罪だ罪だというけれど…
なんでだろう。クリスチャンとか牧師とかの動画やSNSなどで「同性愛は地獄に落ちる」だの「LGBTは聖書における罪だ!」と主張する声がやたらと目立つ。多くはかなり保守的?な福音派or聖霊派の流れを汲む人々のようだ。彼らの態度に違和感を抱く。別に彼らと聖書解釈の論争をしたいわけじゃない。
仮に、同性愛だとかLGBTが彼らのいうように「罪」なのだとしよう(僕はそう思わないけれど)。だがなぜ彼らはその事だけを殊更に大声で叫ぶのだろうか。だって人間はみんな罪人としてこの世に生まれてきたのだろう?異性愛者であってLGBTに属さなくても、俺たちはみんなこの「罪」ってやつと向き合って生きなきゃ仕方ないんじゃないのか?みんなどこか汚いし、ズルいし、嘘だってついてきただろうし、誰かが憎くてたまらなかったりもするだろう。そういう自分の罪を始終周りから聴かされたらどうなる?「お前のような人間は神から受け入れられない」と牧師に断じられたら?きっと耐え切れなくなるはずだ。
誰かの好きな相手がどうだろうと、その人と神様の間の問題。祈りながら向き合えばいいこと。
たとえば異性愛者だろうが、同性愛者だろうがDVしまくりのヤツはいる。相手をとっかえひっかえのヤツはいる。結局はその人間がどう生きるかが問われるんじゃないだろうか。