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「妄想癖は技術」アファンタジアの私はその意味に気づけてなかった

アファンタジアゆえに映像的な妄想はできないけど、「妄想」はできる。
感覚も身体に再現はできないけど、言葉からドキドキとか感じることもできる。
文字による刺激は、結構強い。
自分の文章でも読み返して時々ビクッとする。基本は自分の好みで書くわけだから、まあ、反応しやすい言葉ってある。

なので、同じようなことを、AIイラスト生成画像にも、期待してる。
ドッキリする感覚。顔。好みの顔が生成できた瞬間の歓喜!


何しろ、理想の顔とか、好みの顔とか聞かれても、応えられない。

☆☆って役者が良い、とか、アニメのあのキャラ、みたいに言えると良いのだけど顔を思い出すことができないから、伝えられないのよ。
でも、確実に好みはある。
「あ、好き……」
生成された美青年、可愛らしい女の子。
ああ、この顔好き。この体型も好み!
ウキウキする。
出来上がってはじめて、判断できてる。


だけど説明は難しいね。密かに好みはずっと変わらずに自分の中にあるみたい。みたい、という不確実な言い方にはなっちゃうね。
AIイラスト画像生成で明らかになってきたのは、自分の好みが何気に一貫してた、ってこと。
小説読んでもキャラクターの顔は想像できない。
でも、言葉に、私は反応してる。


強運が舞い込むとても小さな50のこと。」 山崎 拓巳

「妄想癖は神様から与えられた技術なのです。」
この言葉が、気に入ってる。
でも、今にして思えば、この本の内容の実践は不可能。

この本を読んでいたとき、私はまだ自分が五感すべてのアファンタジアだと気づいていなかった。
だから、この部分を読んだとき、比喩だと思っていたのだと思う。
何度も書いているけど、比喩。

読んで想像できる部分は何一つなかったのだけれど、毎度のことなので、それが異常なことだと分からなかった。

その後に続く、「妄想癖は神様から与えられた技術なのです。」という言葉。

妄想癖は、ある。

だから、この言葉に惹かれてた。だけど、技術である妄想癖が、内容をありありと五感で感じられることを言っているなら、私に妄想癖という技術は皆無だ。

私は、一体、どうやって妄想しているのだろう?
妄想していることだけは確かで。それでなければ、物語なんて書けないよね? たぶん。



AIイラストはPixAIで生成。

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