行ったのかはおぼえていない。バスだったのか、それとも歩いたのか。その道すがら何を話したのだろうか。
「お前、ベースやるんだって?どんなの聴くんだよ」とか聞かれたような気もする。
「あ、はい。マイケル・シェンカーとかゲイリー・ムーアとか…」そんな風に答えた…のかな?そうこうしているうちに武蔵境駅についた。
「おい、お前メシ食ってくか?」Yさんがそう言ってきた。大先輩の誘いを断るわけにはいかない。
「あ、はい。」そしてYさんの後ろについて狭い路地を歩いた。そこにその店はあった。
それが中華料理『萬来軒』だった。Yさんの後に入って席に座る。今では珍しいあの「赤テーブル」だった。Yさんはメニューを見てるような見てないような顔でマスターに
「中定」と告げた。それは「中華定食」のことだった。
揚げ餃子に鶏のから揚げ、卵焼きに炒めたもやし。それにご飯がついて500円ほどの実にお得な定食だった。きっとYさんはいつもこれなのだろう。
「あ、じゃあ俺も…」そう答えるしかなかった。するとYさんが
「おい、ビール飲むか?」と聞いてくる。断るわけにはいかない。
「あ、はい。」
そうして運ばれてきたのは生ビールではなく瓶ビールだった。Yさんが「おい、飲めよ」とばかりにビールを注いでくる。
「中定」は間もなく出てきた。味は…飛びぬけて美味いとかいうことはなかった。500円という値段なりの味といえばそうだった。その時に何を話したのだろう。それは憶えていない。土曜日のその時間帯だから店内のテレビで全日本プロレスでも流れていたのかもしれない。
「お、じゃあいくか」食べ終わるとYさんが独り言のようにそう言って僕らは席を立った。僕が財布を出そうとすると。
「いいよ」と言ってYさんが1000円札を2枚出した。
「あ、あの…いいんですか…ごちそうさまでした…」オズオズとYさんにそう言うと
「おう、じゃあな」と言ってYさんは駅の方へと消えていった。
あの18の夏から随分とたった。Yさんはルーテルの、俺は日本基督教団の牧師としてそれぞれの場所で生きている。ここのところあの萬来軒で初めて食べた「中華定食」のことをよく思い出すのだ。もうあの味には二度と会えないのだけれど…。
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