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昨日から続いちゃうけど……

アファンタジアの私にとってタロット・カードはずっと心の眼の代用だった。
もう昔の話だけど。占い師になった。

私は、小さい頃(小学校の頃)から占星学の研究を楽しんでた。研究するためには何よりデータが欲しい。占星学は類推学、と言うだけのことはあり、大量の鑑定資料が集まるほどに精度は増す。占術つながりでタロットカードの蒐集にも走った。

鑑定データも蒐集したかった。
そして、プロになればデータ数は増えるだろうと。

占い師だったことを長いこと伏せていたのは「占い師はこういう話法をよく使うから注意」なんていう諸説のせいってのは、ちょっとある。
気にすることないのだけど。

誰が、そういう「話術による占い」を教え始めたかしらないけど。確かに、誰にでもあてはまる「当て物」のための占いもどき、ってのはある。それを身につければ1日で占い師になること、可能だと思う。


私が占い師になったときは、苦手な営業職で凹み続けていた頃。
教えられてもセールス話術や、演技的な演出ってものが理解できない。(その頃、それがアファンタジアのせいとは知らなかったけど)。

だから占いで「話術」などというものは使ったことがない。純粋に占星学とカード占術をしていただけだ。


接客業とか営業とか超絶苦手な超内向型の私。
でもなぜか占いの店で、占い師はつとまった。それは、ほぼ1対1、多くても3人。深く深く占術の話題を繰り拡げるのだから内向型の性質にピッタリだったんだね。今にして思えばだけど。

カウンセリングに、占星学の知識とタロット・カードのもたらすインスピレーションが加わる。

自分で言うのもなんだけど、そこそこ腕は良かった。類推学なわけだからデータが揃えば的中するのも当然なのだけど。
占星学の研究も大好きだったけど、私の得意はタロット・カード。メインはこれだった。占星学での読みに、アファンタジア故で在ろう独特の直感が加わっていた。

脳内には描けないイメージ。それは指先から、触れるカードを通じて宇宙や深層心理といったものに接続すると分かっていた。目の前で展開される様々なスプレッドは、多種多様な物語を視せてくれた。


天球図は今でも読めるし、身についている占者的な思考は切り離せない。

でも、いまは占星学やタロット・カードに頼る必要はなくなっている。
大病と続く療養とでエネルギー不足、というのもあるけど。
過去を紐解き未来を類推する占星学への興味は未だ尽きない。ただ、もっと面白いことも見つけてしまった。

それに。占いなどに頼らず、これからの新しい時代のことは自分の深層、心の泉に訊くほうがいい。と心底思っている。



AIイラストはPixAI-Rosebudで生成。

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