「悲惨」「ツーショット」「写メ」「カメラ」 : ぱすてるダイアリー
おばんです! ギリギリブロガーのぱすてろいどです。
もうそろそろ新生活の季節ですね。私の生活は相変わらず空虚感と倦怠感であふれていて、なんの新しさもごぜぇませぬ☆
そんな空虚感と倦怠感を臨場感たっぷりでお届けするコンテンツが、このぱすダです。
悲惨
今年もあの有害物質が飛散を始める季節になりました。お察しの通り「花粉」でございます。
私は物心ついた頃からすでに花粉症を発症していたので、今までの人生で春にはほとんどいい思い出がありません。目のかゆみ、鼻水・鼻づまり、肌荒れ、頭痛や微熱など、基本的に「具合が悪い」以外の記憶がない季節です。いままでに何度、日本中の杉山を燃やし尽くしてやろうと思ったことか。
市販のお薬でよく効くものが見つかったのと、様々な体質改善を図ったことで、幼少のころと比較してかなり症状は治まっているので、季節としてはあまり嫌いではありません。冬の寒さ、夏の暑さのほうがよほど身体にこたえます。
花粉が平気な方は、ぜひ私の分まで春を満喫してください…。
ツーショット
昔、知り合いと雑談していたときの話です。
突然、「写真撮ってもらっていいですか?」と2人組に声を掛けらたそうです。カメラマンを頼まれたと思ったその人はカメラを受け取ろうとしたんですが、2人組の片割れがその人の隣に移動してきました。話が見えず混乱しているうちに、もう片方の人がシャッターを切ってツーショット写真を撮られてしまったとのこと。
その話を聞いた私は、どういうリアクションをとるべきなのかいまいちピンときませんでした (カメラだけに)。リアクションの候補は大きく分けて3つ。「あえて断らなかったことに対してツッコむ」「いやな体験をしてしまったことを慰める」「ただの愚痴として聞き流す」。ツッコむほど面白い話ではなかったし、特に深刻そうな様子はなかったので、結局そのとき私は聞き流すことを選び、ただ「それは災難だったねぇ」と返しました。
その人とは、それから程なくして疎遠になり、いまではどこで何をしているかも分かりません。
写メ
「写メ」という言葉、なんともう死語らしいですね。この間までナウい人たちが使っている言葉だったのに…。写メが通じない世代の人たちと交流する機会は、幸いこれまで全くなかったので困ることはありませんでしたが。
もとはといえば、写メは「写真を撮ってメールで送る」ということですから、よく考えると携帯電話で写真を撮ることを写メということ自体が不適切なのかも。でも、写メって言いやすいからつい言っちゃうんですよねぇ…。ただ「撮る」だと意味が分かりづらいし、「撮影する」や「写真を撮る」だと長くて言いづらい。写メはとてもちょうどいいし、便利な言葉です。
私は誰が何と言おうと、これからも「写メ」を使い続けます!
カメラ
これだけ写メについてのこだわりを話しておきながら、実は私はあまり携帯電話のカメラ機能が好きではありません。
さいきんのスマートフォンは、やたらとカメラの性能をセールスポイントにしていますが、私はそれを苦々しく眺めています。スマートフォンにカメラが不要だとは思っていません。手軽に写真が撮れますから確かに便利です。けれど、そこに過剰なきれいさを求めることは無理があるのではないかと思うんです。
光や音はアナログなものですから、ADDA変換に物理的な機構が必要になります。それらを高精度なものにするためには、どうしてもスペースや質量といった物理的なリソースを消費してしまう。つまり、きれいな写真を撮るためには、重くてでっかいレンズとセンサーを使うことがベターであるということです。携帯電話の本質は携帯性能ですから、それらとの相性が良くないことは想像するに難くありません。
携帯電話の本質が携帯性である以上、必ず妥協は必要です。その結果が、いまのスマートフォンにありがちな裏側にいくつものレンズがぽこぽこ並んでいる、あのなんとも奇妙な筐体です。あれはさすがにスマートフォンがかわいそうですよ、やっていることはスマートと真逆の付け焼刃です。
限定された条件のもとで、ベストなものを作るというのは素晴らしいことだと思います。けれど、「餅は餅屋」というように、やはりなんでもござれの全部乗せでは、中途半端なものになってしまうしいつかは破綻するときがくると思います。
私は、スマートフォンのカメラはそこそこでいいです。