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「本当の自分を見つける文章術」読み始めた


先日、ナタリーとジュリアの記事のコメントで、BOKEMIANさんから教えていただいたブレンダ ・ウエランドの『本当の自分を見つける文章術』。
24日に届きました。

BOKEMIANさんは、ジュリアがno1で、no2ブレンダ ・ウエランド、no3がナタリー! というのだから、これは読まない手はないな、と。

紙の本のみだから、Kindle本をメインで漁っている私には見つけようもなかった💦
教えてくださり、大感謝です!

レビューには、ジュリアやナタリーを読んでいるなら不要では論、もあったけど。私は、そんなことはない、と、なぜか直感していた(というか読書傾向の似た方々が読んでるだけでも価値ある)。

本を手にしてみたら「逆だ」と思った。ジュリアやナタリーを読んでいた下地がなかったら、この本、私には難解すぎて理解不能だったろう。
つくづく、出逢いは最良の瞬間にやってくる、というシンクロニシティ的なことを実感した。

それに、1P目(はじめに)を見たとき、これは私が読みたかった本だ! と、分かった。ジュリアの本のなかにも、似たような記述があったから。そこは、とても気になっていた部分で。そこを深掘りしてくれる人や書籍、が私には必要だと思っていた。
そもそも、もくじだけでワクワクしちゃったよ。

今、半分くらい読んだところだけど、実はブレンダみたいな人、身近にいる。私、恵まれているのに、最大活用できてないな💦


衝撃を受けた言葉。

ある一流のピアニストは、ものすごく努力はするがどうしょうもない教え子のことをこう言いました。「彼女はいつも練習しているけど決して弾かないのよ」

ブレンダ ・ウエランド『本当の自分を見つける文章術』86p (注8)より

うわっ。心の奥底がズキっ、と痛みみたいな衝撃をうけた。


私、「演じる」とか「唄うときに心を込める」という行為ができない。

もちろん、役者さんが感情をこめた素晴らしい演技をしていたり、感情のこもった豊かな唄を披露する。それは見たり聴いたりすればわかる。ちゃんと感動の渦に巻き込まれてボーっとしちゃったりするし。

けれど、それを自分で表現する、となると意味が分からない。すべての感覚モダリティが脳内再生できないように、「感情をこめる」が分からないし、「モノマネ」芸なんて神業だよね。どうすれば、似せられるのか見当もつかない。
アファンタジア故なんだな、と、納得したのも最近のこと。


練習するけど弾かない、それにしても恐ろしい言葉だなぁ。
私は、幾らでも書き殴るけど。それは練習だとは思っていないけど。誰にも見せない文章も、こうやってnoteで公開する文章も、変わりなく書き殴るけど。深く、とても大事な部分を突いてる言葉だ。

その瞬間に没頭してないし楽しんでいない、ってことよね?
それは自覚なく、でも他の人には分かってしまうのか……、などと。色々な思いが巡る。

度々書いてるけど。私は、2019年に「メモの魔力」を読んで以来「抽象化」の意味がわからず、そこからずっと「抽象って何?」という旅をしていた。かなり、理解は進んだと思うけど、まだ旅は続いている。
その過程で知ったのは、アファンタジアの私は「抽象」の世界にとっぷり浸かって生きてた、ということ。抽象のただ中にいるから、抽象が全く理解できなかった。とはいえ、これって俯瞰ふかんできるの?

その時と同じように「練習するけど弾かない」という事柄を、深く知る旅を始めてしまったみたい。

いや、そこじゃないでしょ! って、言われそうなのだけどね💦
ゆっくり先も読み進めます。

抱えている私の課題を解くヒントが、見つかるといいなぁ。



見出し画像はPixAIで生成。

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