必要な助け
「我が子に一人前になってほしい」親が子にそう願うのは実に真っ当なことだ。ただし
「何をもって”一人前”というのか」
「いつ”一人前”になるのか」
「何のために”一人前”になるのか」
「なぜ”一人前”にならねばならないのか」
というのは一人ひとり丸っきり異なる話だ。そして簡単な話ともいえない。どれだけ仕事で大成功して巨万の富を生み出そうとも、重症なギャンブル依存になり会社の金を使い込んだような人を「一人前」とは言わないだろう。逆に障碍や病を抱え、仕事が出来ずとも誰かのために祈り、尽くせる人がいたとすれば、それは「一人前ではない」ということにはならないだろう。
子どものままならぬ現状をなんとかしてやりたい、その気持ちはわかるのだが、その時点で子どもに必要なことは何なのか、を見極めながら支えるということは簡単ではないだろう。
長野県中野市で4人が殺害された事件の概要が少しずつわかってきた。気になることがいくつかある。容疑者の父親(会社経営者で市議会議員)が、東京の大学を中退した容疑者を自衛隊に入隊させたこと。自分の農園の一部に息子の名前をつけていたということ。果たしてそれらは本人が望んだことだったのか。一方で現時点で彼がカウンセリングを受けていたとか、心療内科に通っていたとか、福祉行政につながっていたという報道は伝わってきていない(5/30現在)。
「仕事についてほしい、自分の力で稼いでほしい。」親が子にそう願うのは十分理解できる。ただし、その過程においてやるべきことの順番がある。実際、彼は与えられた仕事を十分にできたわけでもなかったようだ。周囲に対する体裁を整えることはできただろう。だが…彼が生きる速度に合わせて必要な助けを差し伸べることが出来ていたのだろうか…あれこれと考えさせられる事件だった。
事件の犠牲になられた方々に心よりお悔み申し上げます。
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