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ホントに悩んでいるというのなら

ある牧師が本を出したという。3冊目。彼のことは知っているがその中身を読もうとは思わない。ただその帯文を見て私は驚いた。そこにはこう記されていた。
「並外れた悩む力を持っている牧師だからこそ、人の悩みを受け止められるのかも」 
彼が教会でどのように牧会しているのかは知らない。彼の働きで救われた人もいるのだろう。だが本当に自分に相談に来た人のことでこの牧師が悩んでいるというのならば、なぜ彼はSNSに相談に来た人のことを平気で書けるのだろうか?
「牧師には守秘義務があります」
そんなことは神学校では教わらない。なぜか。「言われなくてもわかっているだろ?」というレベルの大前提だからだ。私もそれは数々の相談・面談を受けた。それぞれの直面する事情に衝撃を受けながらひたすら祈るしかないのが牧師の現実である。SNSに書くなどという発想そのものが「あり得ない」ことである。
日本社会ではキリスト教だの牧師だのとほぼ知られていない状況である。せいぜいがSNSに熱心だったり、若気の至りで入れた「刺青」を見せびらかす牧師のことしか知られていないのだろう。

この帯文を書いた方のことはよく知らない。どれだけの牧師や神父あるいは僧侶に会って話を聞いたことがあるのだろう?この方に伝えたい「並外れていないごく普通の宗教者は、人知れず悩み、自分をアピールなどしませんよ」と。



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